敏達天皇 百済大井宮 伝承地その1 吉備池廃寺付近 | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

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【平成30年5月10日(木)】

 

【百済大井宮】(敏達天皇元年~敏達天皇4年)  所在地:奈良県桜井市吉備 吉備池廃寺跡

第30代敏達天皇 在位:敏達天皇4年(AD572)~敏達天皇14年(AD585

 

百済大井宮(くだらのおおいのみや)は、その場所が未だに特定されてなく、ここ桜井市吉備や、広陵町の百済寺の他、大阪府河内長野市太井・大阪府富田林市甲田など諸説あります。

その中でも最有力なのが、百済大寺の可能性が大きいとされる、ここ桜井市吉備の吉備池廃寺跡付近だと云われています。

 

吉備池廃寺跡へは吉備池の北側からしか行けません。

途中、吉備池北側に鎮座する「吉備春日神社」横に「神武天皇蹟磐余邑顕彰碑」が建っていました。

 

吉備池北岸より南側を眺望

右側に天香久山が見える。

 

生い茂る雑草をかき分けなんとか南岸に辿り着きました。

 

敏達天皇 河内磯長中尾陵