自分の人生はもちろん自分のものです。
いつも日陰に回りがち、その他大勢に組み込まれがちで、自分の意見など通らないだろうと初めから諦めて、意見さえ言えなくなっている人間にとって、
「あなたの人生の舞台ではあなたが主人公だから」
考えてみると滑稽で、笑ってしまうかもしれませんが、あなたの人生はあなたのものだし、誰も意見できるものではないと思います。
これが保証されていない社会は怖いです。
幸い、今のところ、自分の意思で意見表明もできるし、行動もできます。
それで完結するヒトはいいのですが、どうも自分の心に自信が持てなくて、裏付けや後ろ盾が欲しい時があります。
もう決心しているけど実行する一歩が出ない時、誰かが背中を押して欲しいと都合よく考えてしまったりします。
そんな場面で都合良く友人は現れてくれないものです。
そのお友達のためにあなたがこれまでにどれくらいのことをしてあげられたのか、何でも交換でもないのですが、あんまにヒトのために生きてこられなかったなと思ったら、まあ自分のためにアシストしてくれる人が現れないのも致し方ありません。
自分で飛ぶしかないんです。
飛ぶといってもビルから飛び降りないでください、プラットフォームからも飛びこまないでください。
あなたが目の前から消えてしまうことを心から悲しむ人がいることをほんの少し思い出してください。
ヒトのために生きる必要はありませんし、人の目にどう映るか気にすることもありません。
切羽詰まった時の話です。
でも、自分のことで精一杯の時に周囲の人間のことを思う余裕はないですね。
だから、本当に切羽詰まった時の話です。
どう考えても逃げ場がない辛い立場なら、逃げてください。
そう言っても、逃げるのにもエネルギーは必要で、前向きになど思考できない時にいつ来るかもしれない安息の日を想像することなどできませんね。
でも生きていてください。
私は、こんな人間なので、親友と呼べるほどのヒトは少ないのですが、高校の頃から何でも話せた友人が過労死してしまいました。
年賀欠礼のはがきが来て、天寿を全うされた方がいたのかなと思ったら、本人でした。
(本当は天寿を全うということはないと思っています。いくつであってもまだ生きてやりたいことがあったと思うので、これは遺族の方が諦めきれない思いを収めるための言葉と思っています)
会う機会はあったのにその頃私が精神的にギリギリの中になって、友人に泣き言をいうのはみっともないと思い、そのうち事態が好転したらあって話そうと考えていたら、2度と会えないところに行ってしまいました。
過労から自死される方もおられますが、友人は循環器系の突発的な事態に見舞われたようでした。
少し落ち着いてから、ご自宅に電話して、残されたご家族と話したところ、毎晩のように緊急の呼び出しがあって、あまりにも疲れ切って、どうしてよいか分からない状況だったそうでした。
ご家族もどこで止めたら良いか分からなかったようでした。
あれほど泣いたのは久しぶりでした。
私が自分の厳しい場面で、泣き言になったかもしれませんが、話す機会を作っていたら、もしかしたら、彼も私に自身の辛い状況を話してくれたかもしれません。
そうしたら、第三者の立場で仕事(と呼べる内容か分かりませんが)を止めてやれたかもしれません。
そう思うと何をどうしたらよいのか、良かったのか、分かりませんでした。
辛い時には人に話してみましょう。
話す相手を間違えると更に大変なことになりますが、きっとあなたの話を聞く人がいます。
自死するのも自由なのか。
それはもちろんそうです。
あまりにも闘病が辛い状況の方を止めていいでしょうか。
それは分かりません。
今、仮の場面設定をしても仕方ないので、とにかくご自身の思いを話してくださいということを述べさせて頂きたいです。
救いにならないかもしれませんが、思いを整理する時間を設けて頂きたいです。
辛いことがあって、学校に行けなくなった、生徒さん、学生さん。
周囲の目はとても気になると思います。
答えなどないかもしれませんが、袋小路に入り込んだら、慌てずに身を守った上で、ゆっくり考えてみましょう。
変なたとえはまずいのかもしれませんが、迷路で迷ったら、それは正解の経路が書かれた仕様書を見れば一発でしょうし、人生にそんなものは存在しないわけで、その時にはドローンで上空からみたら、進路は見つかるでしょう。
二次元で解決しないなら、三次元を使うというようなことです。
具体的に違う次元とは何かというと違う生き方をしている人、今の自分が目指している方向の先を行っている人に相談できれば、なぜ袋小路に見えるのか分かるかもしれません。
それには時間がかかるかもしれません。
それで、一気に後戻りできな行動に出ないで、安全を確保した上で、時間をかけて欲しいのです。
では、狂気に捕らわれてしまった人にはどうしたらいいのでしょうか。
精神科医に任せますか。
それでは事件は防げませんね。
心を開いてくれるとは思えませんが、孤立している人、思い詰めている人のことはつねに気に留めているように心がけています。
こんな事では事件に至るのを止められないでしょうが、不穏な言動や行動はあったんじゃないかなと思うと誰かがそれを止めろという安直な話ではなく、気づきの機会を作れないものかと考えてしまいました。
どうしたらよいのでしょうね。