今回の参詣は、板橋区蓮根から西台までの5社を巡ります。まずは蓮根氷川神社へ。

ここは都営三田線『蓮根駅』から南へ600メートルほどのところ。

蓮根(はすね)は、かつてあった蓮沼村、根葉村(ねっぱむら)の両村が明治時代に合併して一文字ずつを取って誕生した地名。レンコンは全然関係ないんだけど、6月に「はすねレンコン祭り」が開催されたり、蓮根レンコンマンという謎の居酒屋店主がいたりする(らしい)。

 

 

 

 

鳥居

支柱の表に「天下泰平」「國家安全」、裏には「寛政四壬子(1792)」とあります。

今では国家といえば安寧か安穏が一般的ですが、徳川家光なんかは造営した建物の棟札に国家安全を好んで使っていて、秀忠、家綱は使ってないのですが江戸時代はこっちのほうが一般的だったのかも。

 

 

 

 

手水舎

背面に「昭和四十五年九月吉日建之 氏子中」とあります。

 

 

 

 

蓮根氷川神社

大正13年の新河岸川開削より以前は、ここより北に2kmほど先にある志村橋のあたりに鎮座していたといいます。志村橋付近には今も舟渡氷川神社、浮間氷川神社があり、とても近い範囲に三社あったことになります。

当社は元蓮沼、上蓮沼、根葉の三ヶ村の総鎮守です。

 

 

 

 

狛犬

右が阿形で獅子、左が吽形で狛犬。

 

 

 

 

大正13年(1924)の遷座なので、3年後の令和6年(2024)にご遷座100周年です。

3年あったらさすがに新型コロナも収まってそうだけど。

御由緒

境内掲示より字体改行などそのまま記載

氷川神社

 当社は、須佐之男命、奇稲田姫命の御祭神を奉

祀しています。

 もともとは、蓮沼村前沼にあった丸池の沼畔(現

在の志村橋近辺)に鎮座していました。文政十一

年(一八二八)に完成した地誌、『新編武蔵風土記

稿』には、蓮沼村の記事に「氷川社三、一ハ村ノ

鎮守、一ハ蓮沼・根葉二村ノ鎮守、共ニ南蔵院持、

一ハ金剛院持」とあり、蓮沼・根葉両村の鎮守で

した。明治三十三年(一九〇〇)に当時の上蓮沼

村と根葉村が合併して蓮根地域となると、同地域

の鎮守となりました。大正十三年(一九二四)の

荒川上流改修工事(新河岸川開鑿)にともない、

現在地に遷座しました。

 境内には、末社として御嶽神社、稲荷社が祀ら

れ、また古い石祠が残っています。

 平成二十六年十二月

 板橋区教育委員会

 

 

 

蓮根稲荷神社

本社殿の右脇に鎮座しています。

稲荷の手水鉢には「安政四巳年四月吉日 別當蓮華寺」と見えます。西暦で1857年。

 

 

 

 

参道脇にあった石碑には、「祠 當所ハ往時ヨリ稲荷神社三社鎮座在ラセラレシガ昭和十年九月宮●ニ依リ此所ニ遷座合祀セリ 昭和十年九月吉日 社掌 氏子惣代」とあります。

 

 

 

御嶽神社

富士塚が造成され、頂上に御嶽神社が鎮座していて、「文政十亥歳三月(1827)」とあり、五合目あたりも祠があります。

ちょうど富士山の五合目に小御嶽神社があるようにそれを模して置かれているのかも。しかもこの祠、「正徳二壬辰天十一月四日願主宥壽𨥆●」と刻まれているのがわかります。正徳二年は西暦1712年。祠だけ別の場所から持ってきたことも考えられますが、もしこの富士塚の造成年だとしたら、都内で最古の高田富士(新宿水稲荷神社)のものより68年も古いことになります。しかも「大江戸のお富士さん」に当社は未収録。

 

 

 

 

富士塚からの景色。

1.2mぐらいの高さでは、あまり変わらない。

 

 

 

写真はすべて、2020.12.6 撮影

 

備考

社号 氷川神社

創建 文政十一年(1828)以前

祭神 須佐之男命 奇稲田姫命

祭日 2月初午(稲荷神社)

    9月上旬例大祭 ※2年毎か

末社 蓮根稲荷神社 御嶽神社

社務所 浮間氷川神社の兼務

所在地 東京都板橋区蓮根2ー6ー1

その他 令和6年ご遷座100周年