1960年代に活躍した女性歌手、青山ミチは、おそらく日本で最初の黒人の血が流れている歌手だったのではないでしょうか。
青山ミチは、49年に横浜で、日本人の母親と黒人米兵の父親との間に生まれています。
ジャズ喫茶が主催する素人ジャズコンクールで入賞したことが、ポリドール・レコード関係者の目に止まり、それがキッカケで歌手デビューに至ったようです。
デビューのキッカケがジャズだったと言う辺り、やはりDNAのなせる業だったのかも知れません。
1962年のデビュー曲「ひとりぼっちで想うこと」は、売れ行きは今ひとつでしたが、パワフルでパンチのある歌声が評判になって、ジワジワと人気が出て行きました。
当時、全盛だった三人娘(中尾ミエ、伊東ゆかり、園まり)のライバルと言われていたらしいですが、本当のライバルは弘田三枝子だったんじゃないでしょうか。
彼女の曲で、最も知られているのは、65年の「涙の太陽」でしょうか。
この曲はエミー・ジャクソンと競作でした。
青山ミチ 「涙の太陽」
ベンチャーズ張りのエレキの音が昭和ムードを盛り上げますね。
この曲は1973年にも、安西マリアによってカバーされ、リバイバルヒットしています。
ポリドール時代には20数枚のシングルを出したものの、ヒットしたのは、「ミッチー音頭」と「涙の太陽」ぐらいでした。
そして、66年にクラウンレコードへ移籍、より大人っぽいR&B歌謡路線へと方向転換しました。
そんなクラウン時代の曲を一曲。
青山ミチ 「雨の夜の恋は終わった」
彼女のソウルフルで日本人離れした歌唱力は、当時から高く評価されていたようですが、度々失踪を繰り返したり、薬物事件、万引き事件など度重なる問題行動が禍して、持って生まれた才能を生かし切れないままに、やがて芸能界からフェードアウトして行ってしまいました。
そんな青山ミチの、意外な一面が伺える曲を発見。
青山ミチ 「風吹く丘で」
68年、ヴィレッジ・シンガーズで大ヒットした、「亜麻色の髪の乙女」の元歌ですね。
実は、66年に、青山ミチが吹き込んで発売されたのですが、発売直後に彼女がポリドールレコードに移籍してしまったために、急遽店頭回収され、幻のシングルとなってしまいました。
現在では、発売直後に覚せい剤事件を起こして発売中止になったと言う説がネット上で流されているようですが、実際はレコード会社の移籍トラブル絡みだったというのが実情のようです。
何故、急にレコード会社を移籍したのかという点は、今となっては謎ですが、その辺りも「悲運の実力派シンガー」たる所以なのでしょうか。
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デビューのキッカケがジャズだったと言う辺り、やはりDNAのなせる業だったのかも知れません。
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当時、全盛だった三人娘(中尾ミエ、伊東ゆかり、園まり)のライバルと言われていたらしいですが、本当のライバルは弘田三枝子だったんじゃないでしょうか。
彼女の曲で、最も知られているのは、65年の「涙の太陽」でしょうか。
この曲はエミー・ジャクソンと競作でした。
青山ミチ 「涙の太陽」
ベンチャーズ張りのエレキの音が昭和ムードを盛り上げますね。
この曲は1973年にも、安西マリアによってカバーされ、リバイバルヒットしています。
ポリドール時代には20数枚のシングルを出したものの、ヒットしたのは、「ミッチー音頭」と「涙の太陽」ぐらいでした。
そして、66年にクラウンレコードへ移籍、より大人っぽいR&B歌謡路線へと方向転換しました。
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青山ミチ 「雨の夜の恋は終わった」
彼女のソウルフルで日本人離れした歌唱力は、当時から高く評価されていたようですが、度々失踪を繰り返したり、薬物事件、万引き事件など度重なる問題行動が禍して、持って生まれた才能を生かし切れないままに、やがて芸能界からフェードアウトして行ってしまいました。
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