雄略天皇 泊瀬朝倉宮 伝承地その4 十二神社 | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

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【平成30年4月5日(木)】

 

 

【泊瀬朝倉宮】(安康天皇3年~)  所在地:奈良県桜井市岩坂363 十二神社

第21代雄略天皇 在位:安康天皇3年(AD456)~雄略天皇23年(AD479)

 

白山神社前からR165を東に1.3km程行き出雲交差点を右(狛・岩坂方面)へ。

そこから車で10分程狭い舗装道路を九十九折に登って行くと岩坂地区の最深部に十二神社が鎮座しています。

桜井市上岩坂の磐坂谷が、朝倉宮の地であろうとの説は、「帝王編年記」や「和州旧跡幽考」などで、述べられており、その候補地として十二神社境内があげられている。泊瀬朝倉と呼ばれる範囲は、初瀬谷の入口部・慈恩寺あたりから、長谷寺までの谷筋で、初瀬川の氾濫を想定して、このような高所に宮殿を作ったと、推定されたものであろう。(説明書きより)

 

私見ですが、ここもまた天の森同様、高台に位置しており、見張櫓の役割としてここを使っていたような気がします。

 

雄略天皇 丹比高鷲原陵