2016.1.24撮影

今回の参詣は、東京を代表する仏教のランドマーク的存在の金龍山浅草寺へ。

寺社への参拝をし続ける上で、いつかは浅草寺を取り上げるつもりでしたが、江戸・東京の千数百年に亘る歴史、生活文化と共にあり続けるこの寺院を取り上げることは、どうも大変だよなと疎んでいました。歴史は長いし、施設は多いし、イベント・お祭りも多いし。


というわけで、数年間撮り溜めた浅草寺は掲載量が多くなるので、、

 

『 第四〇〇回 浅草寺 』  →今回

『 第四〇〇回 浅草寺 歴史由来 』

『 第四〇〇回 浅草寺 境内諸堂 1 』

『 第四〇〇回 浅草寺 境内諸堂 2 』

『 第四〇〇回 浅草寺 境内諸堂 3 』

『 第四〇〇回 浅草寺 浅草歳時記 』

 

以上の予定で掲載していきます。

 

 

 

 

2013.11.30撮影

雷門 かみなりもん

浅草寺と言ったら雷門。当山の象徴であり、町の象徴です。東京タワー以前は、きっと東京のシンボルだったのかも。

慶応元年(1865)に焼失後、100年近く再建されることが無かったのですが、昭和35年(1960)松下幸之助による寄進によって門と提灯が完成しました。提灯はその後10年置きに新調され、現在の提灯は2013年に取り付けられたもの。値段は400万円らしい。

 

この赤い巨大な提灯が見る人を圧倒し、一番の記念写真スポット。土日祝日は身動き取れない程の人が押し寄せます。

 

 

 

 

2014.12撮影

神社の鳥居では頭を下げる人が多いけど、この門でそれをやるのは一人もいないところを見ると、聖と俗を隔てる結界ではなくモニュメント的な存在なのかな。

残念ながら2016年6月現在、屋根瓦が落下していることが発覚して以降、緊急調査の足場が組まれてしまい、一生に一度の機会となるかもしれない修学旅行生や外国人旅行客はちょっと可哀そう。

 

 

 

 

2016.6.14撮影

風神像・雷神像

雷門向かって右側が、阿形の風神さま。左側が吽形の雷神さま。日蔭なのに双方とも眼光鋭い。

門の両脇にこの風神と雷神が配されていることから、風神雷神門または風雷神門と呼ばれる。この門は何時から風神が欠けて雷門という名称になったのだろうか。そもそも寺院で風神雷神って三十三間堂ぐらいでしか見たことない。

 

 

 

 

2009.5.9撮影

金龍像・天龍像

風神雷神の裏側に回ると、今度は一対の龍神が現れる。

右が「西の金龍」といわれる女神で、左側が「東の天龍」といわれ男神。

女神は左手で宝珠を摘み、右手の親指と人差指で印を結んでいる。男神は笑顔で左手に宝珠を持ち、右手で独鈷杵を持つ。

 

 

 

 

2016.6.14撮影

仲見世 なかみせ

雷門から宝蔵門に向かって真北に延びる参道に、浅草切っての土産物屋が軒を連ねます。両側合せて89店舗もあり、ここで目移りしているうちに本堂閉門時間の17時に気付かない参拝者が後を絶たない。ほんとに。

 

 

 

 

2016.6.14撮影

宝蔵門 ほうぞうもん

その名のとおり、浅草寺の什物(宝物)を収蔵するための建物。

この門も奉納によって建てられたもので、元力士で日本三大億万長者のひとり大谷米太郎による。ホテルニューオータニの創業と同年に宝蔵門を寄進しているのだから、本物の億万長者が如何にすごいかよくわかる。

現在什物類は宝物館に収蔵されているが、通常非公開。2013年ごろ期間限定で公開されました。

 

 

 

 

2016.6.14撮影

宝蔵門は別名仁王門と呼ばれ、もちろんこの二体の仁王像に由来します。

正面向かって、右が吽形、左が阿形。風神雷神の阿吽とは逆になっている。顔つきや作風が大分違うのは作者が異なるため。

右が明武谷という元東関脇力士を、左が昭和の大横綱の北の湖をそれぞれモデルにしているらしいです。

 

 

 

 

2016.6.14撮影

創建

雷門、仲見世、宝蔵門をくぐり抜けてようやく本堂が見えてきます。

今よりおよそ1400年前の、西暦628年に漁師の兄弟が、隅田川より出現した黄金の観音像を拾い上げ、兄弟の主人によってその像を祀る庵を結んだのが始まりとしています。

現存する寺院としては関東一の古刹。日本仏教最古のお寺と言われる奈良飛鳥の法興寺(飛鳥寺)が587年、斑鳩の法隆寺が607年だから、関東も意外と歴史が古い。

 

 

 

 

2016.6.14撮影

五重塔 ごじゅうのとう

宝蔵門をくぐって左側にある。仏舎利を奉安、また信徒の霊牌を安置する塔。

現在は修復中で以前の様子は 第四〇〇回 浅草寺 境内諸堂 の回に。

 

 

 

 

2016.6.17撮影

御水舎 おみずや

八角形の錆御影石(さびみかげいし)の手水鉢の上に立つ沙竭羅龍王(さからりゅうおう)像。

天井の金龍図の動と龍王の静が併せ放つ迫力が素晴らしいけど、手を洗うことに夢中になって龍図に気付かない人も多いかも。

 

 

 

 

2016.6.17撮影

渺渺たる境内の遠くからでも、その大きさがわかるが、目の当たりにして更に圧倒されます。

右の柱には、『実相非荘厳金碧装成安楽刹』 左には、『真身絶表象雲霞画出補陀山』と書かれ、「真如の世界はとても形などに表すことはできないが、見事に整えられた伽藍や自然の景観の妙は、それこそ仏の浄土であり、観音さまの世界である」という意味。 ※浅草寺HPより参照

 

 

 

 

2016.6.17撮影

本堂内外陣 げじん

出社前の朝8時だとこんな感じ。

浅草寺というのは、気にしだすと止まらなくなるものがチラホラある不思議な寺院である。先ず、このお寺が浅草寺(せんそうじ)であるのに、地名は浅草(あさくさ)、御本尊は通称浅草観音(あさくさかんのん)。雷門と同じく、寺院なのに音訓の交錯がたくさん。

 

そして何より気になるのは観音様が出現した事そのもの。

歴史は古く、記紀(古事記・日本書紀)の成立よりも、84年も前に開かれたお寺。そしてそれ以前の橋も掛からない時代に、宮戸川へ観音像を落っことした人がいる、という事。流れ着いた説が主流なんだけど、そうなると浅草寺より更に古い仏教寺院が川の上流域にあったという事になり、それを護持できたとんでもない権力者が武蔵にいたのでは、という妄想が膨らんでしまう。

 

 

 

 

2016.1.24撮影

参拝者でごった返すほうが浅草寺らしくて好き。人と比べると本堂の大きさも解るし、柱や梁の朱色、壁の白、欄間の緑が美しい。

 

 

 

 

2016.1.24撮影

天井画

浅草寺本堂外陣の天井画も見どころのひとつ。

川端龍子(かわばたりゅうし)作の『龍之図』、その龍に寄り添うように、左右には堂本印象(どうもといんしょう)作の『天人之図』。共に6.4m×4.9mの大作。

御本堂入って見上げた状況を再現するため、画像を上下反転せず、また3枚の画像を切り繋いで1枚に編集しているため、本来は格子によって一枚ずつ隔たれています。

 

 

 

 

2016.1.24撮影

御宮殿 ごくうでん

御本尊の聖観音菩薩が安置されている金箔のお宮をいいます。開基の勝海上人が秘仏と定めて以降、誰も見たことが無い絶対秘仏。つまり観音像を網で掬い揚げた、檜前浜成(ひのくまはまなり)・檜前竹成(ひのくまたけなり)兄弟と、その像を本尊として寺を草庵した土師真中土(はじのあたいなかとも/はじのまつち)と、勝海上人の四名のみが御本尊の実像を知っているということになります。そもそもこの四名の実像を知っている人もまた、歴史上いないので、創建自体がミステリー。
 

内陣

毎年12月13日に、御宮殿の幕が開かれ、御前立を拝見することができる。また内陣には御宮殿以外に愛染明王と不動明王が安置され、御宮殿の間裏には御本尊と同じ姿をしたと伝わる観音像(裏観音)が安置されている。






 

撮影日はそれぞれの右下に記載。

 

備考

寺号 金龍山浅草寺

別名 浅草観音

宗派 聖観音宗総本山

本尊 聖観音菩薩

創建 伝推古天皇36年(628)

末社 淡島明神堂 弁財天堂 弁財天宮

    一言不動堂 薬師堂 銭塚地蔵堂

    影向堂 六角堂

所在地 東京都台東区浅草2-3-1

その他 坂東三十三箇所観音霊場十三番札所

    江戸三十三箇所観音霊場一番札所