都んぼ版 夢十夜⑩ | 桂米紫のブログ

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米朝一門の落語家、四代目桂米紫(かつらべいし)の、独り言であります。

最終夜「幽霊の夜」



自宅の二階で、私はいつものように一人、布団にくるまっている。

寒い夜で底冷えがする。

いつもは布団に潜り込んで来てくれる猫達も、どうしたものか今夜はやって来ないようだ。


いや…あの猫達は、もういなくなってしまったのかも知れないと、そんな考えがふと頭に浮かんだ。

…そうだ。猫を飼っていたのはもう何年も前の話で、私は何か勘違いをしていたようだ。

今はもう「今」でなく、「未来」のようだった。

寒い寒い家の中で、私は本当にただ一人、布団にくるまっていた。


眠る事も出来ずにただ暗闇を見上げていると、ぼうっとした淡い光が、天井に浮かび上がってくるのが見えた。

何かと思って目を凝らしてみると、それは人の顔のようだった。

「幽霊だ」と、私は思った。

気味が悪かったが、その光から目を離す事は出来なかった。

顔は次第にはっきりと、その輪郭を浮かび上がらせてきた。

そしてそれは一つではないようで、とうとう天井中に、十ほどの顔が浮かび上がった。

その一つ一つに、見覚えがあった。

それはどれも、これまでの人生の中で、私が傷つけてきた人達の顔であった。

恨み言を言うでもなく睨み付ける訳でもなく、ただ顔は天井から、無表情に私を見下ろしていた。

それが私には余計に辛く、胸が締め付けられるような思いがした


すると、何か雨粒のようなものが一つ、私の布団の胸の辺りにぽたりと落ちた。
それが何であるか、何故か私はよく知っていた。

それは、天井の顔が流した涙であった。


やがて、全ての顔が泣きだした。

表情が崩れる事もなく、ただ無表情な顔からぽたりぽたりと、それはまるで雨漏りのように部屋に降り注いだ。

言葉にできない恐怖と罪悪感とで、私の頭はどうにかなってしまいそうだった。

早く夜が明けて欲しいと、心底そう願った。

その間にも尚も涙の粒は部屋中に降り続け、私の布団に染み込んで、その重みで私は胸が苦しくなるのを感じた。

いつしか涙は滝のような勢いで流れ始め、私の胸はいよいよ、一層重みを増した布団に押し潰されそうになっていた。

その刹那、それまで無慈悲に見下ろしていただけだった天井の顔が、一斉にニヤリと笑うのを私は見た。



…そこで目が覚めた。


ふと見ると、夜明け前の淡い光の中、胸の上で猫が気持ち良さそうに寝息を立てていた。

私がそっと背中を撫でると、猫は私の胸の上で、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。


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