学生時代に経験したバイトのまとめ | ごく普通の技術系サラリーマンの一生

ごく普通の技術系サラリーマンの一生

成功体験なんか役に立たない。
定年退職を迎えた普通のサラリーマンの一生を振り返り、会社生活の裏側と本質を書き綴ります。

誰しもが1度は経験した事があるかと思う。
アルバイトの話である。

アルバイトの理由は人それぞれであろう。
特に一人暮らしの学生においては、生活費の補填の為に、と言う理由も多いかと思う。


自分の場合は過去5度のアルバイトを経験した。
それぞれを振返って見たいと思う。


最初のアルバイトは中学時代に行った新聞配達のバイトだった。


中学時代は、給食費と言う物を毎月学校に持って行く必要があった。
月3,000円ぐらいだったと思う。
私は当時どうしても欲しい物があり、約3カ月分を使い込んでしまった。
さすがに当時の小遣いではどうしようもなく、やむを得ず直ぐに始める事の出来た新聞配達のアルバイトをする事となった。
新聞配達は良く聞くアルバイトだが、それほど単純な物では無かった。
当時(50年前)は、1軒に1カ月配達を続けて100円と言う報酬だった為、件数を稼ぐために朝刊と夕刊の両方を担当した。
中学生だったので当然配達は自転車だった。
最初は順調だったがここは山形。冬の配達は困難を極めた。
ルール違反だが、夕刊の配達を度々朝刊と合わせて行う事があった。
ある時、朝刊の配達も面倒になりさぼった事もあった。さすがに客からクレームが入り慌てて配りに行ったこともあった。
一度だけ配達の途中で1部売って欲しいと言われ売った事があった。結局最後に1部足りなくなり配達しなかった。
当然客から届いていないとクレームが入り、販売店の上司が配達がてら謝りに行ったこともあった。
この時の経験から、お金を貰う事、働く事の厳しさと責任の重さを学ぶ事が出来たと思っている。

当時の担当上司には大変ご迷惑をかけたと今でも反省をしている。
 

 

次のアルバイトは旅館のサービス係だった。

主な仕事の内容は、風呂や館内の掃除や雑用と布団の上げ下げだった。
豪華な賄いが付いていたとはいえ、1日2,500円前後の低賃金だったと記憶している。
新聞配達とは異なり勤務時間も長かったが、年配の社員にも色々な事を教えてもらい社会人として一回り大きくなれた様な気がした。


次のアルバイトはAV機器メーカーP社のヘルパーだった。

近所のデパートの売り場に立ち、それとなくP社の商品を勧めると言う物だった。
この時に初めてメーカーのヘルパーと言う仕事を知った。

このメーカーの主力商品はオーディオ装置で、セパレート型のステレオ装置が売り場に所狭しと鎮座していた。
勿論客から見れば自分はただの売り場の人間なので、客の好みに合わせ様々な商品を販売した。
私はオーディオやVIDEO機器に詳しかったので、特にVIDEO機器の接客には力が入っていた。
暫くしてS社の営業マンと仲良くなった。
S社の営業マンは技術的な事を詳しく客に説明していたが、実は細かい所が間違っていた。
私はこの営業マンに正しい内容を説明して上げたらとても気に入ってくれ、P社の契約期間が終わったらS社のヘルパーを手伝って欲しいと誘ってくれた。
当時まだ十代半ばの子供の説明をちゃんと聞いてくれ、その活躍の場を提供してくれた、その懐の広さに感服した。さすが天下のS社である。
残念ながら時間的な問題もありS社のお手伝いをする事が出来なかったが、この数年後にS社のライバル会社に就職する事になるとは想像だにしてなかった。


次のアルバイトはマンホール内での作業だった。

近所に電話会社の孫請け会社があり、ここでマニアックな仕事をさせて貰った。
マンホールの中には数百回線分を纏めた太い電話線が通っている。
このケーブルは通信品質を保つ為に定期的に交換を行っていた。交換はマンホール間で行われる為配線を繋ぎ変える必要がある。この作業を行っていたのがこの孫請け会社だった。
ケーブルは特殊な繋ぎ方を行い紙のスリーブを刺して絶縁する物だった。その後アルミのカバーで覆い、ロウ付けして固定する。ケーブルの中には窒素ガスが通っており、ケーブルの錆を保護していた。

この接続方法はアナログ回線のやり方だったが、PCM回線の場合はちょっと異なっていた。

配線の結び方は同じだが、紙のスリーブは使用せず、接着剤のような物が充填されたキャップを結び目に被せる形だった。

これらの作業は明らかに専門的な知識と技術が必要だった。

バイトの自分にはさすがにすべての作業は任せて貰えなかった為、手伝える範囲の雑用をさせて貰ったに過ぎなかった。

しかし、この様な末端の会社が持つ技術や、我々が全く知らなかった所で行われているインフラを支えている装備や仕組み等、様々な事を学ばせて貰った。

この会社には今でも感謝している。

 

 

次のアルバイトは近所のデパートのサービス係だった。

因みにこれが学生時代最後のバイトとなった。

 

デパートに必要なあらゆる雑用をこなす事が仕事だった。

イベントの準備や特売品の準備、毎日様々な業務があったが、最も多かった仕事は駐車場の整備と整理だった。

この時に、先に駐車場整理のバイトをしていたK君と仲良くなり、今でも親しく付き合わせて貰っている。

仲間が多かったせいもあり、この時のバイトが一番楽しかった。

バイトが終了すると、同じデパートに入ってるレストランで食事が出来るチケットを毎日貰う事が出来た。

更に、通勤手段にかかわらず定額の通勤費もくれ、至れり尽くせりのバイトだった。

デパートのサービス課での仕事は、デパートならではの流通の仕組みや裏事情等の様々な事を知る事が出来、大変貴重な時間を共有する事が出来た。

 

 

アルバイトを行う理由は人それぞれと思うが、その経験から得られるものは確実に存在する。

知識や視野を広げたり、人付き合いの幅を広げる為にも、是非一度は経験してもらいたいと思っている。