応神天皇皇子 若野毛二俣王 垣籠古墳 | 倭は国のまほろば…残された憧憬を訪ねて…。

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3年半かけて天皇陵、皇后陵を歴代順に廻りました。
1年半かけて宮(皇居)を歴代順に廻りました。
普段は奈良を中心に周りで起こった他愛のない出来事を綴っていきます。
ペナントレース中は甲子園球場に出没しています!
奈良まほろば検定 奈良通1級合格。

【平成27年2月7日(土)訪問】

本来なら、次は継体天皇なのですが、先代の武烈天皇に継嗣が無かったことから、応神天皇の五世孫(応神天皇-若野毛二俣王-意富富等王-乎非王-彦主人王-継体天皇)という遠い傍系が即位するという緊急事態に、その継体天皇の血統を遡るべく今回、琵琶湖周辺迄探索してきました。
当初は、継体天皇の御父「彦主人王」の陵とされる安曇陵墓参考地だけで良いかなと思ってたのですが、色々とググってるうちに応神天皇の皇子「若野毛二俣王」(稚野毛二派皇子)の墓と伝承される古墳が長浜にあるのを見つけてしまったからには行かねばということで先にそちらへ行って来ました。

冬の1デイパス(3600円)を購入し、いざ長浜へ!   途中車窓から見えた比良山系が真っ白で綺麗!




長浜駅からはバスで30分「北郷里公民館前」下車。


ここから見た伊吹山がめっさ美しい!



東に15分位歩いた処に「「垣籠古墳」はありました。
【伝若野毛二俣王墓 垣籠古墳】
長浜茶臼山古墳の南に位置する全長55mの前方後円墳ですが後円部は住宅によって削平されています。5世紀末にかけて築造。若野毛二俣王の陵墓との伝承があります。別名王塚古墳。
所在地:長浜市垣籠町塚本

【若野毛二俣王】
応神天皇の皇子とされる人物。稚野毛二派皇子(わかのけふたまたのみこ)などともいう。「日本書紀」応神2年3月に天皇が河派仲彦(かわまたなかつひこ)の女弟姫を妃とし,この皇子を生んだとみえるが,「古事記」応神巻には母を咋俣長日子(くいまたながひこ)王の女息長(おきなが)真若中比売とする。皇子の女子の忍坂大中姫は允恭天皇の皇后となり安康・雄略両天皇を生んだとされ,一方,男子の意富々杼(おおおど)王は「釈日本紀」所引の〈上宮記〉によれば継体天皇の系譜に接続している。





古墳前方部に祠がありました。




垣籠古墳から東に100mくらい行ったところに「オサキ山古墳」があります。(左の写真の左奥に見えてる)
実はこの古墳はさっきの「垣籠古墳」のすぐ近くにあることから若野毛二俣王の妃「真若媛」の墓との伝承があります。御妃⇒オキサキ⇒オサキになったんでしょうか?




若野毛二俣王の皇子、意富富杼王の墓と伝承される布勢古墳が米原付近にあるようですがイマイチ伝承性が薄いようなので見送りました。またその子である乎非王についても墓の詳細が判りませんでした。
(なにか有力情報があれば一報下さいませ。)


この奥の山の向こうには敏達天皇皇后広姫「息長陵」があるので、いずれまたこの地に戻ってきます。。。

そしてここから次の目的地、琵琶湖対岸の安曇川に向かいます。