斉明天皇 後飛鳥岡本宮 | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

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【平成30年6月13日(水)】

 

【後飛鳥岡本宮】(斉明天皇2年~斉明天皇6年)  所在地 : 奈良県明日香村川原1109 川原寺跡

第37代斉明天皇 在位:斉明天皇元年(655)~斉明天皇7年(661)

 

後飛鳥岡本宮(のちのあすかのおかもとのみや)

655年の冬に板蓋宮が火災に遭い、斉明天皇川原宮へ遷ったが、並行して新たな宮殿建設地の選定も行っており、翌年(656年)には岡本に新宮殿が建てられた。これが後飛鳥岡本宮である。斉明天皇舒明天皇の未亡人であり、亡き夫の旧宮地を選んだということになる。

しかし同年、この新しい宮も火災に遭う。

 

川原宮のあとは四たび飛鳥宮へ戻りますが、今回は後飛鳥岡本宮

 

【飛鳥京跡苑池】

飛鳥京跡(岡本宮)の西150mの処では飛鳥京跡苑池の発掘作業が行われていました。

 

飛鳥京跡苑池の南東には飛鳥京跡内郭と呼ばれる宮殿遺構の中心区画が位置しています。

苑池は、主に斉明天皇後飛鳥岡本宮(656年~)から天武天皇持統天皇飛鳥浄御原宮(672年~)の時期に、天皇が儀式や饗宴のために使用したとみられます。(休憩舎チラシ抜粋)

 

新しく建てられた飛鳥京跡苑池休憩舎。(板蓋宮からも正面に見える)

 

斉明天皇 越智崗上陵 

 

さて、この岡本宮の次は朝倉橘広庭宮なのですが、いつ行くかスケジュール等これから検討します…。