はじめに
精神科医であり、文筆家、講演家としても著名であられる和田秀樹先生は、過去に、医学部受験雑誌に、『医学こそ、学問の王である。』 と書かれていましたが、確かに、生命に関わる病気の診断を行う医師は、あらゆる学問に秀でている必要があります。
私は、医学部に憧れながら、数学の積分でつまづき、理科系クラスに籍を置きつつ文系に転向しました。
中学に入って以降は、勉強すること自体は嫌いではありませんでした(それ以上に、スポーツは球技、格闘技、水泳、何でも好きです!)(ちなみに、小学校時代は、1年時の担任の低評価が引き継がれ、5年生の担任に見い出されるまでは、ダメ男、できん坊主と呼ばれていました)。
結果、法学部に進学しましたが、学者同士が屁理屈をこねて、神経をちくちく削り合う様子を垣間見て、なかなか本格的に勉強を始められませんでした。
大学時代、英語、文学に没頭したり、雑多なことに興味を抱いてさまよっていました。
本格的に勉強を始めてから、だんだんと法律学が面白くなり、弁護士になりました。
そして、仕事に就くと、事件は様々で、いつもその分野の最新情報に触れて学ばざるを得ません。
重要なポイントは、各分野の専門家に鑑定意見書を書いて頂いたり、ご証言をお願いしますので、弁護士は深く、研究者のように掘り下げて学ぶ必要はありません。
しかし、各分野の専門家のおっしゃることが理解できなければなりません。
理解した上で、それを分かりやすく、裁判所に、書面にして伝えねばなりません。
これまで、心理学、熱力学、建築土木、そして、医学、精神医学について、担当した事件を通じて学んできました。
「弁護士も、いろいろ勉強が必要だし、仕事で勉強できておもしろいではないか!」 と思うようになりました。
これまで、医学、精神医学に関わる、「認知症と遺言能力」がテーマになる事件が過去に数件ありました。
過去の件では、いずれも大きな問題とならずに解決となりましたが、最近、複数の案件で、「認知症と遺言能力」を丁寧に検討すべき必要が生じてきました。
今後も、きっと同種の事件に遭遇することもあるでしょう。
そこで、最新の医学書などを再度レビューして、きちんと学び直しをしようと思いました。
そのまま、流用、活用できるような形で、まとめてあります。
「認知症」がどんな病気か。
症状は。
遺言能力の判断で、注意すべきポイントは。
そして、実際に、当てはめ、検討される際には、対象者の病状、症状はどんなであったか。
診断書、意見書、長谷川式スケールなどの証拠資料、周囲の家族や親族関係者の証言などから、分析的に積み上げて、主張を組み立ててみてください。
少しでも、法律関係の仕事に関わっておられる方や、法学部の学生さんのご参考になれば幸いです。
第1 認知症について
1 認知症
【認知症の定義】
認知症とは,一般には,「生後いったん正常に発達した種々の精神機能が慢性的に減退・消失することで,日常生活・社会生活を営めない状態」(厚労省HP)であって「認知機能障害により,判断力が低下して,社会生活機能が障害される疾患」である。
より端的には,「脳血管疾患,アルツハイマー病その他の要因に基づく脳の器質的な変化により日常生活に支障が生じる程度にまで記憶機能及びその他の認知機能が低下した状態」をいう(介護保険法第5条の2)。
認知症の原因(疾患)については,症状の特徴とともに後述するが,大まかには2種,a.脳の細胞がびまん性に死んで脳が萎縮する「変性疾患」(アルツハイマー病,前頭・側頭型認知症,レビー型小体病等)による場合と,b.血管が詰まって一部の細胞が死ぬことで起こる(脳梗塞,脳出血,脳動脈硬化等)場合とがある(厚労省HP「認知症を理解する」)。
【認知症の症状】
[中核症状と周辺症状]
認知症を発症すると,認知症患者の誰にでも共通して現れる症状(「中核症状」という)と認知症に伴う行動及び心理症状(「周辺症状」ないし「BPSD(behavioral and psychological symptoms of dementia:認知症に伴う行動及び心理症状)」)とが現れる。
中核症状には,「記憶障害」「判断力障害」「実行機能障害」「見当識障害」「失語」「失行」「失認」等があり,脳の神経細胞が破壊されることで起こる。
周辺症状には,「行動症状」と「心理症状」があり,それぞれの個々の症状は抑うつ的な「陰性症状」と行動的・破壊的な「陽性症状」とに分けられる。
※「明日から役立つ認知症のかんたん診断と治療」(誠弘会池袋病院副院長脳神経外科部長平川亘著,日本医事新報社)p.203図解参照
※「認知症診療入門」(八千代病院認知症疾患医療センター長川畑信也著,日経メディカル)p.341図解参照
[中核症状]
ア 中核症状の内容
ⅰ.記憶障害
(ⅰ)概要
記憶障害とは,記憶する能力に障害が起こること,物忘れや新たに物事を記憶するのが困難な状態をいう(厚労省H26「認知症施策の現状」p.3ほか)。
<内容による分類>
記憶は,その内容によって,①エピソード記憶,②意味記憶,③手続き記憶の3つに分けられる。
①エピソード記憶
エピソード記憶とは,「個人的な経験や社会的な出来事に基づく記憶」をいい,認知症の早い段階から障害されやすい。
②意味記憶
意味記憶とは,「言葉の意味や一般知識など,学習によって得た知識」をいい,認知症が進行するにつれて徐々に障害される。
③手続き記憶
手続き記憶とは,「自転車に乗る,泳ぐ,入浴や歯磨きの手順など,体で覚えたこと」をいい,認知症を発症しても比較的保たれていることが多いとされる。
<時間軸による分類>
また,記憶は,時間軸によって,①近時記憶と,②遠隔記憶に分けられる。
①近時記憶
近時記憶とは,「数分から数日前の記憶」をいい,認知症を発症した初期から目立つ。
②遠隔記憶
遠隔記憶とは,「数週間から数十年前の記憶」をいい,認知症を発症しても比較的保たれていることが多いが,進行すると,徐々に忘れられていくとされる。
(ⅱ)加齢による物忘れとの相違
認知症による記憶障害は,加齢による物忘れとは相違し,両者は明確に区別される。
加齢による物忘れは,①体験の一部分を忘れる,②記憶障害のみがみられる,③もの忘れを自覚している,④探し物も努力して見つけようとする,⑤見当識障害はみられない,⑥取り繕いはみられない,⑦日常生活に支障はない,⑧極めて徐々にしか進行しない,という特徴が見られる。
これに対し,認知症の物忘れでは,❶体験の全体を忘れる,❷記憶障害に加えて,判断の障害や実行機能障害がある,❸物忘れの自覚に乏しい,❹探し物も誰かが盗ったということがある,❺見当識障害がみられる,❻しばしば取り繕いがみられる,❼日常生活に支障をきたす,❽進行性である,という特徴が見られる(厚労省H26「認知症施策の現状」p.8)。
例えば,「加齢による物忘れでは,電話で約束した時間を忘れても,電話がかかってきたことは覚えている」が「認知症の場合は,電話がかかってきたこと自体を忘れてしまう」のである。
ⅱ.判断力障害
判断力障害とは,「状況を理解・把握して,筋道を立てて考え,真偽,善悪,可否などを判断する力が低下すること」をいう。
例えば,料理をしている最中に電話がかかってくると,料理していたことを忘れて鍋を焦がす,腐ったものを口にする,訪問販売や振り込め詐欺に引っかかる。
判断力障害については,実行機能障害の前提となる障害として実行機能障害の範疇に含む立場もある。
ⅲ.実行機能障害
実行機能障害とは,「計画を立てて,手順を踏んで,状況を把握して何かを行うという実行力が低下すること」をいう。
例えば,料理の味が落ち,焦がし,生焼・生煮えだったり,料理ができなくなる(前同)。
生活に必要な動作を順序立てて段取りよく行うことは,記憶力だけでなく,思考能力や判断能力が必要になる高次の脳の作業である。
ⅳ.見当識障害
見当識障害とは,「時間や場所,人物を認識する能力が低下すること」をいい,今日が何年何月何日か,季節は何か,今いる場所はどこか,相手が誰かが分からなくなる。
例えば,真夏に冬物のセーターを着たり,近所で迷子になったり,自宅にいるのに「家に帰ります」と述べて出て行ってしまう。
ⅴ.失語
失語とは,「会話や言葉を扱うのが困難になること」をいい,言いたいことが頭に浮かんでいるのに言葉をうまく発生できない「運動性失語」と,相手の話や言葉が理解できないために,会話がちぐはぐになったり言い間違いが多い「感覚性失語」の2種類がある。
ⅵ.失行
失行とは,「手足に麻痺が無いにもかかわらず,簡単な日常動作ができないこと」をいい,衣服を後ろ前に着たり,上着の袖に足を入れようとする着衣失行のほか,歯ブラシや箸の使い方が分からなくなる観念性失行などがある。
ⅶ.失認
失認とは,例えば,鉛筆を見ても鉛筆と分からないなど見たものが何かが分からなくなる「視覚失認」,自分の子どもの顔を見ても子どもと分からないというように,人の顔を見ても誰だか分からなくなる「相貌失認」,空間における位置関係が分からなくなる「視空間失認」,現状を全体として理解できない「同時失認」がある。
イ 中核症状の発生順序
中核症状は,多くの場合,①記憶障害,②見当識障害,③実行機能障害(判断力障害),視空間認知障害の順で起こる。
そして,①記憶障害の中でも,㋐エピソード記憶,㋑意味記憶,㋒手続記憶の順で起こってくる(「ウルトラ図解認知症」:p.20)。㋐エピソード記憶の中では,ⅰ.近時記憶,ⅱ.遠隔記憶の順で起こる。
[周辺症状]
周辺症状とは,BPSD(behavioral and psychological symptoms of dementia:認知症に伴う行動及び心理症状)ともいうが,中核症状をベースに,その人のもともとの性格や経験,生活歴や生活環境,人間関係,そのときの体調や心理状態などが複雑に影響しあって発現するものである。
周辺症状には,易怒性や興奮,不穏,徘徊,暴言,暴力,尿失禁,過食,異食,介護抵抗などの行動症状と,妄想,幻覚,抑うつ,無気力・無関心などの心理症状とがあり,これらは,主に認知症の中期で現れるとされている。
周辺症状の,行動症状と心理症状には,それぞれ,陽性症状と陰性症状とがある。これらの周辺症状の発現は,認知症のタイプにより,いくらかの違いがある。
[4つのタイプの認知症(ATD,DLB,FTD,VD)とそれぞれの原因・周辺症状の特徴]
認知症には,4つのタイプがある。
このうち,アルツハイマー型認知症(ATD),レビー小体型認知症(DLB),前頭側頭型認知症(FTD)は,大脳皮質の変性疾患である。脳血管性認知症(VD)は,皮質白質を含めた大脳全体の疾患である。
(1)アルツハイマー型認知症(ATD:Alzheimer-type dementia)
ア 意義
アルツハイマー型認知症は,1906年にドイツの医師フロイス・アルツハイマーにより発見された。脳に特殊なタンパク質が蓄積し,記憶を司る海馬,海馬傍回,扁桃体といった大脳辺縁系を中心に,広範囲に脳が萎縮する。
記憶を司る海馬が萎縮するため,記憶障害が現れる。脳の萎縮が,側頭葉,頭頂葉に広がり,見当識障害も生じる。4つのタイプの中でもっとも症例が多いといわれている。
イ 障害される部位
アルツハイマー型認知症では,大脳皮質の側頭葉と頭頂葉が変性し,萎縮する。
ウ 特徴
アルツハイマー型認知症の特徴は,以下のとおりである(「厚生労働省の認知症施策等の概要について」p.2)。
・中核症状として記憶障害(物忘れ)が必ずあり,多くの場合,記憶障害から始まる。
・発症及び進行は緩やかで,記憶障害を含む複数の認知機能が持続的に低下し,段取りを立てられない,気候にあった服を選べない,薬の管理ができない等,日常生活において,以前できていたことができなくなってしまう。
・歩行障害は病期が進行しないと出現しない。
・周辺症状(BPSD)では,妄想,徘徊,せん妄等が多い。
(2)レビー小体型認知症(DLB:dementia with Lewy bodies)
ア 意義
レビー小体型認知症は,αヌクレインという特殊なタンパク質で構成される異常構造物である「レビー小体」が大脳皮質や脳幹に現れ(脳幹のみに現れるとパーキンソン病発症),脳神経細胞が死滅することで認知機能の障害が発生するものをいう。
イ 障害される部位
レビー小体型認知症では,脳の萎縮部位は一定ではない。
ウ 特徴
レビー小体型認知症の特徴は,以下のとおりである(「厚生労働省の認知症施策等の概要について」p.2)。
・認知機能の激しい変動
・ なまなましい「幻視」(幻覚)
・ 筋肉のこわばり(パーキンソン症状 )
(3)脳血管性認知症(VD: vascular dementia)
ア 意義
脳血管性認知症とは,脳の血管障害がもとで起こる認知症の総称である(河野和彦監修「認知症の事典」p.13)。脳血管障害には,脳血管が詰まる脳梗塞と,脳血管が破れる脳出血とがあり,脳血管性認知症の多くは脳梗塞が原因となる。
イ 障害される部位
脳血管性認知症では,皮質白質を含めた脳の一部分,あるいは,脳全体の機能低下をもたらす。
ウ 特徴
脳血管性認知症の特徴は,以下のとおりである(「厚生労働省の認知症施策等の概要について」のp.2)。
・脳血管障害が発生した脳の領域により出現する症状はさまざまだが,記憶障害,言語障害等が出やすく,階段状に進行することが多い。
・アルツハイマー型認知症と比べると比較的早期から歩行障害が出やすい。
(4)前頭側頭型認知症(FTD: fronto temporal dementia)
ア 意義
前頭側頭型認知症とは,前頭葉と側頭葉が障害されて起こる認知症の総称である。
特に多いのは,人格変化や反社会的行動が現れる前頭側頭型認知症であるが,言葉の意味が理解できなくなる「意味性認知症」,発語障害が特徴の「進行性非流暢性失語」も含まれる。
イ 障害される部位
前頭側頭型認知症の場合は,主に前頭葉と側頭葉が萎縮する。
ウ 特徴
前頭側頭型認知症の特徴は,以下のとおりである(「厚生労働省の認知症施策等の概要について」のp.2)。
・わが道を行く行動(会話中に突然立ち去る,万引きなど)
・常同行動(同じ行為を繰り返す)
・感情・情動変化(多幸・不機嫌・情動鈍麻など)
・食行動異常(食欲・嗜好の変化など)
【認知症の診断方法】
[DSM-5(「精神疾患の分類と診断の手引」日本語版用語監修日本精神神経学会)]
DSM(Diagnostic and Statisical of Manual of Mental Disordersの略)は,米国精神医学会が作成した精神疾患診断の手引書であり,世界各国で,精神疾患の診断基準として用いられている書籍である。
そして,DSM-5とは,5訂版という意味である。
DSM-5によれば,認知症(Major Neurocognitive disorder)の診断は,以下の基準によるとされる。
A.1つ以上の認知領域(複雑性注意,実行機能,学習および記憶,言語,知覚−運動,社会的認知)において,以前の行為水準から有意な認知の低下があるという証拠が以下に基づいている:
(1)本人,本人をよく知る情報提供者,または臨床家による,有意な認知機能の低下があったという懸念,
(2)標準化された神経心理学的検査に記録された,それがなければ他の定量化された臨床的評価によって実証された認知行為の障害
B.毎日の活動において,認知欠損が自立を阻害する(すなわち,最低限,請求書を支払う,内服薬を管理するなどの,複雑な手段的日常生活動作に援助を必要とする)。
C.その認知欠損は,せん妄の状況でのみ起こるものではない。
D.その認知欠損は,他の精神疾患によってうまく説明されない(例:うつ病,統合失調症)。
[診断の実際]
ア 認知症診断
現在の医学では,認知症の有無を判断する決定的な検査は存在しない。
臨床医は,認知症の有無を,殆どの場合,患者の生活状況を知る家族や周囲の人々からの情報収集と患者の診察・問診で判断する。
この方法で判断できない場合には,改訂長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)や脳画像検査を使ったとしても認知症の有無を判断することは困難である。
さらに言うならば,脳画像検査は診断の参考程度にしかならないという。脳画像で,海馬の萎縮が殆どなくてもアルツハイマー型認知症である場合もあれば,海馬の明らかな萎縮があり,アルツハイマー型認知症らしい所見があったとしても,臨床的には治療方法が全く異なるレビー小体型認知症の場合もあり,認知症診断で重要なのは脳画像で分かる脳の解剖ではなく脳の機能だということである。
イ 病型の鑑別
(ア)アルツハイマー型認知症
アルツハイマー型認知症は,記憶を司る海馬,海馬傍回,扁桃体といった大脳辺縁系を中心に,広範囲に脳が萎縮する。
記憶を司る海馬が萎縮するため記憶障害が現れ,側頭葉,頭頂葉にまで萎縮が広がると見当識障害も生じる。
鑑別に当たっては,認知症特有の物忘れ(❶体験の全体を忘れる,❷記憶障害に加えて,判断の障害や実行機能障害がある,❸物忘れの自覚に乏しい,❹探し物も誰かが盗ったということがある,❺見当識障害がみられる,❻しばしば取り繕いがみられる,❼日常生活に支障をきたす,❽進行性である,という特徴(厚労省H26「認知症施策の現状」p.8)に加え,以下の状況から判断する。
ⅰ.診察室に入室する際の歩行は,高齢なのに比較的元気である
ⅱ.椅子にスムーズに,自分から座る
ⅲ.物忘れをするか尋ねると,否定したり,大した問題ではないと返答する
ⅳ.質問に答えられないときに,意に介さず,無頓着であり,家族に同意や助けを求めるために振り返る
ⅴ.全体の印象として首から下は元気だったり,活発である
ⅵ.感情の易変性(夕方から夜など),幻覚もある場合あり
(イ)レビー小体型認知症
レビー小体型認知症は,異常構造物である「レビー小体」が大脳皮質や脳幹に現れることで認知機能の障害が発生するもので,脳の萎縮部位は一定ではない。
鑑別に当たっては,認知症特有の物忘れ(前記(ア)アルツハイマー型認知症の鑑別で述べたとおり)に加え,以下の状況から判断する。
ⅰ.診察室に入室する際の歩行は,小股,すり足歩行,不安定歩行で要介助
ⅱ.着座がぎこちない,不安定な座り方
ⅲ.物忘れをするか尋ねると,否定したり,大した問題ではないと返答する
ⅳ.質問に答えられないときに,意に介さず,無頓着であり,家族に同意や助けを求めるために振り返る
ⅴ.全体の印象として不活発,麻痺や筋強剛(筋肉の強張り),なんとなく元気がない。
また,レビー小体型認知症には,認知症症状に顕著な動揺性(変動性)が見られるという特徴がある。具体的には,㋐朝起床時や昼寝の後は調子が悪いが,数時間すると調子がよくなる,㋑1日の中で調子の良し悪しが明らか,㋒同じ薬を服用しているにもかかわらず症状に著しい違いが見られる,などである。
加えて,レビー小体型認知症には,㋓幻覚(見知らぬ人がいる,花瓶から蛇が出てくる等),㋔誤認(妻を死んだ母親と間違える,息子を自分の弟と間違える等),㋕錯視・変形視(床のホコリが虫に見える,室内の畳が歪んで見える等),㋖レム睡眠行動障害(睡眠中に大声を出す,隣に寝ている人間や家具を叩く,起き上がって徘徊する等)を伴うことが多く,㋗易転倒性・パーキンソン症状(不安定歩行,表情が乏しい,動作緩慢等)を伴うこともある。
(ウ)脳血管性認知症
脳血管性認知症とは,脳血管が詰まる脳梗塞と,脳血管が破れる脳出血とが原因となり,皮質白質を含めた脳の一部分,あるいは,脳全体の機能低下をもたらす。
鑑別に当たっては,認知症特有の物忘れ(前記(ア)アルツハイマー型認知症の鑑別で述べたとおり)に加え,以下の状況から判断する。
ⅰ.診察室に入室する際の歩行は,幅広歩行,不安定歩行で要介助
ⅱ.着座がぎこちない,不安定な座り方
ⅲ.全体の印象として不活発,麻痺や筋強剛,なんとなく元気がない
ⅳ.表情豊かでしばしば泣き笑い
(エ)前頭側頭型認知症
前頭側頭型認知症とは,前頭側頭型認知症の場合は,主に前頭葉と側頭葉が萎縮することによって生じる認知症である。
鑑別に当たっては,認知症特有の物忘れ(前記(ア)アルツハイマー型認知症の鑑別で述べたとおり)に加え,以下の状況から判断する。
ⅰ.易怒性,興奮,暴言がある
ⅱ.非道徳な行動をする
ⅲ.横柄,傲慢,自分勝手な態度
ⅳ.常同行動(反復的・儀式的な行動)がある
ⅴ.治療拒否する
ⅵ.生活上のだらしなさ,収集癖,迷惑行為がある
ⅶ.甘いもの好き,過食,異食がある
ウ 高齢者の認知症
80歳以上の高齢者では上記4タイプの認知症が2〜4種併存(混合)している場合が多いといわれている。
症状も,上記タイプの2〜4種が発現することになる。
そして,脳の変性疾患である認知症には,根本的な治療は不可能であり,今,困っている症状をコントロールすることが治療として重要となる。
エ 認知症と周辺症状の発現
認知症を発症すると,経過の途中で,周辺症状(BPSD)が出現する。
周辺症状には,易怒性や興奮,不穏,徘徊,暴言,暴力,尿失禁,過食,異食,介護抵抗などの行動症状と,妄想,幻覚,抑うつ,無気力・無関心などの心理症状とがあり,これらは,主に認知症の中期で現れるとされている。
周辺症状は,中核症状を元に,その患者の元々の性格や経験,人間関係,その時々の体調や心理状態等が複雑に影響し合って生じる。
認知症の初期には,抑うつや無気力,無関心,睡眠障害が現れやすく,幻覚や妄想が現れることもある。初期段階では,患者が物忘れを辛うじて自覚しているため,不安感,焦燥感からこれらが発現すると思われている。
そして,認知症が進行していくと,身体的な感覚が鈍くなり,尿失禁が現れる。弄便や徘徊も見られてくる。さらに,分からない,うまく行かない,思うようにならないということが怒りに繋がり,暴力的になっていく。暴言,暴力,脱抑制,さらに終末期近くには,人格変化が生じて,無言,無動,無為,失外套症候群(寝たきり状態)と進む。
なお,病型による特徴として,易怒性は,男女どちらにも認められ,妄想,特に物盗られ妄想はアルツハイマー型認知症(ATD)の女性に多いといわれている。「お金を盗られた」「財布を盗られた」「通帳を盗られた」等,お金にまつわる妄想が多く,身近な親族,介護者が攻撃対象になりやすい。
第2 要介護認定・日常生活自立度について
【要介護認定の仕組み】
介護保険制度では,寝たきりや認知症等で常時介護を必要とする状態(要介護状態)になった場合や,家事や身支度等の日常生活に支援が必要であり,特に介護予防サービスが効果的な状態(要支援状態)になった場合に,介護の必要度合いに応じた介護サービスを受けることができる。
要介護認定とは,この要介護状態や要支援状態にあるかどうかの程度判定を行うことであり,介護の必要量を全国一律の基準に基づき,客観的に判定する仕組みとなっている 。
【要介護認定の手順】
要介護認定は,まず,『一次判定』として,市町村の認定調査員による心身の状況調査(認定調査)及び主治医意見書に基づくコンピュータ判定を行う。次に,『二次判定』として,保健・医療・福祉の学識経験者により構成される介護認定審査会により,一次判定結果,主治医意見書等に基づき審査判定を行う。この結果に基づき,市町村が申請者についての要介護認定を行う。
【要介護認定の意味】
要介護認定は,「介護の手間」を表す「ものさし」としての時間である「要介護認定等基準時間」を下記基準にあてはめ,さらに痴呆性高齢者の指標を加味して実施するもので,「要介護認定等に係る介護認定審査会による審査及び判定の基準等に関する省令(平成11年4月30日厚生省令第58号)」として定められている(厚労省「(参考(3) 介護保険制度における要介護認定の仕組み)」)。
<5つの介護分野>
直接生活介助 | 入浴,排せつ,食事等の介護 |
間接生活介助 | 洗濯,掃除等の家事援助等 |
問題行動関連行為 | 徘徊に対する探索,不潔な行為に対する後始末等 |
機能訓練関連行為 | 歩行訓練,日常生活訓練等の機能訓練 |
医療関連行為 | 輸液の管理,じょくそうの処置等の診療の補助 |
要支援 | 上記5分野の要介護認定等基準時間が 25分以上 32分未満 またはこれに相当する状態 |
要介護1 | 上記5分野の要介護認定等基準時間が 32分以上 50分未満 またはこれに相当する状態 |
要介護2 | 上記5分野の要介護認定等基準時間が 50分以上 70分未満 またはこれに相当する状態 |
要介護3 | 上記5分野の要介護認定等基準時間が 70分以上 90分未満 またはこれに相当する状態 |
要介護4 | 上記5分野の要介護認定等基準時間が 90分以上110分未満 またはこれに相当する状態 |
要介護5 | 上記5分野の要介護認定等基準時間が110分以上 またはこれに相当する状態 |
【認知症高齢者の日常生活自立度】
上記のように,要介護度は,対象者の介護に要する手間(時間)を元にした形式的外形的な概念であるところ,実質的な対象者の心身の状態についての指標は,要介護認定に伴って判定された,「認知症高齢者の日常生活自立度」である。
認知症高齢者の日常生活自立度は,厚生労働省平成18年4月3日老健第135号厚生省老人保健福祉局長通知に示されたもので,要介護認定における,コンピュータによる一次判定や介護認定審査会における審査判定の際の参考として利用されている。
要介護度よりも,遺言能力との関係では,この日常生活自立度の方が重要である。
要介護度は,提供すべきサービス時間を基準にしたものであり,日常生活自立度とは,まさに認知症高齢者の能力に着目したものだからである。
第3 遺言能力について
【遺言能力】
有効に遺言をすることができる能力,いわゆる遺言能力は,一般的には,取引行為において要求される行為能力ではなく,事理弁識能力として,遺言事項を具体的に決定し,その法律効果を弁識するのに必要な判断能力(意思能力)とされている(東京地裁平成16年7月7日判決)。
なお,未成年者の遺言能力については,15歳以上とされている(民法961条)。
そもそも,遺言事項の中心は,財産処分行為,特に遺贈であり,同じく無償の財産移転である贈与において行為能力が要求されることから,遺贈と贈与で異なる取り扱いをすることには問題があるし,遺言による処分対象には,しばしば複数の高額財産が含まれる。
よって,一般的には15歳以上の知的水準があることが最低条件というべきであり,また,個別具体的な事案における遺言能力有無の判断に際しては,遺言内容に照らし,慎重に行うべきである。
【遺言能力が問題となる局面】
一般に,遺言能力が争われた事件のほとんどが,「遺言者が相続人のうち一部の者または第三者に財産を遺贈する旨の遺言が存在する場合において,この遺言によって不利益を受ける相続人が,遺言者が遺言当時能力を欠いていたことを理由に遺言の効力を争ったものであ」るという。
そして,紛争の事案も,「高齢者本人が自発的に自らの意思に基づいて遺言を作成したのではなく,周囲の者が,高齢者の精神能力の減退に乗じて,自分に有利な内容での遺言を作成させたと認められるような事件がかなり存在する」のであり,「要するに,遺言によって高齢者の財産の侵奪が行われているという事態が存在する」ともいう(立命館法学1996年5号(249号)1043頁(157頁))。
裁判においても,裁判官と,このような認識を共有したい。
【裁判例について】
近時の裁判例では,以下のとおり,①医学的見地,②遺言の内容・形式,③本人の状況と周囲の者との関係を判断要素とし,事案ごとに遺言能力の有無を判断している。
ア.東京地裁平成16年7月7日
「以上のとおり,医学的見地を踏まえた検討によれば,1回目の入院のころから,判断力・記憶力は低下し,中等程度の痴呆に相当する精神状態にあったものであり,その原因は,一時的なせん妄のみによるものではなく,脳血管性痴呆によるものと考えられ,これに前記認定事実,特に亡花子が本件自筆証書遺言を作成した経緯を併せて考えれば,本件自筆証書遺言当時,亡花子は,遺言の意味や内容を理解し,それが将来関係者にどのような影響を及ぼすかについて判断することができなかったというべきであるから,遺言能力を欠いていたと認めるのが相当である」
イ.東京地裁平成18年7月25日
「認知症の症状がみられ,介護を要する状態にあるからといって,直ちに遺言能力を有しないということはできないが,遺言者が遺言事項の意味内容,当該遺言をすることの意義を理解して遺言の意思を形成する能力を欠くに至った場合には,遺言能力は失われたものというべきである。本件遺言当時,A夫が所有していた別紙物件目録記載の土地建物は相当な財産的価値を有し,A夫にはF子のほか,E子,被告D子及び被告B子の3名の推定相続人がいたが,本件遺言は,上記建物を含む全財産をF子にのみ相続させるものであるから,A夫においてこのような遺言内容に相応する遺言の能力を有していることが必要である。…A夫は,F子とD子の要請で,法定相続分による旨の平成9年遺言をし,更に,平成11年4月26日に相続財産すべてをF子に相続させる旨の本件遺言をしたのであるが,A夫がそれまでの遺言と異なり,F子のみにすべての財産を相続させることとした特段の事情は見当たらない。…当時のA夫の認識,判断能力を併せて勘案すると,A夫が,その有する資産の価値や推定相続人との関係を踏まえて本件遺言の意味内容,意義を理解し,自らの意思で本件遺言書を作成することとしたものとは認められず,F子の求めるままに従い本件遺言書を作成したものと推認するのが相当であり,A夫には本件遺言の意味内容,意義を理解した上で遺言をする能力が失われていたものと考えるのが合理的である」
ウ.東京高裁平成22年7月15日
「認知症の症状として亡A子に出る症状は,金銭管理が困難であること,被害妄想的であること等であり,司法書士Bに話した内容,すなわち,被控訴人らから虐待を受けている,被控訴人らに絶対財産をやらない,財産を控訴人にあげたいと盛んに述べたということ自体,被害妄想の一つの表れとみることができる。そして,本件公正証書による遺言の内容は,長年亡A子と同居して介護に当たり,養子縁組もしている被控訴人らに一切の財産を相続させず,控訴人に遺贈するという内容であり,特に亡A子の財産に属する本件不動産には被控訴人らが居住していることも考え合わせると,このような認知症の症状下にある春子には,上記のような遺言事項の意味内容や当該遺言をすることの意義を理解して遺言意思を形成する能力があったものということはできない」
エ.東京高裁平成25年3月6日
「太郎は,自分の全財産を妻である花子に相続させるとの自筆による旧遺言書を作成しているところ,…花子が生存中であるにもかかわらず,全財産を被控訴人に相続させる旨の遺言を作成する合理的理由が見当たらない。このことは,本件における重要な間接事実であり,…以上によれば,太郎は,本件遺言時に遺言事項を具体的に決定し,その法律効果を弁識するのに必要な判断能力たる意思能力を備えてはおらず,遺言能力があったとはいえないから,本件遺言は有効とは認められない」
※以上,参考文献
厚生労働省HP
日本精神神経学会「認知症診療医テキスト」
「ウルトラ図解認知症」(朝田隆監修,法研)
「明日から役立つ認知症のかんたん診断と治療」(誠弘会池袋病院副院長脳神経外科部長平川亘著,日本医事新報社)
河野和彦監修「認知症の事典」(成美堂出版)
「DSM-5」(日本精神神経学会,医学書院)
「認知症診療入門」(八千代病院認知症疾患医療センター長川畑信也著,日経メディカル)