光厳天皇 髪塔 | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

3年半かけて天皇陵、皇后陵を歴代順に廻りました。
1年半かけて宮(皇居)を歴代順に廻りました。
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奈良まほろば検定 奈良通1級合格。

【平成29年6月24日(土)参拝】

 

梅雨の晴れ間を有効にと出かけてきました。

 

光厳天皇 髪塔 所在地:京都市右京区嵯峨天龍寺北造路町

 

嵐電「嵐山」駅から北に75mで天龍寺の総門。髪塔はその総門の真向かいにあります。

               

 

               

 

               

 

               

 

               

 

光厳天皇山国陵    光厳天皇分骨所

 

 

大梅山 長福寺 所在地:京都市右京区梅津中村町36

 

長福寺の解説に次の一文があります。

1352年、北朝初代・光厳天皇妃・陽禄門院が亡くなり、当寺に葬られる。(『玉英記抄』)

 

但し、この長福寺は非公開だそうで門は固く閉じたままの為、お墓があるのかどうかは不明…。

まぁ一応、外からでも参拝しておこうと、髪塔参拝の後、行ってきました。

               

 

               

 

正親町三条 秀子(おおぎまちさんじょう ひでこ、応長元年(1311年) - 正平7年11月28日(1353年1月12日))は、南北朝時代・室町時代の女性。光厳天皇典侍で、崇光天皇後光厳天皇生母。父は内大臣正親町三条公秀。准三宮。院号は陽禄門院

延元2年(1337年)3月に従三位に叙任。正平7年(1352年)10月に院号宣下と同時に准三宮となり、同年出家して、11月28日に42歳で薨去した。