今回の参詣は、目黒区南の高木神社へ。

ここは東急東横線「学芸大学駅」から南に1.5㎞ほど、環七通りからは「大岡山小前」交差点から東へ500メートルほどのところにある住宅街の中。

 

 

 

高木神社は、碑文谷八幡宮参道の手前を左に曲がったところにあります。

この辺りは「子之神」集落といったそうで、土地の守護神として、元は第六天と子の神(大国主命)を祀った神社だったといいます。

 

 

 

手水

「大正十一年 十月吉日」と刻まれる。

 

 

 

 

狛犬

右が子抱きで、阿形。右が鞠を抱え吽形。

台座部に「昭和四年十月 溝口石工 内藤慶雲刻」とある。

 

 

 

 

獅子の下に飴玉が置かれ、ちょうど子獅子が欲しがっているように見えた。

 

 

 

 

御由緒

境内掲示より字体改行などそのまま記載

高木神社 南2-1-40

 この神社の創建年代は不明ですが、かなり古くからあり、碑文谷村

時代には、子之神集落の守護神として「第六天」と呼ばれていました。

 江戸時代から第六天と子の神(子の方角の神で、大黒天・大国主命)

及び高皇産霊神を祀り農村の水神として、また霊験あらたかな神様と

して敬仰されていました。

 明治になって高木神社と名付けられ、祭神は大己貴命となっていま

す。境内には天明8年刻名の角柱文字塔型道標があります。この道標は

今の環7道路の位置から移されたものです。

 平成3年3月

 目黒区教育委員会

 

 

 

 

 

角柱文字塔型道標

正面上部に「荏原郡 庚申講中 碑文谷村」、下部に「目黒 當道 二王尊」

右側面は摩滅が酷くほとんど読めないけど、奉納者の氏名が少なくとも三名分ある。

背面上部は「左丸子 ●池上道 ●新田」とあり、下部は奉納者名。

左側面上部は「品川 ●大森道 天明八戌申十二月吉日」、下部は「冨岡平蔵 冨岡善五郎 冨岡金蔵」とある。

日影の左側だけ状態が良く、それ以外は劣化が激しく、また上部は盃状穴という一種の固い岩への穴開け信仰(耳の通りが良くなるとか、安産祈願)の形跡が見られ、そのせいもあって字が読めない。

盃状穴については大井の九頭龍権現水神社の項に詳しくあります。

 

 

 

 

写真はすべて2019.3.24 撮影

 

備考

社号 高木神社

旧称 第六天社

創建

祭神 高皇産霊神・大己貴命

祭日

末社

社務所 碑文谷八幡宮が兼務

所在地 東京都目黒区南2-1-40

その他