「ドライブ・マイ・カー」原作を読んで | ありのままにいきたい

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M男の生態と女性崇拝について。
性的な表現、非常に不快な気分にさせてしまう恐れがあります。
興味本位でも全く構いませんが、自己責任でどうぞ。

 濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」がゴールデングローブ賞の非英語映画賞と米アカデミー賞国際長編映画賞受賞を受賞しましたね。

素晴らしいです。

おめでとうございます。

 

 ご存じの通り、これは村上春樹氏原作の「女のいない男たち」という短編小説集に収められています。

村上春樹氏の長編を読んできましたが、私には「なるほどね」というところが少なくて、終わり方も「これでおしまいなのか」というなかなか理解をこえているなと感じました。

短編集はどうかというと、もし非常に乱暴に一行でまとめたら、

「男に女の心情など理解できるわけがない」

ということに思えました。

そんなこと当たり前で、

「女は子宮で考える」

というではないですか。

これは女性をディスっているようにも思えますが、私はもちろんそんな否定的な考えは持っていません。

女性と話していると

「あれ、この間は、貴女、こう言っていたじゃないですか。」

などとピンポイント攻撃というか、真実を告げると激しい怒りを向けるか、黙ってしまいますね。

それが女性良さであり、柔軟さと臨機応変の巧みなのだろうと思っています。

そんな生き物の心情を男が理解できるはずがないと思います。

美しい妻を亡くした男性がずっと立ち直れずにいて、しかも4人の男と浮気していたことが分かったら、それは心中穏やかでないのは当然のことです。

セックス依存症で、「毎日していないとかゆくなるから」という女性もあったことがありますが、性感染症のために掻痒感があるのではありませんか、といってあげたくなります。

そんな依存症でないのに4人の浮気相手のいる奥さんというのは、当然のこと、夫にないものを求めて彷徨ったのでしょう。

それは、夫も分かっていることで、詳細に解析してしまうと自身に何が足りないのか詳らかにする羽目になるのは当然のこと。

それを知って修正できるならいいですが、物事、「知らないでいる権利」というものもあります。

ただ、4人の浮気相手から、最終的に得た結論というのは知りたいですね。

浮気した配偶者を詰問したところ、

「俺はおまえの良さを再認識したかったからさ。」

「私はこれで、あなたの良さを再認識したわ。」

なんてもっともらしいことをいわれて、矛を収められるものでしょうか。

 

この小説で気になるのは、村上春樹氏の小説で、これまでにもあったのですが、ある特定の地域をディスっているのをあからさまにしていることです。

24歳のドライバー役の女性の出身地は滝上町なんだろうと思いますが、行っただけでは分かりません。しばらく住んで、どんなところを知ってほしいものです。

可憐な少女でないことで、父親から邪険に扱われ、母親は酒に溺れ、酒酔い運転の果てに事故死するという悲劇的な生い立ちもどうも作り物の匂いがプンプンして、北海道に特別な思いを持つ人間として、かなり苛立ちを覚えます。

東京の人間になど分からないでしょうね。

 

さて、浮気相手の男と擬似的な友情を結んで、亡くなった妻を偲びながら、男に対し、半ば報復の機会を探る辺り、非常にシンパシーがありますね。

男とはなんと女々しい生き物なのかと。

「女々しい」という言葉、「女の腐ったような」という形容と同じく、消えるべき言葉ですね。

 

“しかし妻の方は時折、彼以外の男と寝ていた。家福にわかっている限りでは、その相手は全部で四人だった。少なくとも定期的に彼女が性的な関係を持った相手が四人いたということだ。

妻はもちろんそんなことはおくびにも出さなかったが、彼女がほかの男にほかの場所で抱かれていることは、彼にはすぐにわかった。“

 

何で分かったのでしょうか。

私は分かりません。

スマホの通信記録でも見るか、興信所に頼んで、決定的な証拠でもみないと私は分からないでしょうね。

鈍感で良かったと思います。

 

“家福はそういう勘がもともといい方だったし、相手を真剣に愛していればそれくらいの気配はいやでも感じ取れる。”

 

だめです。

私は鈍感すぎるんでしょう。

 

 

“相手が誰なのかも、彼女の話の口調から簡単にわかった。

彼女が寝る相手は決まって映画で共演する俳優だった。

それも年下の場合が多かった。“

 

年下ですか。

なんだか男漁りみたいに思えます。

しかも「自家発電」ですか。

私の目では、あまり良い設定ではないような気がします。

同類の中から、答えを見つけることなどできないでしょう。

なぜ、浮気したんでしょうね。

 

 

“それなのになぜほかの男達と寝たりしたのか、そのりゆうを思い切って聞いておけば良かった。

君はいったい彼らに何を求めていたんだ?

ぼくに何が足りなかったんだ?“

 

頭でっかちになった夫を暑苦しく感じたんじゃないですか。

なんて思ったりもします。

そうすると近くにいる若い男を漁っただけとも言える気がします。

それなら浮気された夫は少し気が収まるのではないでしょうか。

 

 

“妻が他の男の腕に抱かれている様子を想像するのは、とってももちろんつらいことだった。

つらくないわけはない。

目を閉じるとあれこれと具体的なイメージが頭に浮かんでは消えた。

そんなことを想像したくはなかったが、想像しないわけにいかなかった。

想像は鋭利な刃物のように、時間をかけて容赦なく彼を切り刻んだ。“

 

段々「寝取られ」系の話になり、m男の私にはワクワク感がでてきます。

 

 

“知は無知に勝るというのが彼の基本的な考え方であり、生きる姿勢だった。”

 

これは素晴らしい言葉ですね。

私は仕事上で、

「知らないということを自慢するな。」

とキレてみせることがあります。

感情の爆発などはなく、恥を知りなさいと相手をたしなめるためです。

そんな時にこの言葉を使わせて頂きましょう。

 

“妻との交わりで感じたような親密な喜びを、彼はそこに見いだすことはできなかった。”

 

女性と出会い、そして別れる

そしてまた誰かと出会う

そんな時にバージョンアップというかグレードアップできたら、

「前の女性はこの人に出会うための足場だったんだ」

なんて都合よく考えたりするものですが、どう考えても前の方が良かった、となると男はいつまでも立ち直れません。

きっちりした理由があって別れたのに最高の時期を思い出しても鬱々となります。

困った生き物です。

 

“「悪いけれどもう子供は作りたくないの」

思い起こしてみれば、妻がほかの男と性的関係を持つようになったのは、そのあとからだった。“

 

あまりにも喪失感が大きくて、それを夫で埋めることができなかったから、ほかに救いを求めたということで、それでも奥さんは理知的で、ほかの男の子供を身ごもったりはしていませんから、客観的に見れば、奥さんの行動は理解できますし、思考も透けてみると思います。

この辺は、女性のお考えを伺いたいところです。

 

“あの手が、あの指が妻の裸の身体を撫でたのだ。”

 

考えすぎると病的な世界に迷い込ますよ、といってあげたい。

 

 

“おそらく死んだ人間は何も考えないし、何も感じない。それは、死ぬことの優れた点のひとつだった。”

 

こういう表現は嫌いです。

死を美化しないでください。

どんなに頑張っても、いつか皆死ぬのですから。

 

 

これから映画を見ようと思っているので、原作に対する考えを整理してみました。

皆さんは、映画を見てどんな感想を持たれたのでしょうね。

 

つぎはm男目線で、この原作にインスパイアされての改編してみたいと思います。