❤️スゴい須永の今日から美婆トレ❤️
2024/07/13
💠おかあさんといっしょ💠
感謝しています❣️
今日もご訪問ありがとうございます❣️
ある小説を読んでいたら、小学四年生になったばかりの男の子がビルの7階から飛び降りて自殺する場面があった。
ゴールデンウィークを前にした、新学期間もない頃のこと。
彼の母親は5月になったら再婚することが決まっていた。
相手の男性は、自分にも女の子の連れ子がいるのに、結婚相手である女性の連れ子については、連れてくることを頑なに拒んでいた。
彼女は縁あって息子の通っている塾の講師夫婦に息子を預けっぱなしにしながら、男性との時間だけを優先しているように見えた。
預けられていた家からある明け方抜け出した男の子は、その時もまだ手元にあった母親のいるアパートに帰って鍵を開け、母親の枕元に立つ。
気配に気づいて目を覚ました母親に彼は言う。
『おかあさん、いっしょに暮らそ』
彼は彼なりに母親の現状を観察しており、自分が母親から遠ざけられていることにもすでに気づいていた。
前の年、彼が小学三年生だった頃、母親は我が子ながらその息子のために自分の再婚話がうまく進まないことに苛立ち、彼に折檻を加えていた。
それでも、おかあさんを好きな彼は母親からの折檻に耐えていた。
いよいよ母親は自分を捨てて再婚することを確信した時、彼は母親の元で直談判したと言える。
母親は彼を連れて再婚すると言わなかった。
歯切れの悪い言い訳だけを並べていた。
もはやこれまで、と彼はあきらめたのだろう。
それ以上のことを何も言わず、母親の元を辞した彼は近くのビルの屋上に登っている。
彼が屋上のフェンスも乗り越え、朝の風に吹かれている時、彼のいないことに気づいた預け先の夫婦と母親がビルの下に到着する。
そして三人の見ているところで少年は飛び降りた。
家庭内暴力は外からは分かりにくいと言われる。
それは暴力を振るう側が自分の暴力を必死に隠そうとするからだけれど、同じかそれ以上の必死さで暴力を振るわれる側が告発しないことが多いからだと思っている。
なぜなら、自分に暴力を振るう家族であっても被害者は、その家族が好きだから。大好きだから。いっしょに居たいから。
暴力を振るわれても、なおいっしょに暮らすことを望んでいるから、だから被害者である子どもは、どこまでも加害者である親をかばう。
母親がその暴力のために警察に連れて行かれるということは、いっしょに暮らせないことだと子どもはわかっている。だから、親をかばう。
そこに理屈はない。
いっしょに居たいから、おかあさんが好きだから。
ただそれだけ。
でもそんな息子の純粋な思いも、母親には伝わらなかった。
物語の中の出来事だったけど、現実はもっと厳しいのかもしれないと思いながら本を閉じた。
動物にも育児放棄のあることは聞いている。
学習ということよりも本能優先で生きている動物には、育児放棄にもそれなりの理由があるのかもしれない。
人間は哺乳類ではあっても、四つ足の動物とはちがう。本能だけではないさまざまな能力を持って生きている。
本能優先、感情優先なら、なりふり構わず彼は母親にしがみつくことだってできていた。
それをしないのは、理性が優っていたからなのだろうか。
なりふり構わず母親にしがみつかない息子を前にしながら、理屈では息子を説得できない母親に残っているのは女の本能だけのように思われた。彼女の中に、親という部分は失われているように思える。
息子が身を持って示した親子の別れを彼女はどう受け止めたのだろう。
悲しみもなければ、悔いもなく、厄介者が居なくなった、という思いだけだろうか。
彼が死を選んだのは、母親と暮らせないなら生きていてもしょうがない、という絶望のためではないように思った。
自分が居なくなることだけが母親を喜ばせると思ったからではないのか。
どこどこまでも彼は母親が好きだったし、母親を喜ばせたかったのではないか。
自分が居なくなることで母親が喜んでくれるなら、それでいい。
💠おかあさんといっしょ💠
感謝しています❣️
今日もご訪問ありがとうございます❣️
ある小説を読んでいたら、小学四年生になったばかりの男の子がビルの7階から飛び降りて自殺する場面があった。
ゴールデンウィークを前にした、新学期間もない頃のこと。
彼の母親は5月になったら再婚することが決まっていた。
相手の男性は、自分にも女の子の連れ子がいるのに、結婚相手である女性の連れ子については、連れてくることを頑なに拒んでいた。
彼女は縁あって息子の通っている塾の講師夫婦に息子を預けっぱなしにしながら、男性との時間だけを優先しているように見えた。
預けられていた家からある明け方抜け出した男の子は、その時もまだ手元にあった母親のいるアパートに帰って鍵を開け、母親の枕元に立つ。
気配に気づいて目を覚ました母親に彼は言う。
『おかあさん、いっしょに暮らそ』
彼は彼なりに母親の現状を観察しており、自分が母親から遠ざけられていることにもすでに気づいていた。
前の年、彼が小学三年生だった頃、母親は我が子ながらその息子のために自分の再婚話がうまく進まないことに苛立ち、彼に折檻を加えていた。
それでも、おかあさんを好きな彼は母親からの折檻に耐えていた。
いよいよ母親は自分を捨てて再婚することを確信した時、彼は母親の元で直談判したと言える。
母親は彼を連れて再婚すると言わなかった。
歯切れの悪い言い訳だけを並べていた。
もはやこれまで、と彼はあきらめたのだろう。
それ以上のことを何も言わず、母親の元を辞した彼は近くのビルの屋上に登っている。
彼が屋上のフェンスも乗り越え、朝の風に吹かれている時、彼のいないことに気づいた預け先の夫婦と母親がビルの下に到着する。
そして三人の見ているところで少年は飛び降りた。
家庭内暴力は外からは分かりにくいと言われる。
それは暴力を振るう側が自分の暴力を必死に隠そうとするからだけれど、同じかそれ以上の必死さで暴力を振るわれる側が告発しないことが多いからだと思っている。
なぜなら、自分に暴力を振るう家族であっても被害者は、その家族が好きだから。大好きだから。いっしょに居たいから。
暴力を振るわれても、なおいっしょに暮らすことを望んでいるから、だから被害者である子どもは、どこまでも加害者である親をかばう。
母親がその暴力のために警察に連れて行かれるということは、いっしょに暮らせないことだと子どもはわかっている。だから、親をかばう。
そこに理屈はない。
いっしょに居たいから、おかあさんが好きだから。
ただそれだけ。
でもそんな息子の純粋な思いも、母親には伝わらなかった。
物語の中の出来事だったけど、現実はもっと厳しいのかもしれないと思いながら本を閉じた。
動物にも育児放棄のあることは聞いている。
学習ということよりも本能優先で生きている動物には、育児放棄にもそれなりの理由があるのかもしれない。
人間は哺乳類ではあっても、四つ足の動物とはちがう。本能だけではないさまざまな能力を持って生きている。
本能優先、感情優先なら、なりふり構わず彼は母親にしがみつくことだってできていた。
それをしないのは、理性が優っていたからなのだろうか。
なりふり構わず母親にしがみつかない息子を前にしながら、理屈では息子を説得できない母親に残っているのは女の本能だけのように思われた。彼女の中に、親という部分は失われているように思える。
息子が身を持って示した親子の別れを彼女はどう受け止めたのだろう。
悲しみもなければ、悔いもなく、厄介者が居なくなった、という思いだけだろうか。
彼が死を選んだのは、母親と暮らせないなら生きていてもしょうがない、という絶望のためではないように思った。
自分が居なくなることだけが母親を喜ばせると思ったからではないのか。
どこどこまでも彼は母親が好きだったし、母親を喜ばせたかったのではないか。
自分が居なくなることで母親が喜んでくれるなら、それでいい。
自分が居なくなれば、大好きな母親にうとまれることもない。
大好きな母親に嫌われることが彼にとっての一番悲しいこと。
だから。
ボクが居なくなればいいんだ。
おかあさん、ボクを嫌わないで。
ボク、居なくなるから。
母親が喜ぶのは、自分が居なくなること。
彼はそのように結論づけて自死を選んだように思う。
彼の心の中をこう考えるのは、あまりに悲し過ぎるけど、私にはそう思えた。
そんな息子の思いに母親が気づくことはあるのだろうか。
小説の中のことではあっても、小学生の身で自死を選び実行した彼の冥福を祈りたい気持ちだった。
ありがとうございました❣️
今日の美婆トレ❤️いっしょに居るということ
今日もワクワク絶好調❣️
💠あなたに後押し💠須永商会💠
そんな息子の思いに母親が気づくことはあるのだろうか。
小説の中のことではあっても、小学生の身で自死を選び実行した彼の冥福を祈りたい気持ちだった。
ありがとうございました❣️
今日の美婆トレ❤️いっしょに居るということ
今日もワクワク絶好調❣️
💠あなたに後押し💠須永商会💠