小舟町八雲神社の画像

今回の参詣は、通常の神社参拝とは異なり、中央区日本橋小舟町の八雲神社のご祭礼。

八雲神社とはいっても小舟町に境内やお社を有して鎮座しているわけではなく、通常は神田神社の境内社としてお祀りされていて、4年に一度催行される八雲祭の時に、日本橋堀留町の堀留児童公園内に仮宮(御旅所)が設けられ、公園から小舟町内全域を渡御される特別な行事です。

 

 

 

 

八雲祭

2018年9月15日。この日は午前中から雨が降っていて、ちょうど訪れた15時に雨足が遠のいた。

このお祭りは4年毎に開催されていて、知っている限りでは、平成17年(2005)、22年(2010)、26年(2014)と続いて、開催が5年空いた事例もあった。氏子地域が小舟町のみと非常に狭く、私が勤めていた京橋周辺地域でさえポスターの掲示などは無く、確実に知っているであろう神輿の担ぎ手のSNSも、ローカル新聞もだいたい事後報告。事前に知るのが極めて困難。

 

 

 

 

 

小舟町八雲神社 (写真は左から江戸神社・大伝馬町八雲神社・小舟町八雲神社)

当社小舟町八雲神社 江戸神社大伝馬町八雲神社 と合わせ、『三天王』と称された神田神社の境内社。

大宝二年(702)に鎮座と伝わる古社で、今の皇居吹上御苑のあたりにあった。江戸城を拡大する時、芝崎(大手町)にあった神田神社とともに現在地に遷座された。この三社はいずれも祭神はスサノオノミコトであり、かつては6月に各町持ち回りで祇園会を斎行したが今は小舟町に残るのみ。

 

 

 

 

江戸の三天王

江戸神社 南伝馬町の天王または仲橋天王

御祭神は牛頭天王即ち素盞鳴命(大政所)。江戸総鎮守の神田神社は天平二年(720)、江戸城鎮護の山王日枝神社が太田道灌の時代(室町時代)の創建であることから、江戸の地主神、拠って江戸神社と称される。当社の氏子町は南伝馬町で、祭礼の時は今の京橋に仮宮が設けられたといい、また上記の由来により神輿を江戸城内大手門の橋上まで進めた。現在は祭礼は無いものの、神田祭の時に御神輿が神幸する。

 

大伝馬町八雲神社 大伝馬町の天王

かつては八王子(素盞鳴命の御子神五男三女)を祀るとされたが、現在の祭神はこちらも素盞鳴命。

当社の氏子町は大伝馬町で、祭礼の時は今の日本橋大伝馬町に仮宮が設けられた。現在祭礼は無い。

 

小舟町八雲神社 小舟町の天王

かつては櫛名田姫(本御前)を祀り、現在の祭神はこちらも素盞鳴命。

当社の氏子町は小舟町で、仮宮は前述の通り。

 

 

 

 

小舟町と聞いても、今でこそ日本橋地域のいち町名というぐらいしか思いつかない程なんだけど、かつては江戸湊から水揚げされた海産物が集まる日本橋河岸から近く、水路を生かして漁業や物資輸送で栄えた地域。そんな小舟町の人々が信心と心意気からか、浅草寺に奉納したのが、宝蔵門に掛かるあの巨大提灯なのだそう。およそ350年前に始まり、今でも「小舟町」「魚がし」の提灯が参拝者をお迎えしている。

 

 

 

 

もう一つ、天王の氏子の信仰心にまつわるものがある。

こちらは赤坂の山王日枝神社の境内末社、「山王稲荷神社」に並び祀られている「八坂神社(右)」。

実はこの八坂神社は、関東大震災で神田神社境内社の三天王の宮居と神輿などが焼失した際、いち早い復興を願う天王の氏子によって日枝神社の末社として勧請されたもの。その名残として燈籠や狛犬に南伝馬町など三ヶ町の名が刻まれている。

 

 

 

 

四神旗と剱

天上四方の神として、東に青龍、西に白虎、南に朱雀、北を玄武とし、それに適った地を四神相応という。日本で代表的なのは平安京の東に鴨川、西に山陽道、南に巨椋池、北に船岡山があるように、江戸城もまた東に平川(隅田川とも)、西に東海道、南に江戸湾、北に麹町台地(神田山)と天下の格に適うよう四神を配している。

普段は八雲神社の社殿内に納められていて、例大祭の時にこうして立てられる。

 

 

 

 

御由緒

仮宮の掲示より字体改行などそのまま記載

 小舟町八雲神社

小舟町八雲神社は、往古は牛頭天王社(牛頭天王

=祇園精舎の守護神で薬師如来の化身)と称し祇園

三社の一。

素盞鳴命・櫛名田姫・を祭神に祀り、大宝二年(七〇二年)の鎮座

と伝えられ、江戸城内吹上御苑に鎮座されていたが 元和年間

(一六一六年~一六二四年)江戸城修築の折、神田明神と共に現在地

に遷座されたと云う。明治維新のとき八雲神社と改称された。

祇園三社(江戸神社=一の宮、大伝馬町八雲神社=二の宮、小舟町

八雲神社=三の宮)は神田明神の地主神として古き鎮座であり、神田の

三天王とも江戸の三天王とも云われ、各宮の祭礼が執行されて

天王祭と称され昔時は大変な賑わいをみせました。

 

小舟町が此の祭典を執行するようになったのは、今から二九〇年前の

貞享四年六月、小伝馬上町より受け継いで小舟町の内に宮元を定め御旅所

に奉祭した事に始まると伝えられる。明治維新前は公命により江戸

全町域の疫病退散の為、毎年六月江戸城大手門、南、

北町奉行所、日本橋々上で神輿を奉安祀祷した例もあり

山王、神田両大祭に次ぎ由緒ある祭礼です。大祭には地元

小舟町内に御旅所、神楽殿、大注連縄、楼門、額堂、大鳥居

踊屋台等を設け、神輿巡行の産土町は周囲六十余ヶ町にも及びました。

また、牛頭天王祭について古誌は、正徳中(一七一一年~一七一六年)

以来恒例となりて長く小舟町に神輿を置き之を祭りて、神幸は先に

太鼓、次に大榊、玄武・白虎・朱雀・青龍・日月等の鉾、次に太鼓

獅子頭一対、次に神輿と伝えられています。

 

神田明神境内にある八雲神社御神庫(文化六年=一八〇九年=建立

昭和七年再建)は小舟町の象徴であり、現在の大神輿、四神旗等は

総て関東大震災で焼失したものを昭和六年に再元したものです。

 

 

 

 

写真はすべて2018.9.15 撮影

 

備考

社号 八雲神社

別名 小舟町天王 小舟町八雲神社

創建 伝大宝二年(702)

祭神 牛頭天王(素盞鳴命) 櫛名田姫

祭日 9月15日(おおよそ4年に一度)

末社

社務所

所在地 東京都中央区日本橋堀留町1丁目1-16

その他 4年毎に開催、堀留児童公園に特設

 

 

 

 

神輿渡御

午前と午後に分けて巡幸される。

昔はお隣の日本橋堀留町も下小舟町と言って、元は小舟町が二分されて誕生した町。しかし現在では堀留町側には向かわず、小舟町内1平方キロメートルの中だけの渡御。