光厳天皇 分骨所 | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

3年半かけて天皇陵、皇后陵を歴代順に廻りました。
1年半かけて宮(皇居)を歴代順に廻りました。
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奈良まほろば検定 奈良通1級合格。

【平成29年6月23日(金)参拝】

 

光厳天皇の陵墓は先日の山国陵以外にも天野山金剛寺には分骨所、嵐山金剛院には髪塔があり、今回は分骨所のある天野山金剛寺に行って来ました。

 

光厳天皇分骨所 所在地:大阪市河内長野市天野町996 金剛寺境内

 

               

楼門(重文)

 

               

多宝塔(重文)と金堂(重文)                       後村上帝御手植桜

 

               

五佛堂、御影堂を右に                         法具蔵と護摩堂の間の石段の先が御陵

 

               

境内の一番上                                立派な御陵

 

               

 

               

 

               

五輪塔がちょこんと建っているのがかわいい!

 

               

                                        見晴らし最高!

 

               

 

天野山 金剛寺は、奈良時代、天平年間(729~749年)に聖武天皇〔しょうむてんのう〕の命により、当時の高僧である行基によって開かれたといわれています。また、平安時代に弘法大師(空海)が修行した聖地といわれています。

鎌倉時代の終わりには、後醍醐天皇〔ごだいごてんのう〕との関係ができ、南北朝時代に、金剛寺は南朝方の拠点となり、正平9年(1354)からの6ケ年にわたり、南朝後村上天皇〔ごむらかみてんのう〕が、子院〔しいん〕の「摩尼院〔まにいん〕」と「食堂〔じきどう〕」を行宮〔あんぐう〕として用いていました。その間、 一時、北朝の三上皇(光厳・光明・崇光)及び直仁親王が、子院「観蔵院〔かんぞういん〕」に幽閉されたことがありました。(金剛寺HPより)