夜中に屋台を担いで売り歩く
江戸時代のファストフード産業
←蕎麦屋の屋台(江戸深川資料館)関東のそば文化、関西のうどん文化と言われ、落語「時そば」は上方の「時うどん」が原型です。
しかし江戸でも上方でも、うどんとおそばの両方商う店がありました。
今でも関西ではうどん屋、関東では蕎麦屋という看板を掲げて、どちらも食べられる店がたくさんあります。
そんな時代が舞台の落語「おすわどん」・・・さてどんな噺でしょうか。
女房のお染とは大変仲のよいことで評判でしたが、そのお染が突然病の床に就いて、徳三郎に「そろそろお迎えが参りました。お前さんも後添えを考えなくてはいけませんね。あなたにしっかり尽くしてくれる人と結ばれてください。そうでない人が来た時、後悔するのはあなたです」といい終えると、すぐに亡くなります。
四十九日も過ぎて徳三郎に後添えの話があって、気立てがよくてお染も気に入っていた女中のおすわを迎えるよう説得されて後添えとします。
おすわは徳三郎に大変尽くしていましたし、店の奉公人からも「おすわどん」と呼ばれて人気があり、またまた仲のよい夫婦が出来上がりました。
ところがある夜中に徳三郎が小用をすませて部屋に戻ろうとすると、表の戸をバタバタと叩く音がして、「おすわどーん」呼ぶか細い声がします。
これが毎晩続くものですから、それを気に病んでおすわは寝込んでしまいます。
先妻のお染がおすわをうらんで幽霊となって出てきたのではないかと、店の者たちが恐れ始めます。
徳三郎は番頭にこの正体を見てもらうよう頼みますが「怖くってダメ!」と断られてしまい、町内に住む「荒木又ずれ」という浪人に頼むことになりました。
その晩のこと、浪人荒木又ずれが剣を構えて声の主を待っていますと、真夜中過ぎのいつもの時間に「バタバタバタ、おすわどーん」という声がします。
荒木又ずれが「待て!」と叫んで表へ出ますと、そこには屋台の蕎麦屋が座っております。
「お前か!毎晩上州屋の前で、先の女将さんの名前を呼ぶのは・・・。」
「いえ、あっしは蕎麦屋でございまして、ここで毎晩『おそば、うどーん』と売り声をあげておりました」と言います。
「しからばバタバタと戸を叩く音がするのは何じゃ」
「これは渋うちわで七輪を仰ぐ音ですよ」
「なんとな。拙者は店の主に頼まれて化け物に退治に参ったのだ。わしも武士、このまま手ぶらで帰るわけには参らん。その首を持ち帰りたい、打ち落とすからこれへ出せ」
これを聞いた蕎麦屋は驚いて
「私の一つしかない首は差し上げられません。その代わり私の息子を身代わりに立てますのでお許しを」と言って屋台のひきだしから蕎麦粉を取り出します。
「何ゆえこれがお前の息子だ」
「蕎麦屋の子だから蕎麦粉にございます」
「たわけたことを申すな。貴様これを何とするのだ」と又ずれは怒り狂います。
蕎麦屋は一言「ええ、手打ちになさいまし」
夜鳴きそばは夜鷹そばともいわれます。屋台を担いで江戸の町内を流して売り歩いていました。
火事の多かった江戸の町では、度々夜中に火を扱って売り歩く商売がご法度になったこともありました。
江戸の町は独身男性の比率が高かったこともあって、どこでも根強い人気があったようです。
夜中、小腹がすいたときに食べる麺類は格別にうまいもんですよね。


