魚川ジオパークの紹介233 糸魚川って何ぬねの | 糸魚川ジオパークのおじさんのブログ

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日本で最初に世界ジオパークに認定された糸魚川ジオパークの魅力や出来事などを紹介します。


旧糸魚川市の記章はイトヨの組み合わせです。



 私が糸魚川に赴任してから六十年以上経過しました。もうすっかり土地の人となってしまいました。赴任当時のヨソ者時代には糸魚川と言う地名の由来や地域の名称にも不思議な響きを感じました。郷里の北海道ではアイヌ語からの転用や内地から移住した者の故郷に起因する地名などが入り乱れておりましたので内地の古い日本文化に触れる想いがしたものです。


 現在、私は糸魚川世界ジオパークのガイドの一員として観光客に説明する為に地名の由来を学ぶ必要がありました。そんな中で感じたことです。


 糸魚川って「ナニヌネノ」 他所者として地名の特徴が「ナ行」の音が多いのに気がつきました。糸魚川を体表するヒスイの玉は「ニ」とか「ヌ」です。三種の神器の「八尺瓊勾玉」やさかにのまがたま。

 


 糸魚川の古い地名が沼河・沼川・奴奈川・・・奴奈川姫のヌナカワです。能生がノウ、根知ネチ、根小屋ネゴヤ、仁王堂ニオウドウ、西海ニシウミ、名引ナビキ、夏中ナツナカ、成沢ナリサワ・・・・等々。


古代の糸魚川地方には、地元の奴奈川姫を代表する土着の人、蒼海族と言われる大和系の民俗、更に古いアイヌ民俗、大陸から漂着した「鬼」扱いされた民俗、出雲系や内陸の長野系など文化の交流点でもあったのです。


糸魚川の語源の一つが糸魚「イトヨ」説です。糸魚は背ひれに針がある魚です。現在はあまりお目にかかりませんが4-5cmの小さな魚で以前は糸魚川駅前の城の川でよく見られたそうです。

大日本地名辞書(吉田東伍著)によれば次の記載があります。


いとよ


「春雪の融解する比、海より河川に泝り、田洫山渓まで群游す。長さ2~3寸、白色にして硬鰭あり、脂肪多し。味不良。其の鱗は環を成し、白糸にて巻きたるごとし。鰭針に似たれば針魚とも言う。又痛魚と言う。・・・・


古文書の中には、尭恵紀行伝に「いとい河」という河あり。「世の中はいかに有りけむいとい河いとしき身さへ行ゑしられす」の歌があります。


陸路記伝行嚢抄には「挑川」イドミ川がみられます。

姫川が度々氾濫わするのでいやな川・いといかわ厭川から来た説。

弘法大師が竹管に糸を巻いて川に投げいれたら忽ち魚になつたと言う話から。


糸井造(いといのみやつこ)説 新羅からの帰化人の集団が但馬を開発した後当地域に移り住んだ説があります。兵庫県の但馬地方に朝来市がありますが、そこには糸井川と言う川もあり、糸井の地名が多く見られます。


糸魚川市の上刈地区にドウシャハバと言う小高い丘が姫川沿いにあり糸井造が住んでいたと言う説があります。これは糸井河の大旦那の名が旧神宮寺の梵鐘(1432年製現在経王寺境内に)の銘に刻まれています。






 糸魚・・の地名は他にもあります。

北海道の釧路から根室に到る鉄道には厚岸の隣に「糸魚沢」と言う駅があり無人駅ですが変わった駅舎で知られています。イトウと言う魚が住む沢から来た名前らしい。

北海道の北部の士別市の奥で下川町との境には「糸魚岳」914mがあり、「糸魚トンネル」「糸魚橋」もあります。士別市の朝日地区には糸魚小学校があります。魚の名からと言う説もありますがよく判りません。


この他に福井県の大野市には糸魚町があります。

いずれも語源として考えられたものですが仮説の内です。