今回の参詣は、目黒区大橋にある上目黒氷川神社へ。



大橋ジャンクションから、玉川通りを挟んで北側に鎮座する神社。

旧荏原郡菅刈庄(すげかりのしょう)目黒郷の鎮守。







駒場野から南西の南平台・中目黒にかかる台地を、中腹で玉川通りが横断しているため、この氷川神社界隈は急な坂が多い。もちろん当社も、参道の石段はかなりきつい。

東参道(表参道は南)は、途中に二ヵ所踊り場があるので、幾分か楽。







狛犬


右が吽形、左が阿形。両方とも持ち物は無し。

日の当たり具合に違いでもあるのか、彫刻の磨滅が左右で異なっているような気がする。







御社殿


淡いベージュ色のコンクリートの日吉造。



御由緒 境内掲示より字体改行などそのまま記載


 氷川神社


 祭神は素盞鳴命を主神とし、天照大御神、菅原道真を合祀しています。旧

上目黒村の鎮守で、天正年間(1573~1592)に上目黒村の旧家加藤

氏がこの地に迎えたといわれています。

 正面の石段は文化13年(1816)に造られましたが、明治38年

(1905)に前を通る大山街道(現、玉川通り)を拡張する際に、現在の

急勾配な石段に改修されました。境内には、花崗岩造りの4基の鳥居や小松

石造りの2対の狛犬があります。

 また、石段の下には「武州荏原郡菅刈荘目黒郷」と刻まれた供養塔や、天

保13年(1842)に建てられた大山道の道標があります。大山道は江戸

時代、石尊参り(現、神奈川県伊勢原市の大山への参詣)をする多くの人々

が利用しました。

 境内には、目切坂上(現、上目黒1-8付近)にあった目黒元富士から石

碑などが移され、「目黒冨士」と称する登山道が築かれています。


 平成22年3月

 目黒区教育委員会




江戸名所図会 巻之三 天璣之部より


氷川明神祠 駒場野官林よりこなたの岡にあり。祭神素盞鳴命一座。

天正年間甲州郡内上の原といへる地にありしを、加藤氏この地に移り

住する頃、産土神なるゆゑに、ここにこの神を勧請なし奉るといへり。

祭礼は、毎歳九月二十九日に執行せり。この神の氏子は、古へより

疫災の患ひをしらずといひ伝ふ。







狛犬


本殿前。

右が阿形で子抱き、左が吽形で鞠を抱える。

耳下からあご先まで立体的に渦巻く鬚、胸板まで届く髪の長さ、ふっくらした指先が特徴的。








甲州加藤氏


江戸名所図会の御由緒にあった「・・甲州上の原といへる地にありしを・・」というのは、おそらく現在の山梨県上野原市に鎮座する『牛倉神社』のことではないだろうか。その神社は祭神のひとつに須佐之男命があり、御由緒には「永禄九年加藤丹後守景忠が再営」と記されている。永禄九年は西暦1566年。


この甲州加藤氏を調べると、甲州武田氏に度々味方(客将)して活躍してきた。「天正年間甲州郡内上の原といへる地にありしを、加藤氏この地に移り住する頃・・」は、ちょうど天正十年(1582)に織田信長・徳川家康連合軍による甲州征伐の時の事と重なる。その後の加藤氏は武蔵国に逃れるが、一族諸共箱根ヶ崎にて百姓に討とられて歴史から姿を消す。

しかし、家臣として仕えていた加藤伝右衛門が徳川家から七百石を得て麾下(きか)に入り、小田原征伐、大坂の陣などに参加したという。この伝右衛門本人か近い親族が当社を創建したのだろうか。


ちなみに加藤氏が討ち取られた箱根ヶ崎(東京都西多摩郡瑞穂町)には、加藤神社が建立され、祭神は加藤丹後守景忠である。





境内社




目黒富士浅間神社


本殿向かって右側。

江戸時代、目黒には二つの富士塚があった。ひとつは現在の上目黒1-8「鎗ヶ崎交差点」の辺りに富士塚があり、これは富士信仰の講中らの要望によって築かれ、もうひとつは幕末の探検家近藤重蔵が邸宅内(中目黒2-1「Q.E.D CLUB」の辺り)に築いたものがあった。

前者を元富士、後者を新冨士と呼び、どちらも見事な富士塚であったことから、歌川広重の「名所江戸百景」に両者とも描かれている。


当社は元富士から富士塚といっしょに遷されたもの。






狛犬


右が阿形で、左が吽形。

麒麟にも似た様相は、もしかすると日本の狛犬の起源ともいわれる中国の伝説上の動物『海駝(カイダ/カイチとも)』を模しているのかもしれない。






本殿


小さな狛犬に護られた石製の祠。

ご祭神は木花咲耶姫。






稲荷神社


創建は不明。

古くは当地を「稲荷山」といったそうで、氷川神社より古くからある地主神かもしれない。

以前も触れたが、鎌倉の鶴岡八幡宮、市ヶ谷の亀岡八幡宮などは、それぞれの山を元々稲荷山といい、どちらも稲荷神社の方が先にあったと言われている。






狐像


右が宝珠を咥え、左が巻物を咥える。

眼光鋭く少々強面の番人。






本殿


ご祭神は宇迦之御魂神。







富士塚


元富士から移設された石碑などが置かれ、毎年7月1日の山開きの日には、浅間神社の例大祭とともに山開きがおこなわれ、登山することができる。

都内にいくつかある富士塚の中には、7月1日しか山開きをしない神社があり、平日だろうが悪天候だろうが、当日以外の364日は登山不可。






歩道橋からズームレンズで。

火山岩を積んだものではなく、丸太で舗装された登山道になっている。



御由緒 境内掲示より字体改行などそのまま記載


 目黒富士

 大橋2-16-21


 江戸時代に富士山を対象とした民間信仰が広まる中、富士講という団体が

各地で作られ、富士講の人々は富士山に登るほかに身近なところに小型の富

士山(富士塚)を築き、これに登って山頂の石祠を拝みました。

 目黒区内には二つの富士塚がありました。一つは文化9年(1812)に

目切坂上(上目黒1-8)に築かれたもので「元富士」と呼びました。

元富士の高さは12mで、石祠(浅間神社)を祀っていましたが、明治11年

(1878)に取り壊しとなり、この氷川神社の境内に石祠や富士講の石碑

を移しました。

 昭和52年(1977)7月に富士山に見立てた登山道を開き、境内の一

角を「目黒富士」と呼ぶようになりました。7月1日には山開きの例祭が行

われています。


 平成22年3月

 目黒区教育委員会







『名所江戸百景』より。

「元不二(元富士)」の方が当社に残り、「新冨士」の方は取り壊され、跡形も無い(遷座したという情報は無い)。






写真はすべて、2014.11.16 撮影


備考

社号 氷川神社

別名 上目黒氷川神社・大橋氷川神社

祭神 素盞鳴命 天照大御神 菅原道真

創建 天正年間(1573-1592)

祭日 一月左義長 二月節分祭 三月初午祭

    六月夏越大祓 七月浅間神社例大祭山開き

    八月下旬氷川神社例大祭

    九月中旬北野神社(青葉台1-16)例大祭

    十一月七五三 十二月師走大祓

末社 冨士浅間神社 稲荷神社

社務所 御守り御朱印神札授与御祈祷受付有

所在地 東京都目黒区大橋2-16-21

その他 富士塚有 甲州加藤氏創建

     青葉台北野神社を兼務(境外末社)


※備考欄の内容は、当該社寺の公示又は典拠を基に記載し、不明瞭なものは空欄にしてあります。

またこのブログ内の記事は、散歩としての見所やおススメポイントとして、私が感じた主観的な評価であり、当該社寺の格式や宗教的価値、ご利益等を評価したものではありません。





周辺散歩





大橋ジャンクション


池尻大橋と言えば、桜の季節以外これという名所や観光地らしきものが無いが、強いて言えば2010年に完成した大橋ジャンクションだろうか。(大橋1丁目8より氷川橋方面)






外郭を眺めれば巨大なホールケーキだが、ジャンクションそのものは螺旋形なので、建物の中央はフットサル用のコート「オーパス夢ひろば」がある。






屋上


専用エレベーターで屋上へ上がると「目黒天空庭園」があり、一般に開放されていて、本を読む人、ランチをとる人、中にはシートを広げてピクニックを楽しむ人たちの姿も。

ジャンクションと同時に再開発された、東の42階建ての超高層マンション「クロスエアタワー」と、西の27階建ての「プリズムタワー」が隣接してはいるが、住人っぽい家族連れは意外と見られない。

また、一部住居者向けと思われる畑もある。






景色


庭園は緩い勾配がついていて、その最上部まで登ると枝分かれするジャンクションが見られる。

左が東名方面、右が都心方面となる。






眺望


内側と外側両方のフェンス前に、近づけさせないように植え込みがあり、一円眺めを楽しむような造りにはなっていない。ちょっともったいない気もする。(東南の東山・中目黒駅方面)