仲哀天皇 筑紫橿日宮 | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

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【平成30年3月26日(月)】

 

豊浦宮からは九州に渡り、香椎宮

 

【筑紫橿日宮】(仲哀天皇8年~) 所在地:福岡県福岡市東区香椎4-16-1 香椎宮

第14代仲哀天皇 在位:仲哀天皇元年(AD192)~仲哀天皇9年(AD200)

 

香椎宮へはJR香椎線「香椎神宮」駅が最寄りですが、乗り継ぎがうまくいかず「香椎」駅から歩きました。

 

香椎駅から15分程歩くとまたまた正面参道ではなく北東側に辿り着きます。

この鳥居の反対側に古宮(橿日宮)があります。

 

仲哀天皇はここで崩御され大正四年迄ここに祀られていたとのことで、香椎廟とも呼ばれています。

 

宮跡の石碑はこの奥にありました。

金色の文字が神々しい!

 

 

筑紫橿日宮(つくしのかしいのみや、福岡県福岡市東区香椎の香椎宮が伝承地)

8年、熊襲討伐のため神功皇后とともに筑紫に赴いた仲哀天皇は、神懸りした神功皇后から神のお告げを受けた。それは西海の宝の国(新羅のこと)を授けるという神託であった。しかし、仲哀天皇は、これを信じず神を非難した。翌年2月に急に崩じてしまい、神の怒りに触れたと見なされた。『日本書紀』内の一書(異説)や『天書紀』では熊襲の矢に当たり橿日宮(訶志比宮)に同地で崩御したとされる。遺体は武内宿禰により海路穴門(穴戸海峡、現在の下関海峡)を通って穴戸豊浦宮で殯された。

 

【香椎宮】

こちらが正面鳥居

楼門前の桜は満開!

 

御神木の「綾杉」 神功皇后が「とこしへに本朝を鎮め護るべし」と祈りを込めて植えられたという。

 

中門

 

拝殿

 

 

武内宿禰を祀った武内神社

境内には武内宿禰像があります。

 

皇后陛下御放生の亀乃池

 

この矢印の先に最初の鳥居があり、その向こうに古宮があります。

 

 

巻尾神社

 

 

このあともう一宮参拝してきます。