今回の参詣は、足立区島根の鷲神社へ。

当社があるこの辺りは、竹ノ塚、西新井、梅島、六町といずれの駅からも徒歩20分も離れ、車が無いと不便そうな住宅街の中。島根というと島根県ひいては出雲との関係も、と推測したくなるが何の関係も無いらしい。

 

 

 

手水舎

鉢に刻まれた神紋は丸に十二弁の菊。水はかなりキレイ。

 

 

 

創建

古代日本武尊が船で訪れ、(その偉業を讃えてか)この地に祀られたのが始まり。

境内の駒札には、古代当社の南側が海岸線と伝わり、微高地の形状を島の根と表した地名なのだと記されている。

また当社周辺が田畑に囲まれていた時代、水面にこの鎮守の森が映ったことから”浮島明神の森”と呼ばれていたという。

 

 

 

狛犬

右が阿形で鞠を抱え、左が吽形で子抱き。

 

当社のHPを見ると、当社の奉賛会会長は、上野国の大胡氏(上州八家のひとつ)の出自で戦国時代に新宿区袋町辺りに居城を構えた牛込氏の子孫らしい。

牛込氏は、永禄年間(1558-1570)ごろ後北条氏の配下となって、現袋町光照寺の地に居館があったと伝わり、この地域を「牛込」と呼ばれるようになったのはこの牛込氏による。出自の赤城明神を信仰し、新宿区赤城元町の赤城神社を勧請したことで知られる。

 

 

 

 

御由緒1

境内掲示より字体改行などそのまま記載

鷲神社

 当社は日本武尊、誉田別命、国常立命の三柱を祭神

とし、末社に三峰社、客殿等がある。

 古代に日本武尊が海岸線の近くにあったこの場所

に着いたので、浮島明神として祭祀し、文保二年(一

三一八)武蔵国足立郡島根村の鎮守として中興され、

大鷲神社と唱えたという。島根村は現在の島根・梅

島・中央本町・平野・一ツ家などを含む大村であった。

村内に七祠が点在し、元禄の頃、このうち八幡社誉田

別命、明神社国常立命の二柱の神を合祀し、三社明神

の社として社名を鷲神社に定めたという。

 この地域はもと風光に優れ、徳川吉宗の鷹場の故事

に関わり、地元教育にも尽力した吉田順庵家塾や酉の

市祭祀等の伝えが知られている。

 社殿は氏子中の寄進により、昭和三十一年九月再建

され、境内の整備も行われた。祭礼時に神楽殿で奉納

される島根ばやしは昭和五十七年十二月に、島根神代

神楽は同六十三年十一月に、それぞれ足立区登録無形

文化財となった。また、境内にある享和二年(一

八〇二)在銘の明神型石造鳥居は、千住四丁目の石

工・保永助七の手によるもので昭和六十年十一月、足立

区登録有形文化財(建造物)となった。
 平成二十四年三月

 足立区教育委員会

 

 

御由緒2

境内掲示より字体改行などそのまま記載

鷲神社

鎮座地 東京都足立区島根四丁目二十五番一号

祭神 日本武尊(福徳鎮護の神・開運子育鷲大明神)

相殿 誉田別命(安産宝授の神)

   国常立命(国土主宰の神・みそぎ祓の神)

 由緒

往古入江の景勝地なり傳えて白すに諸神舟にて上陸したる処とて

社の淵源は古く日本武尊東国を鎮護せられ、此の地を祀られる

尊を稱へ、大鷲尊又浮島明神とも号す、時へだて

源頼義公(戦勝御禮)頼朝公(源氏旗上げ)崇敬篤く関東一円に奉齋す

花園天皇の御代文保二年秋九月御中興す当時武蔵國

足立郡淵江郷嶋根と称し亦島畑多きが故に七祠祭祀あり

元禄八年の検地により全く一村となり七祠の内二柱大神を合祀し

八幡社誉田別命明神社國常立命の三神明神の社となす、尚

郡内に美田を潤し産業・文教に顕あり八代吉宗公、御成して当吉田

順庵が塾を天下の手本と褒賞せられた、島根囃子・神代神楽も

傳統を伝え、明治以降氏子崇敬者よく神徳發揚を計り

神域を整えたり

神德無窮 繁榮成就

 

 

 

 

 

 

当社の燈籠や社殿などいたるところにこの十二弁の菊紋や瓢箪があしらわれている。

 

 

 

 

三峯神社

境内末社。

 

 

 

鷲神社鳥居

享和二年(1802)に奉納された鷲神社の鳥居。現在の大鳥居が奉納されてからはこの末社三峰神社の鳥居として用いられている。足立区有形指定文化財。

 

 

 

祭神は、熊野大神(再生豊穣の神)・三峯大神(火難盗難除の神)・島宮天満宮(学問芸術の神)・国魂大神(郷土の導きの神)。

 

 

 

 

将軍石

三峰社の傍らにある。

こちらはシャグジ信仰ではなく、八代将軍徳川吉宗が享保六年(1721)十月に御成りになったときのもの。駒札には、その際白銀十枚を賜ったとある。

 

もうひとつ、当社の境内のどこかに島根富士塚があるそうなのですが、来訪当時気付かなかったため省略します。

 

 

 

文頭での出雲との関係は無い”らしい”といったものの、この鷲神社の脇にある旧日光街道を含め、旧小菅御殿(現:東京拘置所)からさいたま市西区の土屋陣屋まで続く全長34km弱の赤山街道に沿って、出雲国造と同族と伝わる武蔵国造が信仰した氷川明神を祀る氷川神社が25社もある(氷川神社以外も計48社あり、その中では稲荷が16社と多い。のこりは山岳信仰系、天神信仰系、八幡信仰系など)。全くの無関係かどうかも含めて気にはなるところ。

 

 

 

 

写真はすべて、2016.8.14 撮影

 

備考

社号 鷲神社 ワシジンジャ

旧称 鷲大明神 ワシダイミョウジン

   浮島明神 ウキシマミョウジン

   三社明神

祭神 日本武尊 ヤマトタケルノミコト

   譽田別命 ホンダワケノミコト

   國常立命 クニトコタチノミコト

創建 伝日本武尊の時代 文保二年(1318)中興

祭日 1月1日歳旦祭、2月節分節分祭、2月19日祈年祭

    5・9月佳日末社祭、6・12月末日大祓、7月1日冨士開

    8月仲日祖霊祭、9月17日例大祭、11月酉の日新嘗祭・酉の市

末社 三峰神社 島根富士塚

社務所 

所在地 東京都足立区島根4-25-1

その他 六月八幡神社、栗原氷川神社、竹塚神社を兼務