❤️スゴい須永の今日から日婆トレ❤️
2024/05/31
💠くたばれ、酔っぱらい💠その3
感謝しています❣️
今日もご訪問ありがとうございます❣️
私が子どもの頃、ちょうど前回、前々回の通信でお伝えした女性が、酔っぱらった親戚のオヤジから絡まれたのと同じ頃、つまり、就学前の頃の話。
何か親戚の集まることがあったのだろう。
親戚の家に両親と妹と私、四人で行った。
とりあえずの酒飲み、宴会が終わって、帰る親戚あり、残る親戚あり、男たちは名残を惜しんで座敷のそちこちで話し込んでいたし、女たちは宴会の片づけをしたり、夕飯の支度を始めたり、もちろんダンナや子どもたちにハッパをかけて帰り支度をする者などさまざま。
親戚一の大酒飲み、この後幼い私をイジメる酔っぱらいは、飲めばがなりたて、宴会の間は誰彼が酒を注ぎにきても、終われば誰からも相手にされず、酒はもうない、今日はおしまいと言われればいるところもない。
それでも誰かを相手にクダを撒きたいのだろう。
別室で妹と遊んでいた私のところへやって来た。
妹は幼児の直感で母親のところへ行ってしまった。
幼くマジメな私は、この酔っぱらってこわいおじさんの相手をせねばならぬ、となぜか思い詰めていた。
このオヤジは、母方の親戚で、母親のことを小さい頃から知っていたらしい。
そして母親のことをかわいがっていたのだろうが、彼の意に反して母親はあまりなつかなかったのではないか。
可愛さ余って憎さ百倍、小さい頃から大人になるまで、結婚した頃から今日までのありとあらゆる母親の悪口を私に言って聞かせた。
世の中で誰よりも大好きな母親の悪口をくり返し聞かされ、私は泣くしかなかった。
そんな私の泣き顔は、酔っぱらいにはなんとも言えないクダ撒きのツマミと言おうか合いの手になったのだろう。
酔っていながら話につまることもなく、後から後から母親の悪口がつづいた。ウソかホントかもわからない話を私は信じるしかなかった。
大げさに言うと一種拷問にも等しいその時間がどんなふうに終わったのか、私は覚えていない。
手の空いた誰かが酔っぱらいがいないのに気がついて探しにでも来たのだろうか。
泣いてる私に気づかぬはずはないけれど、いつものことだ、くらいで子どものことは放っておき、酔っぱらいの始末を優先したのではないだろうか。
私は一人になってからもずーっと泣いていたような気がする。
大好きな母親の悪口を聞かされる苦痛。自分の知らないことばかり並べられて言い返すこともできない悲しさと悔しさ。くり返されることにより、母親はほんとうはそんな悪い人なのだろうか、という疑問と否定できないはがゆさ。
そんなマイナスな感情で体の中が冷たく真っ黒になって行くようだった。
こんなに人を傷つけても、飲んでいたから覚えてない、の一言でどんなに多くの人が二重、三重の苦しみをなめているのか。今も昔も。
知らずに犯す罪は大きい。
今なら録音録画なんでもできるだろう。
責任能力がないから無罪などと言わせず、きっちり罪を償わせなければならないと思う。
ありがとうございました❣️
今日の美婆トレ❤️酔っぱらうことそのものが犯罪なのでは?
今日もワクワク絶好調❣️
💠あなたに後押し💠須永商会💠