2021/07/02 自動ドアの開く時 その3 | 今年還暦、スゴい須永の今日から美婆トレ

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人生120歳の時代、どこまで豊かに美しく生きていけるか、日々感じ、学んだことをお伝えすることでシェアし、ともに幸せな道を進みたいと思います。

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2021/07/02

💠自動ドアの開く時💠その 3

感謝しています❣️

今日もご訪問ありがとうございます❣️

三度目に自動ドアの開いたのは教員になって10年目の4月。

私は初任から三校目の学校へ転勤していた。

転勤した翌日から人生の自動ドア化が始まった。

次の日着るものからアクセサリー、子どもたちへの話や授業の進め方、そんなものがどうしようか、と思うそばから答えが決まり、心楽しい思いをした記憶がある。

何やら常に心がはずんでいた。

次々といろんなことが頭に浮かび、次々と形にして行けた。

そんなふうにスタートした三校目だったのに、定年までこの職場で働きたい、そんなふうに思った日もあったのに、私は五年で転勤希望を出していた。

何がどうしてだったのか、覚えていない。
ま、気ままわがままと言えばその通り、否定はしない。

さまざまな思いはあるけど。、この学校で世話になった学年長には、今も花の師匠として世話になっている。

大学の友だちよりも、スペインの知り合いよりも付き合いの時間はダントツに深く長い。

この三回を思う時、自分の心の状態がどんなものだったのか、覚えてはいない。

つまり、あの自動ドアの開いた一時期、私の中に、何事か、引き寄せるものがあったのかどうか、何も思い出せるものはない。

それは一時期的なものだったのだから、ホンモノではなかったのかもしれない。

5月の半ばから毎朝参加している瞑想タイム。
自身でコントロールできる呼吸に意識をフォーカスすることで瞑想状態を作り、答えを心臓に聞く時、心臓はまちがいのない答えを出してくれるという。

何か見えない力にただただ引っ張られ、あやつられているだけとしか思えないあの時、自分が瞑想状態にあったとは考えにくい。

瞑想状態でなくても、次々と願いの叶うことってあるのかもしれない。

今、心臓に答えを聞くことのできる瞑想に縁をもらう時、再現性のないラッキーではなく、何度でも繰り返しラッキーを引き寄せる自分になれたらいいな、と思っている。

『毎日生きることが魂の修行
 むだなことは なにもない。』

ありがとうございました❣️

今日の美婆トレ❤️思う自分になる

今日もワクワク絶好調❣️

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