かなり久しぶりの更新になりますね。

これからはもうちょっと頑張ろうと思ってますので、よろしく。


ところで、今年のサマー・ソニックに、なんと、あのベンチャーズが出演するそうです。
ジェジェジェ!!

ベンチャーズといえば、オジサン方が思い出すのは、あのエレキブームですね。

大林宣彦監督の名作「青春デンデケデケデケ」で描かれたアレですね。

それから、忘れちゃならないのが、「ベンチャーズ歌謡」と言われた
あの一連のヒット歌謡です。


一番有名なのはこれでしょうか。


欧陽菲菲 「雨の御堂筋



他にもいろいろありますが、
本日はこの辺で。
中村晃子って、最近あまり名前を聞かなくなったけど、まだ芸能活動してるんでしょうか。

中村晃子と言えば、なんてったって、「虹色の湖」ですね。

1967年に80万枚を売り上げた、大ヒット曲です。

当時全盛だったグループサウンズ調の曲を、コケティッシュな女の子が1人で歌ったところが受けたんでしょうか。

彼女のミリタリールックも、なかなかチャーミングでした。


中村晃子虹色の湖



もともと松竹の女優さんでしたが、女優業の方ではイマイチパッとしなかったようです。

しかし、「虹色の湖」の大ヒット後、女優さんとしてもブレイクしたようです。


続くシングル、「砂の十字架」もGS調のなかなかいい曲で、そこそこヒットしたようです。


中村晃子「砂の十字架」



今思えば、中村晃子って、日本ではちょっと珍しいコケティッシュなアイドルでしたね。


こちらのCDでも聴けます。

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長らくお待たせしてしまった(誰も待ってないか・・・汗)B級グループサウンズ伝説の第2弾です。

今回取り上げるのは、「アダムス」。

これも、ほとんどの人は知らないですよね。

1968年の前半に解散したアウト・キャストのメンバー、ギターの水谷公生とヴォーカルの轟健二が、所属する渡辺プロダクションの命令で結成したグループです。

同時期、渡辺プロでは、タイガースが大ブレイクしており、第二のタイガースを目指して結成されたグループだったようです。

デビュー曲の「旧約聖書」は、発足したばかりのCBSソニーレコードの第一号発売のうちの一つだったとか。

この「旧約聖書」という曲は、そうとう録音にお金をかけたらしく、バックにオーケストラと合唱団を付けるという贅沢なものでした。

残念ながら、現在、YOUTUBEでは見当たらず、お聞かせ出来ないのが残念ですが、当時としては珍しいプログレ風の壮大なシンフォニックロックに仕上がっております。機会があれば、是非聴いてみて下さい。

続く第二弾シングルは、「眠れる乙女」、こんな感じです。



クラシカルなストリングスがいい雰囲気を醸し出してます。このあたり、タイガースの「ヒューマン・ルネッサンス」を意識してたんでしょうか。

しかし、2曲ともヒットにはつながらず、アダムスもブレイクには至りませんでした。

その後も「地球は狭すぎる」、「明日なき世界」とシングルを発表しましたが、どれもイマイチ売れず、その後解散しました。

アダムスは、知名度こそ低いのですが、GSとニューロックの境界に位置する重要グループといえるのかも知れませんね。


B級グループサウンズは、B級アイドルに負けず劣らず、なかなかディープな世界のようです。

グループサンンズ全盛時の60年代後半、タイガースやテンプターズ、スパイダーズ等の陰に隠れて、殆んどテレビにも出れずに、姿を消していったバンドがたくさんありました。

そんな中でも、無名ながら、良い曲を残し、その道のマニアたちの間では、いまだに語り草となっている伝説的なグループをいくつか紹介したいと思います。

一回目は、「アウト・キャスト」と言うバンドです。

といっても、殆んどの方はご存じないと思いますけど・・・。

アウト・キャストは、1967年に渡辺プロダクション初のグループサウンズとしてデビューしたグループです。

同じ年の2月に同じ渡辺プロダクションから、タイガースがデビューしたのですが、ほんの少しだけアウト・キャストの方が先輩なわけです。

当時のメンバーには、後にスタジオミュージシャン、作曲家として活躍することになる水谷公生(当時、水谷淳と言う名前で、ギター、ヴォーカル担当。)、音楽プロデューサー、音楽事務所社長となる藤田浩一(ギター担当)などがいました。

デビュー曲は「友達になろう」と言う曲でした。

アウト・キャスト  「友達になろう




どちらかと言うと、カレッジフォークっぽい曲ですね。

当然ながらこの曲はヒットしませんでした。

67年の4月にセカンドシングル、「愛することは誰でもできる電話でいいから」をリリース。

この時のB面「電話でいいから」は、当時話題にもならなかったのですが、後年、「日本最古のガレージパンク」と再評価され、現在でもガレージ系のバンドがカバーしているようです。

残念ながら、オリジナルのバージョンがYouTubeに見当たらず、今回は紹介できませんでした。

そんなわけで、三枚目のシングル曲、「レッツ・ゴー・オン・ビーチ」を紹介します。

アウト・キャスト 「レッツ・ゴー・オン・ビーチ



デビュー曲に比べ、ぐっとロック寄りになって来たというか、グループサウンズらしい曲になって来ていますね。

続いて、67年10月には、4枚目のシングル「一日だけの恋」をリリースし、67年だけで4枚のシングル盤を出しているのですが、結局どれも鳴かず飛ばずでした。

その辺りが、B級グループサウンズのB級たる所以なんでしょうか。

曲自体は、ブレイクした有名グループと比べてもそんなに遜色ないと思うのですが・・・

微妙に何かが足りなかったんでしょうか。

と言うわけで、四枚目のシングル曲「一日だけの恋」をどうぞ。

アウト・キャスト 「一日だけの恋



何か、これぞGSと言う雰囲気の曲ですが、結局この曲も話題にもならず、消えて行ったわけです。

当時としては、ストレート過ぎたんでしょうかね。

この後、68年1月に五枚目のシングル「愛なき夜明け」をリリースしましたが、結局、ブレイクすることは無く、同年3月には解散してしまいました。

オリジナルメンバーの大野良二(後に音楽ディレクターとして活躍)が渡辺プロダクションを離れて、新メンバーを集めて、新生アウトキャストを再結成し、シングル盤「空に書いたラブレター」を出しましたが、それも大して売れず、間もなく解散してしまいました。

アウト・キャストは、メンバーの中に、後にプロデューサー、作曲家、ミュージシャンとして活躍した人が多く、実力は有ったけれど売れなかったグループサウンズの代表格と言われています。

唯一のアルバム、「君も僕も友達になろう」(1967年)は、B級グループサウンズカルトGSマニアの間では名盤の呼び声高く、海外のガレージファンからも高く評価されているそうで、紙ジャケ盤のCDが現在でも発売されています。





1960年代に活躍した女性歌手、青山ミチは、おそらく日本で最初の黒人の血が流れている歌手だったのではないでしょうか。

青山ミチは、49年に横浜で、日本人の母親と黒人米兵の父親との間に生まれています。

ジャズ喫茶が主催する素人ジャズコンクールで入賞したことが、ポリドール・レコード関係者の目に止まり、それがキッカケで歌手デビューに至ったようです。

デビューのキッカケがジャズだったと言う辺り、やはりDNAのなせる業だったのかも知れません。

1962年のデビュー曲「ひとりぼっちで想うこと」は、売れ行きは今ひとつでしたが、パワフルでパンチのある歌声が評判になって、ジワジワと人気が出て行きました。

当時、全盛だった三人娘(中尾ミエ、伊東ゆかり、園まり)のライバルと言われていたらしいですが、本当のライバルは弘田三枝子だったんじゃないでしょうか。

彼女の曲で、最も知られているのは、65年の「涙の太陽」でしょうか。

この曲はエミー・ジャクソンと競作でした。

青山ミチ 「涙の太陽



ベンチャーズ張りのエレキの音が昭和ムードを盛り上げますね。

この曲は1973年にも、安西マリアによってカバーされ、リバイバルヒットしています。

ポリドール時代には20数枚のシングルを出したものの、ヒットしたのは、「ミッチー音頭」と「涙の太陽」ぐらいでした。

そして、66年にクラウンレコードへ移籍、より大人っぽいR&B歌謡路線へと方向転換しました。

そんなクラウン時代の曲を一曲。


青山ミチ  「雨の夜の恋は終わった




彼女のソウルフルで日本人離れした歌唱力は、当時から高く評価されていたようですが、度々失踪を繰り返したり、薬物事件、万引き事件など度重なる問題行動が禍して、持って生まれた才能を生かし切れないままに、やがて芸能界からフェードアウトして行ってしまいました。

そんな青山ミチの、意外な一面が伺える曲を発見。

青山ミチ 「風吹く丘で



68年、ヴィレッジ・シンガーズで大ヒットした、「亜麻色の髪の乙女」の元歌ですね。

実は、66年に、青山ミチが吹き込んで発売されたのですが、発売直後に彼女がポリドールレコードに移籍してしまったために、急遽店頭回収され、幻のシングルとなってしまいました。

現在では、発売直後に覚せい剤事件を起こして発売中止になったと言う説がネット上で流されているようですが、実際はレコード会社の移籍トラブル絡みだったというのが実情のようです。

何故、急にレコード会社を移籍したのかという点は、今となっては謎ですが、その辺りも「悲運の実力派シンガー」たる所以なのでしょうか。



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