「バカの壁」を超える梯子の作り方 | 愛知県 名古屋 丸の内 弁護士加藤英男の弁護士日誌余白メモ

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弁護士加藤英男の日々是精進気の向くまま思いつき

私は、平成7年登録の愛知県弁護士会登録の弁護士です。弁護士生活も25年を超えました。

 

弁護士の仕事は、対人交渉であり、説得ですが、一番大切な交渉先、説得相手は、裁判官です。法治国家の日本では、紛争の解決は法に則って行われます。当事者間での交渉、解決が行き詰まったとき、紛争を解決してくれる制度が裁判制度です。

 

裁判所はどんなところでしょうか。一般の取引社会、学校と、どう違うのでしょうか。


裁判所とは、私が習った憲法の教科書には、「純理性的な法原理機関」である、とされていました。


「純理性的な法原理機関」とは、多数決の民主主義で決めるのではなく、あくまでも法と理性に則ってどうなのか、法に則ってどちらが正しいのかを決定する機関だというのです。

 

民主主義は時には残酷になり得ます。
民主主義には歯止めがなく、無実の人を死刑場に送ることもできます。
民主主義は、独裁(独裁も実は民主主義の1つの形なのですが)に比べたら素晴らしい制度ですが、その時々の多数決に従っていたら、「何が正義か」を見誤る危険があります。

 

そこで、正義公平の観点から、憲法により、民主主義を適度にコントロールするための「純理性的な法原理機関」として裁判所を置くことにされているのです。


裁判官は、その裁判所の重要な構成要素です。

裁判官は、多数決やら、泣き落としで動かされません。もし、そんなことがあれば、「純理性的な法原理機関」の意味をなさなくなってしまいます。

 

そんな裁判官を説得するには、どうしたらよいでしょうか。裁判官が最終的に下す判断、判決や決定は、期待も込めて、権力や人情に左右されない、「法原理的決定」と呼ばれます。


そうした「法原理的決定」を引き出す、しかも、自分の依頼者側に有利なそれを引き出すにはどうしたらよいでしょうか。

やはり、それは、「純理性的な法原理」によらねばなりません。

 

日本の世の中の普段の生活は人情が支配する世界です。

様々な有形無形の力関係も働いています。

しかし、「いざ裁判」となったら、紛争となったら、「純理性的な法原理」が全てです。

 

「純理性的な法原理」、簡単な言葉で言えば、「真実ないし事実と論理」です。

 

 

ビジネスの世界ではどうでしょうか。


ビジネスの世界でも、大きな取引をするときとか、長期的な契約関係を結ぶ際など、「いざというとき」には、やはり似たような状況なのではないでしょうか。

大きな取引をするときとか、長期的な契約関係を結ぶ際、情に流されて判断を誤らないために、論理的、理性的に考え、合理的な判断をするはずです。自分がそうしたいわけですから、相手も同じはずです。
基本は、論理的、理性的に考え、合理的な判断をする、つまりは、「純理性的な法原理」的決定を行うことにあります。

 

それでは、普段の日常生活での判断についてはどうでしょうか。
やはり、まずは、感情、願望、本能に汚染されていない「純理性的な法原理」的決定を行い、どこまでその決定を動かすことが許容できるかを冷静に考えることが間違いを回避するのに役立ちます。

 

この記事では「真実ないし事実と論理」「純理性的な法原理」的決定を導く技術が主題なのですが、その前提となる基礎的能力として、論理的推理力や、論理的表現力がどうしても不可欠です。

そういった論理に係る良書はたくさんありますので、論理的推理力や、論理的表現力についても軽く触れつつ、その先にある技術をご紹介したいと思います。

 

 

その先にある技術とはどんなものか。


なぜ、私がその先にある技術について考えるようになったか。

どうして、一般にお伝えしようと思うようになったか、について、少しだけ述べます。

 

みなさんは、日常生活で誰かに何か伝え、共同で意思決定をするような場合、うまく伝わらないという経験をしたことはありませんか。

例えば、会話の中で、「そんなつもりで言ったわけではないのに。」とか、相手は「なんで分かってくれないのだろう。」「理解力が低すぎないか。」と感じたことはありませんか。


不思議なことに、相手も、同じように感じているのか、こちらを感情的に罵倒してくる。
そんな場面の当事者になったり、傍観者になった経験はありませんか。

どちらも真剣になって、突き詰めて理性的に相手を説得しようとしているけれど、全く平行線で、そのうちに感情的な対立になる。「話せば分かる。」ではなく、「話せば、話すほど、分からなくなる。」

 

そんな経験はないでしょうか。


これは、双方向参加型SNSでよく起こっていることですね。

 

私も、当事者になりかけたことがあります。
議論は無駄なので、すぐに降りました。バカだの、不勉強だの、弁護士なんてこのレベルだとか、さんざん言われました。

 

論理的、理性的に考え、合理的な判断を行い、相手に伝えているつもりでも、伝わらないことはあります。養老孟司先生がおっしゃった、目に見えない「バカの壁」がそこに存在します。

 

実は、これは、一般社会でだけでなく、感情、願望、本能に汚染されていない「純理性的な法原理」的決定を行っている裁判所の中ででも起こっています。

 

弁護士も、裁判所の職責、判断の手法をよく知っていますから、「純理性的な法原理」的決定を引き出せるよう、論理的、理性的に考え、法律に則った合理的な弁論を行います。
弁護士は、それが自然にできるように、訓練されていますし、日々勉強しています。

 

それでも、裁判官が、弁護士が考えていたような判決を下すことばかりではありません。

原告がいれば被告がいて、敵対相手の弁護士がいて、訓練された者同士が知力を尽くして争いますから、片方が負けるということは当然ではあります。

 

しかし、そんな中で、やはり、時々、不思議な勝ちがあり、不思議な負けがある。

相手の弁護士にとっても、同じように考えているのが伝わることがあります。

技量が変わらない者同士ならば、判定結果の筋読みは変わりません。

 

不思議な負けで負けた時は、もちろん控訴してひっくり返すことを考えます。それが、様々な事情で難しい時には、やむを得ず方向を変えて、和解に持ち込み、負けを小さくします。

 

この不思議な負けを経験した際に、多くの弁護士が思うことは、実は、SNSで罵倒し合う人々と大して変わりません。

「酷い裁判官に当たった。」「頭はいいんだろうけど、社会性がない裁判官。」「人間というものの理解がない、未熟な人間。」

…つまり、「バカの壁」にぶつかっているのです。

 

私が駆け出しの頃、弁護士会の談話室では、そんな愚痴を先輩の弁護士らがぶつぶつと言い合っている姿を目にしました。脇で聞いて、ふんふん頷いていたり、感心していると、機嫌を良くした先輩方から珈琲をごちそうになったりして、とても楽しかったです。

幸い、私は、個人的には、不思議な勝ちも、不思議な負けもあまりないままに年数を重ねました。


しかし、最近になって、不思議な負けを予感する事案に遭遇してしまったのです。

勝つべき事件なのに、一向に裁判官がこちら側の説明に理解を示してくれません。勝てるはず、筋からして、こちら側が断然有利なはず…でも、裁判官は、どこか上の空。


初めて真剣に悩みました。

そして、初めて真剣に法廷技術について学ぶことにしました。
特に、書面技術、説得技術です。
様々な本を読みましたが、求める答えはありませんでした。
そこで、司法試験合格後に学んだ、司法研修所の教本を学び直してみました。

そこに答えがありました。

その答えは、もしかしたら、裁判だけではなく、ビジネスでも、日常生活でも、SNSでも役に立つのではないか。


そう思って、一般の方にも分かりやすいよう、まとめてみようと思いました。

50年ほど前に、ハンス・セリエ博士は、ストレスの研究を行い、ストレスが起こる仕組みについて論文を発表し、有名なストレス学者となりましたが、ストレスを回避・軽減する方法を明らかにはされませんでした。

同じ頃、日本の中村天風師は、セリエ博士に会い、同博士からストレスを回避・軽減する方法を教えられなかったことを非常に残念に思い、自ら、ストレスを回避・軽減する方法を探求し、ついには教えられるようになられたといいます。

私も、「バカの壁」があることを前提に、それを超える方法を探求しました。


その結果、これがそれだ、というものを掴めた気がします。
それをご紹介したいと思います。

お越し下さったみなさまが、少しでも容易に「バカの壁」を超えられますよう、少しでもお役に立てられるならば幸いです。