44年間
ベンゾを服用しつづけて、1年半のテーパリング減薬で断薬できた方。
この方はワイパックスさんのように詳細な減薬ログを残しているので、それを紹介しています
前回はこちら
「44年間服用者の減薬ログ」 Ⅶ
4月18日, 2014年投稿
stevesny 「2014年4月3日: バリウム20mgからデイリーテーパーの開始。
就寝時に1日当たり200〜400 mgのガバペンチンおよび50 mgのトラゾドン服用。
・・・
.38mg - 2015年10月4日
.38mg - 2015年10月5日
10/6 夕方 - 耳鳴りひどい。 夜は体調最悪
6mgの頓服使用 - 2015年10月6日
10/7 夜 - ベンゾ地獄
6mgの頓服使用 - 2015年10月7日
10/8 - 耳鳴りがおさまった!
3mgの頓服使用 - 2015年10月8日
耳鳴りなし。 5mgに戻して再服薬することを決める。
5mg - 2015年10月9日
10/10 - 耳鳴りがするがテーパー減薬に戻るべきかどうか悩む
10/10投稿 ↓
「鏡を見て、昨夜薬戸棚の前に立って僕は取るべきバリウム量を決めかねていた。 3mg? 2mg? 1mg? 5mg?
いや。僕らはそれを服用するたびにGABA受容体のダウンレギュレーションを引き起こしてきたはずだ。毎回だ。これ以上損傷させないようにすべきと思う。
この大火災からの唯一の逃げ道は、消耗しないように火の中を歩くことだ。全員が多かれ少なかれ火傷をするだろう。
だから、減薬計画に戻って0.36mgにすることに決めた。どうなるか…。奇妙なことに今日は耳鳴りがない。しかし、予想外なことが起こらない限り、きっと再び出る。だが僕は受け入れ態勢に入った。
僕はそのように考えない方が良いように思えたので、こいつを毒と呼ぶことを今まで控えてきた。
今は違う。最後の最後に体内からこの毒を取り除かないと完全回復はないだろう。
増薬なんてしなければ良かったよ。しかし地獄を回避するには仕方なかった。もはやあれこれ考えまい。予定した結果の誤差に迷うこともない。
この恐ろしいエピソードの過程で、僕を助けてくれたベンゾバディの仲間すべてに感謝します。
繰り返しますが、あなた方全員を愛している。
スティーブ」
.36mg - 2015年10月10日
10/11 - 耳鳴りがおさまる
.36mg - 2015年10月11日
10/12 - 耳鳴り再び。
.36mg - 2015年10月12日
.36mg - 2015年10月13日
10/14 - 耳鳴りなし
.32mg - 2015年10月14日
.28mg - 2015年10月15日
.24mg - 2015年10月16日
.20mg - 2015年10月17日
.16mg - 2015年10月18日
.12mg - 2015年10月19日
.08mg - 2015年10月20日
.04mg - 2015年10月21日
.00 mg - 2015年10月22日 断薬。 フィニッシュ!
1971年からバリウム5mg服用。
その後, 20mgまで増薬
2013年12月、耐性がつき薬が効かなくなる。不眠をはじめ様々な離脱症状発生。
2014年4月3日:バリウム20mg ― ドライカットおよび水溶液タイトレーションにて減薬開始
」
(訳注:バリウム= ジアゼパム、セルシン、ホリゾン)
そして断薬3年後のスティーブはこのとおり。
ベンゾ離脱サクセスストーリー⑪ ~ 44年間服用後ベンゾフリー
9月から約1か月ほどステイし、頓服を使いながら最終段階の離脱症状に耐えてきたスティーブ。
あきらかに0.4mgあたりに壁があったよね。
スティーブの場合、本人は逡巡してたけど、結果として1か月ステイ + 計画どおりのテーパリング減薬再開 = 断薬へ。そして断薬直後の情報がないけど、回復宣言するのに3年かかったとは上の記事のとおり。
(仮にもう微量だからと、0.4mgでストンと断薬してたら厳しい状況になっていたかもしれない)。
これはね。実は対応方法簡単なんだ
次回でわたしがお教えしよう
「世界は悪者によって破壊されるわけではない。
傍観者によって破壊されるのである。― アルバート・アインシュタイン」
※ みなさん、減薬手法はアシュトンマニュアルを読んで基礎知識をつけたのち、米国NPO団体BICのメディカルボード医師達監修のもとに作られたベンゾジアゼピンテーパリング戦略とソリューションを参考にしてください。
『ベンゾの減薬は年単位で』
『ベンゾ依存は依存(addiction)ではなく薬剤性神経障害(injury)』
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