うちに神さまはいません。
家に神棚もありません。
一応、仏教徒ですけど、家には仏壇もありません。
日頃から神さまや宗教など信じてませんので、周りで宗教に入れ込んでいる人を見たら距離感を感じます。
もともと、宗教ってなんだろう?………って日々思います。
一人の教祖さまが始まりでそれが後々の世で信仰拡大され、そのうちに国家や為政者が宗教の力を借りて国を治めよう国民をまとめようと信仰・布教を保護してきた経緯があります。
歴史の中でも宗教や民族の違いから、争いがおこり、国がぶつかって、これまでにも大きな戦争が行われてきました。
心のよりどころとなり、平和な世の中を望むはずの宗教の本来の姿がどんな方向へ向かおうとしているのか。
世界中にはたくさんの神さまや教祖さまがいるわけで(おそらく)そのどなたを信じるかなど自分には興味もありません。
もし、自分が死んであの世へ行ったとすると、先に逝った皆さんがお待ちかねのことでしょうか。
友人、先輩、ご先祖様…………過去にお亡くなりになった膨大な数の皆さんがあの世にはおられるはずで、
すごい人口密度に違いありませんね。
だから、「この世でいいことがなかったから、あの世へ行って生まれ変わろう。」とか、
「次に生まれ変わる時もあなたといっしょになりたいわ。」とか、思いはいろいろでしょうけれど、
人間も他の生き物もいっしょで、死んだら生物学的に無になるわけで、
まさに、「われ思う、ゆえに人生あり」
生きてる間しか、自分の存在を確認できないものだと考えてるので、生きてるうちが花ともいえるでしょうか。
あくまでも、自分の生き方・私見であって、宗教や神さまを批判するものでも否定するものでもありませんのであしからず。
自分が信じようとするものを心にもっていればそれでよいのではないかと。
しかし、金が絡んでくるとそうとばかりもいえません。
昔、友人の弟が話題の宗教団体に洗脳されてひと騒動した覚えがありますから、金や寄付が絡む宗教にはとくに気をつけたいものです。
金や財産をかき集めるよりも、逆に金や幸せをばらまいてくれる宗教があればついていくかもしれません。
ポリシーも思想もない…………ただのケチですけど。
学生時代は体育会系でしたので、先輩は神さまみたいな存在でした。
けど、そのうちに思ったんです。
たいしたことない先輩の多いこと。
たしかに、目標となるしっかりした先輩もいますが、中には「先に生まれた輩(やから)」というだけの存在も。
さすがに部の中じゃ、そういう人たちには面と向かって文句言えないので適当に無視してましたけど、
社会に出たら、上司や同僚であっても役に立つ人間や使える人間は一目瞭然。
何度か、「あんたの下では仕事はできない。」と役職辞令をたたきつけたことも今となっては思い出です。
(いまだに間に入った上司からあの時は大変だったとぐちぐち言われますけど………)
人から尊敬される神さまみたいな存在の人って、よっぽど信頼があって人間性に優れて、周りへの配慮が行き届く非の打ちどころのないような人でしょう。
少なくとも、自分はそんな人の爪の垢でも煎じて飲みでもしない限り、そんな人にはなれません。
それでも、人生の師と呼べる人はその節目節目で出会えるもので、
自分の場合、高校時代に部活で鍛えてくれたフランス帰りの指導者の先生や、車の整備や塗装技術を一から教えてくれた近所の整備士のおじさん、見知らぬ土地での潮の流れやたなの取り方を学んだ地元の名人などなど。
自分も神さまにはなれなくても、何かでだれかにヒントを与えられるような存在になれたらいいなと思います。