『蛇含草ホテル』 | 桂米紫のブログ

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米朝一門の落語家、四代目桂米紫(かつらべいし)の、独り言であります。

あると思っていたものが、なんにもなかった……という感覚には、ある程度年齢を重ねた者ならば、誰しも思い当たる節があるのではないでしょうか。

信頼していた何かとの決裂。

愛を確め合った誰かとの別れ。

それまで当たり前のように手の中にあったものが何の前触れもなく突如失われてしまう、その途方もない喪失感。

現実は残酷で……そして残念ながらその残酷さに何度も打ち勝てる程、人間は強くはないものです。


今回のお芝居は、そういうテーマの作品でした。

現実を直視したくない人にとっては、何とも悲しい……悲しすぎる物語であったかもしれません。


こんなことを書くと「さぞシリアスで悲劇的なお芝居だったんだろうなぁ」と、公演を観ていない人はそう思うかもしれません。

しかしその中身は、コントありミュージカルあり落語ありの、まるでおもちゃ箱をひっくり返したかのような“一大エンターテイメント絵巻”でした。


小劇場のお芝居は、「物語をストレートに語る」ことだけに主眼を置くものばかりとは限りません。
少なくとも僕が若い頃好きになった小劇場演劇は、いかに面白く“伝えたい本筋”から脱線し、回り道するか……そしてまたその脱線を、いかに“意味のある回り道”にするかが、重要なポイントだったように思います。

今回のお芝居は、描かれる大部分が言わば“回り道”でした。
主人公・長子の書いた、無茶苦茶だけど賑やかで楽しい小説の中の出来事として、その“回り道”は描かれます。

しかし最終的にその“回り道”であるはずの世界が、誰に顧みられることもなく孤独の中で死んでいったもう一人の主人公・静の、ある意味での救済の場となるのです。

長子の空想に満ちた虚構の世界で、かつての仲間達に見守られながら穏やかに息絶えて横たわる静の姿を、どこまでも悲劇的なラストと見るか、そこに一抹の安慰が存在すると見るかは、観た人の判断に委ねられます。

でも僕個人としては、あのラストは「ほんの細やかなハッピーエンド」だったのではないかと、そう思っています。


人生は残念ながら、悲観や絶望の種に満ちています。

でも数々の悲し過ぎる出来事に遭遇し、信ずるものや愛するもの全てから見放されたと感じ、孤独のうちに「このまま溶けてなくなってしまうのではないか」と打ちのめされてしまうことが、たとえこの先あったとしても……。
人生に於いて、本当の本当に「なんにもなかった」なんてことは、恐らくないはず。
蛇含草を食べる行為を止めてくれる人は、きっとどこかにいるはずです。


もしそれが、間に合わなかったとしても……。

悲しいことに本当に、一条の光も見えぬ暗闇の中で独り、蛇含草を食べてしまったとしても……。


それでもその人が、笑い、泣き、一生懸命にもがいて生きたその姿は、誰かの心にはしっかりと刻みつけられているはずです。


だから精一杯、笑って、泣いて、一生懸命にもがいて生きるしか、我々に出来ることはないんじゃないかと思います。


『蛇含草ホテル』にご来場くださった全てのお客様、そして多大なるご尽力をくださったスタッフの皆様……特にカッコいい音と光で公演を盛り上げてくださった音響さんと照明さんに、心の底から御礼を申し上げます。


それから今回の公演、共演の皆様に恵まれすぎか!というぐらいに恵まれた公演でした。

思い野未帆さん。
ミュージカル仕込みの美しい身のこなしと、何があっても揺るぎのない演技力。小劇場界にはこんなに凄い人がいるのかと、稽古の時点で度肝を抜かれた役者さんですが……それだけでなく本当にお優しい方で、僕の喉の調子を心配して、よく効くのど飴をたくさん僕にくださいました。千秋楽まで声を出せたのは、未帆さんのお陰です。まさに「芸は人なり」を体現するような、素敵な素敵なお方でした。

つげともこさん。
聞けば今はもう絶滅危惧種となったテント芝居のご出身だそうで、昭和のアイドルのような愛らしい風貌の裏に、良い意味でのアンダーグラウンド感を秘めておられる、稀有の存在です。作・演出の武田操美さん曰く、「つげさんは出てきただけで面白い!」と。まさにその通りで、僕なんかがいくら頭で考えても到達できない天賦の才をお持ちで、稽古の時からずっと羨望の的でした。

上田ダイゴさん。
今回と同じ武田操美さん作の狂夏の市場公演『クズリの目から』で初共演させて頂き、その存在感にひたすら圧倒されたダイゴさん。僕よりかなり先輩で、普段は物静かな二枚目なのですが、舞台に上がった時のそのほとばしるような若々しさには今回も圧倒され続けでした。稽古や本番の合間も、ずっとiPadを手に別件の作業をされている多忙な方でありながら、一回一回の舞台に懸ける熱量と、その情感が凄まじいのです。

十三ロマンさんこと、下村和寿さん。
実は今回共演させて戴いたキャストの中では一番古くからのお付き合いで、初共演は2006年。今はなきシアターBLAVAで上演された『大阪人情喜劇の会』でした。めちゃくちゃ味のあるベテランさんでありながら、とっても控えめで穏やかなお人柄で、そのお人柄が演技にも滲み出ておられます。『クズリの目から』では親子役をやらせて戴きました。情の溢れる、本当にいいお芝居をされる大好きな役者さんです。

北山聖佳さん。
25歳になりたての、キャスト最年少!しかしその器の大きさには、末恐ろしいものを感じるほどでした。オッサン&オバサンが大半を締める座組に於いて、決して物怖じすることなく、確かな演技を溌剌と、しかも堂々とこなす、その芯の強さには尊敬の念すら抱きました。自分が25歳の頃には、とてもこんな力は持ち合わせておりませんでした。彼女はとてつもない大物になります。間違いなく、絶対に。いつかまたどこかで共演したいものです。

空本奈々さん。
ここまで演技力と力強さと身体能力と愛くるしさと人間性を兼ね備えた若い役者さんがいるなんて、関西小演劇界はこれからも安泰だと安心できる……そんな卓越した実力と魅力を併せ持った人でした。舞台上での彼女との台詞のやりとりが、毎回楽しくって仕方なかったです。そして特筆すべきは、その気遣いの細やかさ。誰に頼まれた訳でもないのに、毎回開演前に舞台の掃除をし、役者の早替えの手伝いをし……。僕がほぼ出づっぱりのシーン中、一瞬袖にはけるタイミングで、お茶を用意して待ってくれてるんです。どんな高価なお茶よりも、あのお茶は美味しかったです。

小石久美子さん。
新劇仕込みの可憐な演技派でありながら、小劇場演劇のはっちゃけた役も真摯に一生懸命にこなす姿が、何だかとてもいじらしい小石さん。武田操美さんが「マシュマロテント」の相方に、小石さんを選んだのも頷けます。奇人のお茶会に迷い込みながらも、決して取り乱すことなくマナー通りにお茶を嗜む貴婦人のよう。そしてそれがきっちりとした“重し”になっているからこそ、僕らは安心して大暴れできるのです。

そして最後に、武田操美さん。
演劇の世界に於いて、縁というものはとても大事です。とにかく演劇界の人口ってとてつもなく多いもんですから、同じ関西小劇場界とは言え、一生出会わずに終わる方というのはたくさんおります。そんな中、操美さんと出会えたことは僕の財産です。そして今回、そんな操美さんが20年ぶりぐらいにきちんと小屋を借りて作・演出をする公演に(マシュマロテントのこれまでの公演は、会場が廃ビルや公民館やおでん屋さんでした)、重要な役で使ってもらえたことを、本当に本当に光栄に思います。今回の素敵すぎるキャストを、全員当て書きで……そしてご自身の経験を落語「蛇含草」と結びつけて、あれだけの作品に昇華させた武田操美という人は、控えめに言って天才です。操美さんを信頼し、操美さんが信頼する人が集まったのですもの。そりゃ素敵な座組になるはずです。


公演が終わり、みんなと一同に会せなくなるのが、とても寂しいです。

長子がみんなを幸福感溢れる小説の世界に閉じ込めたように、僕もみんなを思い出の中に、いつまでもいつまでも閉じ込めたいと思います。