2020/07/25
💠歌のシャワー💠
感謝しています❣️
今日もご訪問ありがとうございます❣️
今日の美婆トレ❤️歌声響いて
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全校三十人ほど、担任しているクラスが数人の小さな学校で働いていたときのこと、研修で隣の学校に行った。
1クラス三十人くらいの学級、三年生の音楽の授業だったと思う。
ではみんなで歌いましょう、と担任教師が子どもらに呼びかけて歌が始まった。
何の歌か忘れたけど、とたんに教室の中に子どもたちのかん高い声が響いた。
まだ、声変わりのしない子どもの声。
がんばって歌うからノドに力が入っている声もあって、もっとやわらかい声で、ノドを広げて、なんて注文が頭に浮かぶけど、ほんとはそれ以上の満足感が私の中にあった。
それは歌のシャワー、子どもたちの歌声のシャワー。
それは力みも感じられたりして聞いて癒されるというものとはちょっとちがった。
でも、その歌の響きの中には、合唱団の子どもたちの歌声とはちがう、ざわめきのようなものがあって、それはその子どもたちの持っている活力、元気、子どもらしさそのもの、エネルギー、そんなものの現れで、その波動みたいなものが私の中に皮膚を通してバンバン入ってくる心地よさがあった。
いいなぁ、この感じ。
森の中で感じるマイナスイオンともちがう。
ミストサウナの中ともちがう。
ガチャガチャしたものもありながら、躍動している子どもだけの持つエネルギーの渦、とか、塊の真ん中にいる感じ。
それはその頃の自分のクラスでは得られないものだった。
人数が少なく、ヤンチャも少なければ、どうしても美しい歌声になって行く。一人一人に指導が行き渡ってしまうから。
でも、子どもにはエネルギーがある。
子どもはエネルギーの塊。
その中から溢れてくるものは美しい歌声とはまたちがったものがあるのだろう。
担任の先生も子どもらの歌声を美しいものに持っていく指導はされていなかったような気がするし、それが私には好ましかった。
その子どもたちも、もう親になっているにちがいない。
話し合いと同じで合唱もまた一人ではできない。
ソーシャルディスタンス様式の中で歌の指導がどうなっているのか、コンクール用でなくていい、歌声のシャワーを浴びる快感がなくならないといいな。
ありがとうございました❣️
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