【平成29年4月19日(水)参拝】
本来の御陵は京都の栗田山陵ですが、ここ叡福寺には分骨所があります。
後嵯峨天皇中宮 皇太后 西園寺姞子 分骨所 所在地:大阪府南河内郡太子町太子2146叡福寺内
聖徳廟参拝以来2年ぶり…いやっ…670年ぶりの叡福寺再訪です。
南大門の向こうに御廟が見える 聖徳廟の入口、二天門
御廟は何度来ても空気が澄んでるような気がします。 姞子分骨所は御廟の右奥にあります。
聖徳御廟の結界石沿いに行きます。
西園寺 姞子(さいおんじ きつし、嘉禄元年(1225年) - 正応5年9月9日(1292年10月20日))は、後嵯峨天皇の中宮で後に皇太后。西園寺実氏の長女で、母は四条隆衡の娘・四条貞子(北山准后)。後深草・亀山両天皇の生母、女院。院号は大宮院(おおみやいん)。法名は遍智覚(へんちかく)。
正応5年(1292年)に68歳で崩じ、粟田山陵(京都市左京区)に葬られた他、聖徳太子の墓所がある叡福寺(大阪府太子町)内に分骨されて宝篋印塔(分骨塔)が建てられた。 (参考文献:2017年2月27日ウィキ抜粋)