今回の参詣は、高円寺の稲荷堂へ。

ここ高円寺周辺は、若者の街を象徴的するかのような地域で、20~30代が際立って多い。

駅前以外は住宅街が大部分だけど、雑貨・古着屋・カフェが多く、また安い賃貸住宅の充実もあってだろう。春夏秋冬それぞれ高円寺を代表する大きなイベントがあり文化や観光に力を入れているイメージ。

 

 

 

 

 

山門

徳川家光が雨宿りに立ち寄った際、将軍としてではなく一般参拝者として扱った当時の住職のもてなしに感じ入り、以降鷹狩などで度々当寺に立ち寄り、また宇治より取り寄せた茶の木を境内に御手植えしたという。

 

三代目ともなると、将軍が将軍に似つかわしい格好をしてくるだろうから、その様を見て普通にもてなすのは度量なのか計らいなのか。いずれにしても良く続いたご縁だったそうで、そんなことが境内のあちこちで散見できる。

 

 

 

 

 

立派な門なのだけど、柵で封鎖されて侵入できないので脇に回って入場。

今の時期(5月)の景色はすごく気持ちが良くきれい。山手以西の寺社は、境内が広く、樹々にあふれていることが多いので、夏の訪問がおススメ。一方都心~下町にかけては御神木が2、3本立っているだけなのでこういった雰囲気はない。

 

 

 

 

 

御本堂

こちらも柵が置かれ、近づけない。そういえば、杉並区の寺院は大小問わず上がれないところが多かったような。まあ、うろ覚えだけど。

(ここから写真はすべて3月のもの。)

 

 

宿鳳山髙圓寺 しゅくほうざん こうえんじ

曹洞宗のお寺で、本尊として室町時代作と伝わる聖観音坐像を安置する。いわずもがな高円寺の地名由来になったお寺で、前回掲載の高円寺氷川神社 の旧別当。

徳川家光は、小沢村から高円寺村へと改称させ、高円寺裏に仮の御殿を造営した。その経緯からも高円寺と昵懇の間柄だったのだろう。また当寺の本尊をして「桃園観音」と呼ばれていたが、この「桃園」の名も、家光によってこの地域(高円寺から西側の中野駅周辺を指す)に桃の木を植えさせたことから桃園という地域名になった。

 

 

 

 

 

 

 

本堂の彫刻

上:浄土の世界観を表したのだろうか、中央奥の建物に向かって手を合わせる人の姿が見える。手前には二人の天女。

中:天女と鳳凰。かな。

下:唐獅子牡丹に獏。

 

 

 

 

 

 

 

堂内を覗けないため、残念がってすぐ帰ってしまう参拝者の気持ちもわからなくないけど、建築様式や彫刻などボケーっと眺めて過ごすのも醍醐味。

 

江戸名所図会 巻之四天権之部より

桃園

享保〔一七一六-一七三六〕の頃、この辺りの田畝にことごとく桃樹を栽ゑしめたまひ、その頃台命によりて、このところを桃園と呼ばせたまひしといへり。いまも弥生の頃、紅白色をまじへて一時の奇観たり。ここに大将軍家御遊猟のときの御腰掛けの地あり。また、岡の前を流るる小川に架(わた)せる橋を、石神橋(しゃくじばし)と唱ふ。

 

 

 

桃園観音堂

土人は桃堂と称せり。同所高円寺村といへる禅林に安置す。本尊は聖観音にして恵心僧都〔えしんぞうす/九四二-一〇一七〕の彫像なりといへり。当寺は、中野の成願寺に属す。弘治年間〔一五五五-五八〕の草創にして、開山を建室和尚〔建室宗寅、?-一六一四〕と号く。むかしは、大将軍家たびたび当寺へ立ち寄らせたまひ、仮の御殿ありしかば、当寺の山号を御殿山ともとなへ侍るとなり。また当寺境内その頃は桃の樹多かりしによりて、桃園と称すべき旨台命あり。その後享保に至り、新たに中野の地に桃園をうつしたまひ、田圃の間々に桃樹を多く栽ゑしめ、桃園と命ぜられたりとなり。ゆゑに、土人は当寺をさして桃園の旧地なりといへり。

 

 

 

 

 

地蔵堂

本堂向かって左手側。

 

 

 

 

 

 

 

 

上:お地蔵さまと左が道祖神か金精さま。

中:猿の親子。

下:これもお地蔵さまかな。お顔がちょっとリアル。

 

 

 

 

 

 

他にも傍らに安置されている石仏があるのだけど、なぜか狸と布袋さま。

 

 

 

 

 

稲荷堂

ホームページも無いし、案内板も無い。

 

 

 

 

 

双龍の鳥居

東京に三つしかないといわれるほど希少な、柱に昇龍・下龍が巻き付く石鳥居。

 

品川神社 」・「馬橋稲荷神社」・「高円寺稲荷堂」の3ヶ所。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真は2016.3.6と2016.5.5撮影

 

備考

 

社号

祭神

創建

祭日

末社

社務所

所在地 東京都杉並区高円寺南

その他 宿鳳山髙圓寺境内鎮座

      徳川家光ゆかりの地

 

 

※備考欄の内容は、当該社寺の公示又は典拠を基に記載し、不明瞭なものは空欄にしてあります。
またこのブログ内の記事は、散歩としての見所やおススメポイントとして、私が感じた主観的な評価であり、当該社寺の格式や宗教的価値、ご利益等を評価したものではありません。