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永遠のホリデー(^O^)/

おへちょWEBデザイナー、元ソーシャルゲーム企画運営
おすすめアプリ・WEBサービス・フリーソフト・ガジェットなどの紹介
IT系のちょっとした小技・テクニック
心理・精神(スピリチュアル)に関しての考察コラム
夢日記、ハーブや野菜などの園芸記録など

駅のホーム
「もう電車は2度と来ない」と察する。

駅ホームを歩いて移動する。
駅周りには沢山の木が生えていて
その木を支える周りの支柱も、今や根をはり自然の木へ回帰していた。

木を横目に歩くと、立派な「焼却炉」が見えた。
こういう焼却炉はあった方が便利だよね!!なんて言いつつ進む。

途中、靴をはきかえ階段を上ると
イモっぽい少女が「グラスに凹み模様をつける作業」をしていた。
ガラスに凹みをつけると、まるでオルゴールのような素敵な音楽を奏でるらしい。

私も一つオーダーしつつ、面白いもの作ってるな~と眺めてると
「あ!お前!勝手に彼氏なんか作りやがってよぉ」と、イモっぽいお兄ちゃんが妹を叱りにやってきたので、さっさと奥の部屋へ進んだ。

扉の手前に鏡があったので自分の顔をチェックすると
ちぢれた千代紙のような、派手な布で顔面が覆われていた。
なんじゃコリャ!と思ったけど、それがこの世界での正装らしいので良しとした。

奥のホールは卒業式のような雰囲気。
たくさんの若い男女がタキシードやドレスでパリっと着飾っている。

「はーーい!!そろそろ、ショコラのフリをしてくださいーーー!!」
アナウンスが響き、ワケもわからないまま私は体を丸め「チョコのふり」をする。

やがてパンパカパーンというメデタイ音と共に
「おめでとうございまーーーす!!新しい回線が開通しましたよぉーーーー!!!!!」
と興奮したアナウンスが流れた。

ホールの中央にある黒板には、英字数列が混じった複雑な文字列が書かれており
それが「新しい回線の番号」のようだった。

ホールにいる男の子はワァーーー!!!!っと興奮して黒板にかけより
女の子は若干冷ややかな視線で「なに興奮してるワケ」って感じに引いていた。

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小さな街
鼻の中に住む「小さな小さな虫」
それは交換日記のように街の人の鼻を巡る。

虫が巡る間は、どんな病人もお年寄りも元気でいられるのだった。

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ブックオフのような、ゲームや漫画を買い取ってくれる大きな店がある。
何冊かの少女漫画や、古いゲームのコントローラーなどを引き取ってもらった。
詐欺・・・というのは面白いもので、まるっきしのデタラメではないからこそ人はハマってしまう。

たとえば「このままですとアナタは死にます」というセリフ。
当たり前だ、人はいつかは死ぬ。

しかし、どこかに身に覚えがあったり、思い当たるフシがあると
まるで運命を言い当てられたかのように錯覚する。
「今すぐそうなる」かのように思い焦ってしまう。

元々ありつつも「考えないように抑圧した不安」が浮上するから
「ついに年貢の納め時」とばかりに、妙な開放感と諦めを覚える。

さらには相手の言いなりになることで、自分を罰している気になり
すべてを償いチャラに出来る・・・というような狡猾な計算までが働く。

もちろん、それを見越した上で相手も仕掛けている。
カンタンにいえば「痛くない腹をいくら探られても問題ない」ということで
日頃から自分に嘘をつかなければ他人にも騙されないワケです。

騙される人というのは、そもそも自分で自分を騙している人。
見えているのに見ないフリをしている人の目線なんて、いくらでも捻じ曲げられるんです。
お待たせいたしましたッッ!!!!

なんせ1000件以上の記事を絞り込み、カテゴリ分けし・・・
かつメインカテゴリの記事を書き直すのに時間がかかりました(言い訳

本来以下はトップページではありませんが
メインコンテンツである「愛の定義」カテゴリのトップですので
コチラを暫定的なトップとします
http://mainoko.com/blog/love

今後は、上記ブログにて更新していきます
アメブロの過去記事をまとめ、書き直すのに大分かかると思いますが・・・
新記事も「ぷちコラム」でぼちぼち書いていく予定です

アメブロをお読み頂いてくだった皆様に、心より感謝申し上げます
今後とも「永遠のホリデー」をよろしくお願い致します
今をトキメク妖怪ウォッチ
コンビニ、レストラン、家電量販店
どこに行っても妖怪ウォッチまみれでごじゃる。もんげー!!

まいのこはゲームをプレイしてませんし、別段ハマっちゃいないのですが
漫画を多少立ち読みしたり、Huluでアニメを見たりして大体把握してます。

「妖怪ウォッチが流行る理由」
ジバニャンが可愛い、踊りが楽しい
作中のネタが古いので(私の親世代のノリ)親と一緒に見れる、、、など
色々細かい要素はあると思うのですが

本質は「ヒーロー/プリンセス像」からの卒業!
「自分らしさとは?」を問うアナと雪の女王、思い出のマーニーをはじめ
理想像を追いかける時代から「あるがままの自分自身にもどる時代」への変化。
妖怪ウォッチもしっかり、その時代の波にのった作品だったのです。

こちら主人公(笑)
なにかにつけて「ふつう」を強調されます。


これは「つまらないやつ」というような否定的な意味ではなく
「ふつうでいい」という意味なんです。

ケータくんは妖怪ウォッチを手に入れたという以外、特別な能力は皆無で
単に物語を誘引する語り部でしかありません。

少年漫画にありがちな
「特殊な能力を秘めた血筋」
「天才的技術」
「カリスマ的魅力や統率性」
「世界規模の戦いに巻き込まれる」

といった要素は 一切 ございません(笑)

物語の主人公になるには、特別な何かがなくてはいけない・・・
強くて格好よくて人気者、夢があり努力家で自己犠牲もいとわない。

そんな「理想的な何か」にならなくてはいけない・・・
人々は、こういったヒーロー像の押し付けに心底飽きてしてしまったんです。

加えて「善悪」という水戸黄門時代からの概念も賞味期限をむかえました。
物語には「ワルモノ」が必要不可欠でした。
それは主人公が「絶対正義」である為の対比であったからです。

しかし、情報社会の子供たちは気づいてしまったのです。
ワルモノをやっつける為にヒーローが生まれるのではなく
ヒーローを生むためにワルモノが作られるという茶番に。

妖怪ウォッチは
キテレツ大百科とコナンと鬼太郎とポケモンを足したような王道設定に溢れていますが
王道の中でも大きな違いがあります。

「どうみてもジャイアンとスネオ(ブタゴリラとトンガリ)ポジション」の友達
ガキ大将&小金持ちという設定は同じながら
「別に主人公にイジワルをしたりしない」のです。
普通に接し、ふざけ、遊びます。
この他にも沢山のクラスメートがいますが、ケータくんの扱いは「いたって普通」です。

こちらはケータくんが好意を寄せる同級生フミちゃん。
本来ならヒロインポジションですが
妖怪に攫われることもなく、別段優しいわけでもなく、クラス1のマドンナでもありません。

そして妖怪たち。
問題を起こすものも居ますが、基本的には「ともだち」になるだけです。

あくまで「日常のなんてことない現象の象徴」として存在するだけなので
「悪の親玉と手下」のような勢力もなく
闘って、強くなって、成長していく・・・というようなバトル要素もありません。

そう、なんでもないのです。
みんな普通。普通、普通・・・
ケータくんに繰り返し与えられる「普通」という称号は、この作品全体を表しているんです。

なんでもなくてもいい。なんでもなくても良いよって言って欲しい
ただ、普通の自分を肯定したい。

妖怪ウォッチがポケモンを押しのけて、これだけ流行したのは
大人も子供も
世界一を目指したり、強くなったり、特別になることを強制する風潮に嫌気がさしたからだと思います。
経済というシステムは老朽化しすぎて害になっている

全ての物事の「価値」を均一にしてしまう事
餓死寸前の人にとっての、おむすび1個
満腹でもう何もいらない人にとっての、おむすび1個
美味しいおむすびを作りたくて仕方ない人
仕事で仕方なく作ってる人

同じ100円で
心と心が結びついてない

かつての「物々交換」システム
「近くに自分の持っているものを欲しい人が居ないと、取引が出来なくて不便」だった
だから「金に一度変換するシステム(経済)」の利便性が高かった。

でも、今はネットがある
「欲しい人」「あげたい人」はリアルタイムに一瞬で出会うことが出来る
わざわざ金に変換することもない
直接トレードでも、単に放出するだけでも
受け取るだけでも、長い長いわらしべ長者でも・・・・
みんなみんな「一瞬」で済むんだよ

「貨幣による取引」が可能になるように
物の価値を均一化してしまうシステムはとっくに老朽化して
ボロボロになってる
その変換の為に、人の生き死にまでが無視されるほど
人が自分自身を楽しみ、気持ちよく生きる弊害になっている

便利な道具であるはずの「貨幣システム」がすっかり人を支配している
そんなのはおかしいでしょ

道具は、人が笑顔になる為にある
人の笑顔を消して、生死まで左右する道具なんて主従関係が逆転しすぎ
本末転倒だよ

過去よりずっとテクノロジーは進化して
「したい」と「したい」が即出会えるようになってる

だから、もう変換装置は不要なの
「お金」ってシステムを捨てなきゃ経済ゲームは終わらない
この退屈なゲームを終わらせなきゃ

江戸時代や中世の時代の、平民や女子供の扱いが
今みれば「そんな理不尽な」と思うように
数十年後の我々の次世代が
「昭和だの平成だの、すげえ時代だったよなw」と笑えますように。

2chの「女(男)ってやっぱ糞」みたいな異性批評を見てて思うのは
奴らは「自分にとってどういう人が好きか」じゃなくて
いつも「何が許せないか、何が正しくないか」って事ばっか論じてるってこと。

唐揚げにレモンをかけようが、食事の写メを撮ろうが
実際はどうでもいいんだよ。
文字にしてギャアギャア騒ぐほど、他人なんか見ちゃいないし
そもそも苛立つほどの人間関係自体がない奴ほど、まるで当事者の顔をして叩く。
彼らが欲しいのは「被害者A」という仮面だから。

瑣末なことを、わざわざ叩く理由とは?
「誰かと一緒に居たい(自分を好きになって欲しい)」って本音を素直に言えない人は
拗ねてヒネてぼっちの自分を正当化する為に、他人を拒絶するしかない
「拒絶する」というポーズは、「入手不可」を「不要」に置き換えることができるから
欲しくても手に入らないという悔しさを、最初っから要らないモ~ンという強がりで隠すことが出来る。

「クソどうでもいいわwwww」
↑と言いながらわざわざ「憎むべき他者」を気にして、攻撃せずに居られない理由とは?

蔑み、見下し、怒り、嫌悪し、拒絶ばかりしてる人というのは
「自分は誰からも好かれない無価値な存在なのではないか?」
という劣等感の恐怖から身を守る為に
「嫌われている事を知ってしまう前に、コチラから嫌いになってしまえばいい」
という先手をとって安心しようとしているからなの。

でも、そのやり方じゃ
結局ぼっちな事にかわりないのよね。自分も他人も受け入れないんだから。

好転しない状況に苛立がつのり・・・
やがて、孤独の苦痛を与えているのは他者の存在自体だと思い込むようになる。

THE 責任転嫁
劣等感と孤独感から身を守る為
毎日必死に批判(拒絶)できる他者を探すようになるの。
相手を拒絶した一瞬のみ、優越感による安心(自己肯定感)を覚え・・・
やがては拒絶する為だけに生きるようになってしまう。拒絶中毒。

あいつもクソだ、こいつもクソだと言っていれば
間接的に「自分はクソじゃない」と思うことが出来る。
素直じゃない、ヒネくれた自己肯定ね。

でも、自分を認める為に他人を貶めたり拒絶するのは
結局「ありのままの自分を認められません」と公言するのと同じなの。

対比や比較によって「自分の方がマシだ」と思うのは
その「比較基準・評価基準」の奴隷になることを意味する。

自分の目で見ず、自分の手で触れず、自分の感性で感じないまま
ただ誰かの設定した「正しさ」に縋ってしまえば
自分も他人も裁き続けるだけのジャッジ地獄になってしまう。

前からやりたいと言っては尻ごみしたり
夏場衛生的にどうなのよとママンから却下されたり
ノビノビになってた「ぬか漬け&ぬか床作り」糠床・野菜入タクアン

色々な現状が私とソックリな友人Nリンが始めるというので
便乗してのっかることにした(笑)Σ(゚∀゚ノ)ノキャー

Amazonで赤いホーロー容器と、鉄茄子発酵ぬかをゲット!!
ヌカはランキングより、レビューの具合で決めた

捨て漬けとか足しヌカとか面倒くさー!!
って躊躇してたけど
近所(徒歩1分)にお米屋さんあるし
大豆を入れたりして水吸わせてもいいんだって(勿論その大豆は食べられる◎

昆布を入れたり、煮干しを入れたりこんぶ
結構ウチにあるもので遊べそうなので・・・
「これは食べれるおもちゃ」と思って踏み切った(笑)

勿論、健康の意味もあるよ~~ん‹‹\( ๑´ω`)/››~♪ 
やっぱり「非加熱で食べる」って重要なことだと思うのん。
なんというか・・・栄養素とか以前の、生命エネルギーのようなものなのかな?
素に近いほどそれは豊富だけど、食べづらくなっていくという悩ましい反比例
サラダだってそんな沢山は食べられないし、身体冷えちゃうからね。

でもぬか漬けなら!!量は少なくても毎日だってイケるし
なんてったって「発酵食品」であ~~~~~る

元々日本人が食べていたものだから馴染みもいいし
美と健康の総元締「お腸様」もニコニコするはず

長芋とかミョウガとか
スーパーには売ってないオツなぬか漬けも作り放題・・・ぐへへツマミかよ
ゆで卵とかも出来るらしいですぜ半熟たまご

とにかく到着が楽しみなのだッッ


富士ホーロー ホーロー容器 20cm 6.4L レッド YA-20ST-R


ぬか漬け用 鉄ナス 南部鉄 NZ-TN


中村食品 河村さんちの鉄粉ぬか床 1kg

メルローズ バージン・ココナッツオイル 300g【あす楽対応】【楽天24】
a.r10.to/hWiMBg  #RakutenIchiba
このお店はポイントも多く、Amazonなどと比較しても一番安かったです

ソンバーユ(馬油)と比較して、つけた瞬間「キメ整った!」って感じてビックリ
馬油もそんなテッカテカになるワケじゃないんだけど
ココナッツはむしろ「ちょっとマットになった」ってくらい整ったの

なんせ300gもあるので、70gのソンバーユと比較しても大変お買い得 
テカらないし、酸化もしにくいらしいのでオススメじゃ+゚。*(*´∀`*)*。゚+

常温保存でいいらしいけど・・・一応、冷蔵保存してます
馬油に比べてカッチカチに固まるので、がしがしスプーンでこそいで使ってます。
この点は馬油のが取りやすいかな。

ココナッツオイルは、精製されたものや無精製のバージンオイル
オーガニックのものなど様々な種類がありますが
このメルローズさんのは、バージン+オーガニック+無添加で安心な一品

家族経営の農家さんが作ったココナッツを、収穫から瓶詰めまで一貫して行っているそうで、そういうトコ好感がもてます
やっぱ色んな人の手を介するごとに品質落ちるリスクあるからね

ココナッツの匂いは元々甘すぎて好きじゃないんだけど
やはり天然のモノだからかイヤミない香りで、そこまで気にならない感じ

はたしていつ使い切れるやらだけど(笑)
全身に使ってこうと思います

【ラノベ臭がする台詞・文章】


「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・は?」

「あ、あのですねぇ・・・」
「ちょ、ちょっと待って・・・」
「ま、まさか・・・」
「ど、どういうことだよ・・・」
「てか、どういうこと?」
「いや、ありえませんから」
「う、うわぁーーーーーーー!!!」
「・・・っ!?」
「ふああ・・・」←あくび表現

ある日突然「トンデモ展開」に巻き込まれた主人公。
現在の状況や、登場キャラの主張を理解するのに
大概3回~4回は同じ内容(読者は既に知っている事実)の説明を繰り返すことが多い。

さらにはメタ発言やドS発言をするヒロイン
いちいちそれに突っ込む主人公の茶番などが挟まったりする。

非常に回りくどい。くどい。

モタつく主人公に揃えて、物語の進行スピードが止まる
すると読者はそれ合わせ、足踏み状態を耐えなくてはならない。

ほんのりお色気要素恋愛要素を混ぜる事で、ダルさを誤摩化したりするけど
「基本的に不要な演出」「読者に有益な情報を与えないパート」が長すぎるんです。

《退屈を強いられる読者》
作られたNow loadingを延々見させられる展開が続くと
メリメリ読む気が失せるのね(映像も同じだけど)

《点々つかいすぎ》
「間」を表現したいんだろうけども
それがどれくらいの間であったのかは、読者の想像に委ねる部分。

点々とか使ったら、漫画のコマや映画のカット割りみたいに
イメージが固定されてしまうじゃないか。

小説というのは当然
読者に対して、物語中の光景を想像させなくてはならないけど
《漫画的な表現を文字で再現する》と非常に安っぽくなるんだよ。

少なくとも、私はそう感じる。文字にする意味がないとさえ思ってしまう。
「はい、ここで笑って~」
「キュンとするとこ~」
「ゾクっとして~」

固定された見解と反応を強いられる苦痛。
こうなると、小説は読んでイメージしたり考察するものではなく
ただ作者の意向を理解するだけの作業になってしまう。

読む⇒理解する⇒そうですか⇒終わり
もはや読んだこっちが金を貰いたい気持ち(笑)

ラノベすべてがそうとは言いませんし(好きなラノベも沢山あります)
純文学じゃなきゃニセモノみたいな事も思ってません。

しかし、この20年で漫画を初めとするサブカルが一般的に受け入れられ
爆発的に普及した影響が大きいのでしょうね。

怒りマークや汗マークなどお馴染みですが
漫画的表現というのは「記号化」が基本で、それを文章に持ち込むと
「伝達力」が上がるかわりに「拡張性」が失われるんです。

どういう雰囲気、どういうシーン、どういう展開なのか
すぐに理解できる反面、そこで終わってしまう。

奥深さがなく、味わい方の変化が乏しいので
一度読んだら2度と読まない作品になるんです。


プンプン怒ってる時
《何が気に入らないのか》
理由を説明できる人がどれだけ居るだろう。

大抵の場合は「正しくないもの」をトリガーに
「抑圧された感情」が浮上して「本音」とぶつかり合っている
その「不快な葛藤状態」を「怒り」と呼んでいるにすぎない。

怒りの原因が他者にあると思う限り
怒りは消えないのです。

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本音と切り離された抑圧感情は
決して消えることはなく
常に再結合の時を伺っているます。

地震で地盤が揺さぶられると
地下水がピュ~っと噴き出る事があるように
感情を揺さぶられると
抑圧感情が噴き出し
「こんな本音をお忘れじゃありませんか?」と存在を主張するのです。

======☆======

しかし、建前でコーティングされた本音は再結合を拒むので
そこで衝突が起きるのです。

《受け入れたいけど受け入れられない》
過剰な防衛反応であるアレルギーのような、本音と抑圧感情の関係。

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身体のアレルギー症状が決して快適ではないように
精神面における
過剰な防衛反応
「正体不明の不快」として認識されます。

精神の免疫機能には肉体のような壁がないので
「不快を与える存在」が他者であると考えてしまうと
それを排除しなくてはと思い込み
拒絶反応が「怒り」として表面化するのです。