後村上天皇女御 長慶、後亀山天皇生母 嘉喜門院 御廟所(美具久留御魂神社) | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

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【平成29年6月1日(木)参拝】

 

観心寺からの帰り道、後村上天皇女御長慶帝後亀山帝生母とされる嘉喜門院の御廟所が富田林の美具久留御魂神社にあるというので寄って来ました。

公共機関では近鉄長野線「喜志」駅から南西1kmの処にあります。

 

後村上天皇女御 嘉喜門院 御廟所 所在地:大阪府富田林市宮町3丁目2053(美具久留御魂神社境外)

               

 

               

                                        御廟所は境内右奥にあります。

 

               

菊御紋がある奥の祠が御廟所と思われる。

 

               

 

               

 

嘉喜門院(かきもんいん、生没年不詳)は、南北朝時代女院・歌人。南朝後村上天皇女御にして、長慶天皇生母と推定されるが、加えて後亀山天皇生母でもあるか。正平23年(1368年)の後村上天皇崩御の後、女院号宣下を受け、間もなく落飾した。近世の南朝系図によって、関白近衛経忠の女で、名は勝子(かつこ/しょうし)とされることが多いが、それを裏付ける史料はない。ただ、関白二条師基猶子となったことはほぼ確実である。琴の名手と伝えられる。三位局とも。

 

嘉喜門院の作は『嘉喜門院集』・『新葉和歌集』に見ることができる。歌風はオーソドックスな二条派で、南朝の衰運を反映し、哀愁を帯びたものが多い。嘉喜門院は様々な人物と贈答歌を交わしており、『嘉喜門院集』からは、本人17首および長慶天皇4首と新宣陽門院1首の計22首が『新葉和歌集』に採録されている。

 

 

(参考文献: 2017年2月27日付ウィキ抜粋)