糸魚川ジオパークの紹介313 西海谷を往く 奴奈川姫伝説地を訪ねて | 糸魚川ジオパークのおじさんのブログ

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日本で最初に世界ジオパークに認定された糸魚川ジオパークの魅力や出来事などを紹介します。

西海谷にも奴奈川姫の伝説が数々見られます。

平牛の東部山地は「経ヶ峰」と言われたようで現在は京ヶ峰区と接している所がある。標高118mほどの山なのだが、昔は奴奈川族が住み村があったとのことです。この山頂には神に捧げた金幣が埋められていて毎夜光が見られたので沖で漁師が目印にしていたとのこと。西頸城郡誌によると、「古昔一の市街あり奴奈川姫眷属の住地なり爾後その境内に於て舞楽或演劇の興業ありしと言う、峰の近傍に稚児池あり往昔奴奈川神鎮座ましませしと、然るに後世に至り降雨のため池水溢れて社殿を流し神タイは一宮に流着せりと。」

 奴奈川神社は蓮台寺地区の奥の柳谷にあったが元暦二(1185)年に山崎の地に移り、その後現在地に移ったものです。(奴奈川社案内書)

         一の宮の奴奈川神社↑

 

 経ヶ峰の南側は山崎といわれ稚児の池や御手洗池があり古墳のような小丘が並んでいて奴奈川神社が昔あった場所とされています。そして稚児ヶ池は奴奈川姫終焉の地とされています。それは、大国主命と結婚した姫はある日突然一人で故郷の越後に帰ります。大国主命は追っ手を出して姫を連れ戻そうとします。姫は各所を逃げ回り、最後は稚児ヶ池で姿を消します。追っ手は池の茅原に火をかけ焼き払いましたが姫の姿は見えません・・・糸魚川の伝説では入水自殺した? ことで終わります。

   稚児ヶ池↑ 一面の茅原の水たまりとなっています。周辺には古墳のような塚が各所にみられます。

前回にも記載しました平牛の「飯塚の森」、姫が食器を埋めたと言われる伝説がありますが、もしかしたら古墳ではないでしょうか? 別の角度(南)から見た写真です。

 

羽生の元北西海小学校があった西側の小さな崖に「不動滝」と呼ばれる小さな滝・・・といっても水道の蛇口を開いた程度の水流・・・がありますが、伝説には「昔平牛の山に奴奈川姫がおいでになり火の玉となってこの滝に来、眼を洗って眼病を治したという。後に或武士が姫を祀る為に一振りの刀を埋め、不道明王を安置したという」

            羽生の不動滝↑と不道明王の祠↓

 

また、西海地区の地名の一つの「市野々」の地名にも奴奈川姫伝説が秘められています。市野々の元は「一奴奈」から、「一布」→「市野々」に変化したものと言われている。

 

西海の奥の海谷渓谷にある「駒ヶ岳」の名称についても、大国主命と地元の豪族との争いに関して飛び比べ伝説は有名ですが、他にも、地元の豪族の馬が逃げた山が駒ヶ岳で白い馬の形をしているとの説もある。

また、山崎より糸魚川に通ずる道路を「字姫御前縄手」と言い田圃の字名に「御前作り」「神楽田」「笛吹田」など昔の伝説に絡んだ地名が残っているのも伝説を裏付けるものの一つとして面白い。(糸魚川市HP奴奈川姫伝説・西頸城郡誌) 

 

 西海谷の入り口はジオサイトとしては登録されていませんが、「奴奈川の郷跡」一つとして見所に加えたいところです。