私の出産育児の大変さは
自分の想像以上でした。
育児でどれくらい大変になるのか、
これまた、
見積もりが全く甘かったのでした。
妊娠とは神聖で本当に大事にしなければいけない期間だと
その後の私はつくづく思ったのでした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とても忙しい日々を送るようになり、
どんどん仕事が増えていった頃、
私は第一子を妊娠。
毎日気が張ってて、
自分は丈夫な妊婦だ、と
思い込み、せかせかと妊娠中も仕事をしていました。
今思えば明らかな不調があっても、
、『これが妊娠というモノね』
と、普通と思い込んでいて、
しかし、今思うと
実際は、大変な妊娠生活でした。
妊娠6か月からの前駆陣痛は生むまで続きました。
おかげで、
一日に何度か、お腹は動けないほど痛くなりました。
前駆陣痛が毎日来ていたのです。
しかし私は、
『世の中の妊婦さん、お母さんってすごいな。この痛みにみんな耐えてるんだな。私も母になるんだから耐えなきゃ』と
本気でそう思ってました。
母も『病院行きなさい』と言ってくれたならとも思いますが、
元々私は、自分で考えたことしかしない、言うこと聞かない娘だったので、
言っても無駄だ、とにかく見守ろうと、
思ってくれてたんだと思います。
本当に、
息子はよく無事で生まれてきてくれたと思います。
そんな中でもたくさんの生徒さんが待っててくれてる、
仕事は休めない、、と、
一度も休むことなく、全てこなしてしまいました。
本当の陣痛が来たとき、いつも通り死ぬ思いで耐えてしまい、
こりゃヤバい!と家族が
慌てて病院に連れて行く車の中では叫んでしまうほどの痛みで、
病院着いたらパチンッと音が聞こえて
パシャ―っと一気に破水。
ギリギリでも病院到着してたからよかったものの、
到着1時間以内には母になっていたという、
今思えばとんでもない危険な出産でした。
よく無事で生まれてくれました。
きっと神様が、息子を守ってくれたんだなぁと思います。
他にも妊婦中の逸話は多すぎますが、
これは起業と関係ないので今回はパス。
しかし本当に大変なのは、
もちろん、産んだ後。
前駆陣痛に苦しむ私のお腹で育った息子は、
とても小さく生まれてしまいました。
同居でも親が近くにいるわけでもないので
1-2ヶ月産休し、
遠くの教室はそれを機にやめました。
産後1-2か月はアタフタしてる間にあっという間に過ぎ去り、
授乳期まっただ中なのに仕入から始まる仕事が再スタート。
急な発熱はもちろんしょっちゅうあるし、
仕入はしてあるから、休めば大損害。
おまけにおっぱいはよく出たので、仕事しながらも母乳育児。
搾乳機のお世話にならねばなりませんでしたが、
あれは本当に痛くてつらかった。
振り返れば、
そんな無理せず休めば良かったのにと、
自分にいってやりたくなりますが、
講師の私が休むなんて迷惑なことは決してできない、という、
これは反省点ですが、
今よりずっと柔軟さがないというか、
以前はそういう気持ちが異常に強すぎました。
いったいどうやってやってきたのかなぁ??
めちゃめちゃ大変だった記憶はありますが、
具体的なことは17年も経つと忘れちゃいますね。
仕事をつづけながら、
2人目を妊娠した時、
今度は前回の反省点を踏まえ、
教室は大幅縮小。
育児モード。
となると
育児の合間に少し時間ができ、
隙間の時間で色の勉強を改めて始めたのでした。
次男は小さく生まれてしまった長男育児とは大違いの
大きく生まれて楽ちんな良く寝る子で、
また、今となってはちっとも母の言うことなど聞かない長男ですが、
次男が生まれた時のお兄ちゃんぶりは100点満点。
お兄ちゃんは赤ちゃんに嫉妬するものだから優しくしてあげてね、なんて
母親教室では言われていましたが、
なんのなんの。
『ママ!はるくんが泣きそうだからだっこしてあげて!』
えー?まだ泣いてないし。
『ママ!はるくんの横に寝てあげなきゃだめだよ!』
えー?寝てるから一緒に寝よーよー。
そんな感じ。
(えー、長男も現在は高校生『なんか食べもんないの?』『うるっせーな向こう行け』『ねぇお金ないんだけど』が最も良く聞くワードとなり。あの100点お兄ちゃんは見る影ありませんが、潜在的にはきっと優しい子なのだと今、昔を思い返して、自分を勇気づけております)
長男のおかげもあり、今度は心に余裕のある育児時間を過ごすことができました。
完全母乳育児だった私は、長時間息子と離れることはできないので、
これまでできなかった勉強を。という感じ。
この時間の余裕で
出かけた起業や経営勉強系のセミナーで
たまたま出会ったのが、
パーソナルカラーでした。
私がヨーロッパで見てきたワクワクするようなカラーコーディネイトを
人に活かすというパーソナルカラーに
私は魅了されました。
私は自分の好奇心と合致した何かに出会うと、
そもそものオタク性質、研究者気質が湧き出てきてしまうのです。
私の脳には、ヨーロッパで勉強してたときのワクワク感がよみがえり、
完全にパーソナルカラーに吸い寄せられていました。
そのころは、
勉強のために色んな講座を受けに行きました。
色のこと・メイクのこと、という業務内容から、
経理のこと・経営のこと、という実務まで。
もちろん仕事もしながら。
このころから、参加した講座の担当者から声がかかるなどして、
私はパネラーや講演講師を
少しずつ依頼されるようになりました。
その頃、女性起業家、という言葉が流行り始めていて、
依頼いただく講演内容は、
『女性起業家講演』という題目の中の『起業し立ての起業家の話を聞いてみる』なんて感じの、
ちょっと手を伸ばせば誰でも出来そうな、隣のお姉さん的なお話ができるのが
ご好評をいただいたようで色々な商工会議所などから
創業塾などでの講演にお声かけをいただいたのでした。
これが話すという仕事の始まりだったと思います。
今から14年くらい前の話です。
続く~。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::
◆私が起業した時の話<4 うまくばかりはいかない編>
:::::::::::::::::::::::::::::::::::
====================
ベルヴェールのカラー診断の詳細はこちら
カラー診断のお申込み方法
こちらのフォームから希望日程と、時間(午前or午後)をお知らせください。
====================