アジア美術館4 (大発見?アショーカ王) | べらべらブログ〈&小説〉

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いよいよ私の大発見について書かせていただきます。

下の写真は、先日ご紹介しましたガンダーラ菩薩のアップです。


首飾り


この仏像は髪を下ろした姿で、首や腕には大きな飾りをつれています。
首飾りをよく見ますと、これは2頭のライオンです。
ライオンといえば、
インドの偉大な王、アショーカ王の印です。

釈迦の頃にはインドという国はまだありません。
インドという国(今よりずっと広い)を初めて統一したのはアショーカ王です。
釈迦が没して200年後、アショーカはマウリヤ朝の王子として生まれました。やがて王になりますが、兄弟や家臣を多く殺した非常に残虐な王でした。
しかし、ある時、それまでの殺戮を深く後悔し、
国を武力ではなく、平和的に治めようとして、仏教に帰依します。そして、8万以上の仏塔を建て、仏教の教え(たとえば殺すな、両親に従順、友達を敬愛など)をとりいれた法を石柱に刻み、全国に設置します。それが、有名なアショーカ王の石柱です。
石柱の上には彼のシンボルのライオンの姿がありました。

アショーカ王が亡くなってから50年ほどで王国は崩壊、次にそのあたり一帯を治めたのがイラン系のクシヤーン王国、その四代目が偉大なカニシカ王で、彼も戦いの人でしたが、後に仏教をとりいれて王国をまとめようとしました。
武力で人を抑えつけるには限度があり、人をもとめるのには仏教のような哲学が必要なようです。
彼はアショーカ王の帝王学を見習ったのかもしれません。

やがて仏像が作られるようになった時、
インドのアショーカ王の菩薩像が作られたとしても、不思議ではありません。

というわけで、
アジア美術館の菩薩は「アショーカ王」だと思うのですが、いかがなのもでしょうか。

アショーカ王の像ではないかと言われているものとしては、パリのギメ東洋美術館にひとつありますが、あまりはっきりしたものではありません。
このサンフランシスコの仏像がアショーカ王だとしたら大発見、だと私は思うのですが。

それからもうひとつ、
日本で仏教を取り入れて国を治めようとしたのは聖徳太子ですよね。
住んでいたのが「飛鳥」、「あすか」、「アショーカ」、
これ、関係ありませんか。




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