最終夜「幽霊の夜」
自宅の二階で、私はいつものように一人、布団にくるまっている。
寒い夜で底冷えがする。
いつもは布団に潜り込んで来てくれる猫達も、どうしたものか今夜はやって来ないようだ。
いや…あの猫達は、もういなくなってしまったのかも知れないと、そんな考えがふと頭に浮かんだ。
…そうだ。猫を飼っていたのはもう何年も前の話で、私は何か勘違いをしていたようだ。
今はもう「今」でなく、「未来」のようだった。
寒い寒い家の中で、私は本当にただ一人、布団にくるまっていた。
眠る事も出来ずにただ暗闇を見上げていると、ぼうっとした淡い光が、天井に浮かび上がってくるのが見えた。
何かと思って目を凝らしてみると、それは人の顔のようだった。
「幽霊だ」と、私は思った。
気味が悪かったが、その光から目を離す事は出来なかった。
顔は次第にはっきりと、その輪郭を浮かび上がらせてきた。
そしてそれは一つではないようで、とうとう天井中に、十ほどの顔が浮かび上がった。
その一つ一つに、見覚えがあった。
それはどれも、これまでの人生の中で、私が傷つけてきた人達の顔であった。
恨み言を言うでもなく睨み付ける訳でもなく、ただ顔は天井から、無表情に私を見下ろしていた。
それが私には余計に辛く、胸が締め付けられるような思いがした
すると、何か雨粒のようなものが一つ、私の布団の胸の辺りにぽたりと落ちた。
それが何であるか、何故か私はよく知っていた。
それは、天井の顔が流した涙であった。
やがて、全ての顔が泣きだした。
表情が崩れる事もなく、ただ無表情な顔からぽたりぽたりと、それはまるで雨漏りのように部屋に降り注いだ。
言葉にできない恐怖と罪悪感とで、私の頭はどうにかなってしまいそうだった。
早く夜が明けて欲しいと、心底そう願った。
その間にも尚も涙の粒は部屋中に降り続け、私の布団に染み込んで、その重みで私は胸が苦しくなるのを感じた。
いつしか涙は滝のような勢いで流れ始め、私の胸はいよいよ、一層重みを増した布団に押し潰されそうになっていた。
その刹那、それまで無慈悲に見下ろしていただけだった天井の顔が、一斉にニヤリと笑うのを私は見た。
…そこで目が覚めた。
ふと見ると、夜明け前の淡い光の中、胸の上で猫が気持ち良さそうに寝息を立てていた。
私がそっと背中を撫でると、猫は私の胸の上で、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。