仲哀天皇 穴門豊浦宮 | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

3年半かけて天皇陵、皇后陵を歴代順に廻りました。
1年半かけて宮(皇居)を歴代順に廻りました。
普段は奈良を中心に周りで起こった他愛のない出来事を綴っていきます。
ペナントレース中は甲子園球場に出没しています!
奈良まほろば検定 奈良通1級合格。

【平成30年3月26日(月)】

 

実は先々週の12日に夜行バスで行くことにしてたのですが、近鉄に乗ったは良いが枚岡駅で人身事故のため額田駅で足止めでバスに辿り着けず…。すぐの復旧目途が立たないようなので敢え無くキャンセルに…。(7500円返せ!)

で、リベンジで本日決行してきました!(バスは懲りたので新幹線で!)

 

【穴門豊浦宮】(仲哀天皇2年~) 所在地:山口県下関市長府宮の内町1-18 忌宮神社

第14代仲哀天皇 在位:仲哀天皇元年(AD192)~仲哀天皇9年(AD200)

 

新山口で在来線に乗換えて長府駅下車。

 

長府からはバスで城下町長府。

 

鳥居前通りには維新発祥の地の記念碑がありました!

 

鳥居前通りは東参道でした。

 

こちらが正面参道の鳥居

拝殿

 

 

豊浦宮の石碑は拝殿の西、西参道側にありました。

境内の桜はまだちらほら咲きでした。

 

神功皇后お手植えの「さか松」

 

穴門豊浦宮(あなとのとゆらのみや、山口県下関市長府宮の内町の忌宮神社が伝承地)

 

古事記・日本書記によれば、第14代仲哀天皇は九州熊襲征伐のためのご西下になられ、ここに仮の皇居「豊浦宮」を興して7年間ご滞在になられて神功皇后と共にそのご準備を進められた。

古くよりこの地は、九州にほど近い要衝の地であったことが窺える。(豊浦宮石碑説明書きより)

 

 

ここからさほど遠くない処(約600m)には以前訪問した仲哀天皇殯斂地があります。

 

仲哀天皇惠我長野西陵

 

このあとは九州に渡ります!