ぶらさがらない生き方 | われ思う ゆえに人生あり

われ思う ゆえに人生あり

人生は一度きり。せっかくこの時代に生きているのだから、自分なりの毎日を楽しもう。

だれだって得意なことや好きなことはあるはずですが、

 

いつまでそれを続けられるかはその人しだい。

 

 

 

自分も高校・一般とあるスポーツやってて、都道府県の選手権レベルまでは出場していました。

 

20代まではどちらかといえばパワー系のプレースタイルでガンガンやれたのですが、30代になるとスタイルが変わって、一発で決められなくて制限時間いっぱい使って後半勝負に持ち込むことが増えました。

 

 

そして、30代半ばで体力的に見切りをつけて競技をやめると…………、

 

指導者の依頼だったり、協会の役員の依頼だったり、頼まれるわけです。

 

 

 

けれども、自分はプレーするのが楽しかったわけで、後進のお世話や協会の仕事に関わるなんて全く意図してないわけで、きっぱりそのスポーツとは縁が切れました。

 

 

その頃の仲間は、まだ協会の役員やったり、大会の度に係で仕事したりしてるみたいですけど、自分としてはもう競技者でないのにスポーツに関わる気はさらさらありません。

 

 

 

というのも、自分みたいに趣味ややりたいことの多い人間は、いろんなことをやればそれだけ他人との関わりも増えてくるわけで、

「集まりに出ないといけない」

「休みや自分の時間が削られる」

「付き合いが多い分、冠婚葬祭が増える」

など、その本来やりたいこと以外のしないといけないことが増えることが困るからです。

 

 

 

自分が大学出て就職した時、母親は「せっかくこの仕事に就いたんだから、〇〇(職場の長の名称)にまでならんとね。」とさっそく口にしてました。

 

仮に、仕事をがんばって出世して、管理職あるいは上に立って定年までがんばったとしましょう。

 

●定年後(老後)のビジョンが描けない。………それまで仕事一筋できてたから。

●現役時代の元〇〇という肩書や当時の付き合いが残り、退職後もそれに追われる。

●ようやくできた自由な時間を趣味や生きがいに費やそうとしても、経験や体力が十分か不安。

 

 

だから、仕事を定年で退職してから好きなことをしようという生活よりも、やりたいことは今やりながら仕事もそこそこがんばろうスタイルに人生の舵を切りました。

 

 

 

スポーツでも仕事でも同じこと。

 

昔取った杵柄(きねづか)が今でも残ったり、忘れられずにそれにぶらさがっている人を周りでも見かけます。

 

 

昔はおれはこんなだったと先輩風や武勇伝ばかり吹かす人。

一緒に酒飲んでも、その話題しか出てこない人。

とっくにやめてからも、職場や大会・関係イベントに呼ばれてもないのに顔を出し続ける人。

 

 

…………もうあなたの時代じゃないんだよ。

 

って教えてあげたいけれど、本人はまだ周りからあてにされていると思い違いしているのか、そこしか居場所がないのか、おそらく自分では気がついてない様子。

 

 

だから、自分もそうならないように、現役辞めたら即、身を引く。

OBの集まりなどにはできるだけ参加しない。

昔、後輩だったり自分の下でがんばっていた人に偉そうな口はきかない。

 

 

今の自分を今の力と経験で楽しむことが人生生涯現役だと思うんです。

 

 

そろそろ、大型バイクに乗るのは終わりかな、だけど手軽なので楽しむのもありか……と思ったり、魚釣りはまだまだこれから……70才、いや80才まではできそうだと期待したり、

 

過去にぶら下がらなくても、これから自分のビジョンをもてる生き方は楽しめそうです。