いつも読んでくださり、ありがとうございます。
私のダークヒストリー、摂食障害編を綴っています。
これまでのストーリー↓
摂食障害ストーリー①:頑張り屋の’長女’がダイエットをすると・・・
摂食障害ストーリー④:過食症から抜け出せず苦しむ私を救ってくれたのは、OOだった
最初はなかなか、決して自慢することではない自分の過去のことを書くのに筆(キーボード?)が進まなかったのですが、
書き出したら、どんどん書けてきました。
そして、書くことで癒されている自分も。
さらにどうして私が今、この話を書かなくては!! という気分になったのかも、分かってきました。
それはもうちょっとあとで書くとして、昨日の続き。
祖母の、心からの、「あなたはあなたでいい」の言葉で、やっと、
「私は、私でいい」
「どんな体型でも、どんな外見でも、私は愛されている」
と感じ始められた私。
ずっと止められなかった、過食→嘔吐を、少しずつ減らすことができてきました。
つい食べすぎてはしまうけれども、嘔吐したくなるのを、必死に止めた。
そうすると当然体重は増えます。
過食症からは脱出したいけれども、まだ、ものすごく太っていてもいいのだとは思いきれず、葛藤の日々ではありましたが、
迷ったり不安に思ったときは、祖母の、
「さくらは、どんなふうでもかわええ。
どーんなふうでも、いちばんかわええよ。
ふとっとりゃせんけど、ふとっとっても、いつでもかわええ。」
との言葉を思い出して、”私は愛されている”のだと、太っている自分を受け入れる努力を、必死でしていました。
あえて家から離れた高校に行った甲斐(?)もあり、中学時代の私を知っている人は数えるほどしかいない状況。
それも助けになり、私は、新しい自分を1から作り始めていました。
高校で新しくできた友達は、これまでの私を知らない。
その解放感も重なり、
真面目で頑張り屋、という過去の自分を脱ぎ捨てて。
勉強もできて、痩せていて、なんでもできる優等生の自分は辞めた。
そうしたら、ものすご~~~~くラクになりました!!
私の行った高校の校風もありますが、
高校2年生から始めたアルバイトで新しい出会いをし、
中学では出会わなかった、個性の強い友人たちもできて、
みんな違っていいんじゃない? ということを感じ始めた。
高校3年間は、私は、中学3年とは全く違う学生生活を送ることができました。
食事や、体重に気を遣うことが全くなかったわけではないけれど、
強迫観念に駆られるように運動をしたり、
食べすぎて吐いたり、ということは、だんだん減っていきました。
そして今思えば、根強かった母からの無言のプレッシャー。
母の、自分自身へのコンプレックスが私に転写されていたことや、
母の持つストレスが私に影響を与えていたのも、私が精神的に不安定になる要因だったと思います。
過食が止まらず、泣きながら、「私を止めて!」という私に、
「止めればいいでしょ、自分のことなんだから」と冷たく言い放った母。
母自身にも色々なストレスがあったのだろうし、母には摂食障害に関する知識もなかったのだと今は思いますが、
どんなに贔屓目に見ても、当時、母は私には助けとなる存在ではありませんでした。
高校に1時間かけての電車通学が嫌になり、少しだけ高校に近いという理由で下宿させてもらった祖母(こちらは母方の祖母の家)に、
’若いんだし、好きなものを好きなだけ食べればええ’という大らかな対応をしてもらい、私は更に救われました。
そして私は、高校卒業後は、家を出る形で、県外の専門学校に行きました。
私の場合、母から離れることで、自分を確立していくことができた気がします。
同時期、弟は弟で、中学後半で不登校気味になり。
試験を受けないので、行く高校がなくなり、全寮制の定時制高校に行ったりと、
彼も彼なりに苦しんでいたようです。
この、母と子の繋がりって、ほんとに奥が深いなあ・・・と思うのですが、
そして私の摂食障害になったことも、この親子関係の繋がりが、絶対影響しているとは思うのですが、
それを書き出すと止まらないので、とりあえずその後の私のお話を。
外語専門学校へ1年通ったあと、ずっとしてみたかった、留学のために、私はオーストラリアへ発ちました。
当初の予定は、2年間で、オーストラリアの短大で保育士の資格をとるのが目的。
オーストラリアに来た当初は、言語が分からない不安と、勉強と、ホームシックなどの諸々で再び精神不安定になることはありましたが、
体重に関しては、ふくよかというか、グラマラスというか、ボイン(古い?!)というか、
肉感的な人・女性が多く感じたオーストラリア。
むしろ、痩せているだけのアジアの女性は、セクシーさがないと言われ、もてませんでした笑
むっちり、ぽっちゃり、ちょっと太っているくらいが、胸も大きいしお尻も丸く、女性らしい
感じがあり、ホームステイをしていたホストファミリーのお食事が美味しかったこともあって、
私も安心してぶくぶく太りました
留学があと少しで終わるという時期に、出会ったのが今の夫。
↑の写真の方ほどではなかったけれど、確実に、ぽっちゃり気味だった私を可愛いと言ってくれ(照)、
一度日本に帰ってビザを延長したあと再びオーストラリアに戻ってきて、一緒に暮らし始めました。
彼自身も当時はちょっとぽっちゃりだったので、安心して? 二人でテイクアウェイピザを1枚ずつ完食するとかの生活をしていました。
夫が、コンピューターやゲーム大好きなオタクだったので、特にその当時は運動もせず、ぶくぶく太る日々
過去最高体重を記録していました。
その頃は、摂食障害はちょっと影を潜めていたものの、その当時もたまに、あまりに食べすぎた気がすると、こっそり吐いたりしていました。
でもそのあとは罪悪感に囚われ、自分を責めて、夫にも八つ当たりしたり。
精神的には、まだ落ち着いていなかったんですね。
仕事も始めていたけれど、まだぺーぺーの新人だったので、うまくいかないことの方が多かったし。
まだ不安定な時期ではあったと思います。
不安定・・・つまり、どんな私でも、愛してくれる人がいる、という、確信がなかった。
自分の存在への不安、認められないことの不安で、いつも不安だった。
精神的に落ち着かない私には、夫も相当苦労したと思います。
でもなんとか理解しようとしてくれて、見捨てないで、受け止めてくれた。
夫に会って初めて、私は他人に、自分の摂食障害のことを話すことができました。
そして、今でもたまに嘔吐をしてしまうことがある、と打ち明けたら、夫は、
「それで気持ち的にすっきりするなら、すればいいんじゃない?」
と言ってくれたのです。
否定されなかったこと。
私を信じてもらえたこと。
それ以来、私はかなり落ち着きました。
ここでまた、運命の、そして、最大の救いがやってきました。
子どもを産んだことです。
よく、無条件の愛、無償の愛、って、
親の愛って言われますよね。
私はあれ、逆だと思うんです。
無条件の愛、無償の愛っていうのは、
子どもから親への愛だって。
少なくとも私は、私にすがりつく我が子を抱いて、
「この子は、私が太っていようが痩せていようが美しかろうが醜かろうが、
そんなことは全く気にせず、私のことを心から信頼し、頼り、愛してるんだ」
と思ったとき、
子どもの頃から感じていた胸の隙間が、
埋まったのを感じました。
それ以来、私は食欲をコントロールできなくなるということもなくなり、
母乳育児のおかげで自然と体重も落ちて、
出産後1年ほどで、苦労もせず、一番理想の体重になりました。
(理想体重というのは、見た目もそうですが、自分が一番動きやすく、快適で、病気にもかかりにくい体重だと思っています。)
今現在は、ちょっとコロナ太りで理想体重より+3kgほどなんですが、
それを気にしてパニックになるとかいうことは、ありません。
欲しいものは欲しいときに楽しむし、その反面、
さすがにちょっと身体が重いなー・・・。すっきりしたいなー、というときに、軽くダイエットというか、デトックスをすることもあります。
今もね、実は、いっつも落ち着いてるというわけではないんです。
まだ精神的な、バイオリズムというか感情の波は激しいし、
自分の感情をコントロールできないときも、たまにあります。
でも今は、そんな自分も受け入れられた。
(八つ当たりされる立場の、家族には申し訳ないけれども・・・いつもごめんね~~((;^_^A)
そして今は、摂食障害のことをこうして人に話せるようにも、なった。
辛かったし、大変だったし、苦しんだ。
けれど、むしろ、その経験があったからこそ、
今の私がある、と思える。
今私が、何をしたいか。
どうして特定のライフスタイルを、望むのか。
それが、このダークヒストリーブログを書いているうちに、明確になってきた気がします。
次回は最終回。(多分)
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