怪談 新・新耳袋 第一話 | 桂米紫のブログ

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米朝一門の落語家、四代目桂米紫(かつらべいし)の、独り言であります。

本物の怪談とは、‘話芸’である。

話術によって人を「怖がらせる」のも「笑わせる」のも、根本は同じだ。

という訳で、ここで僕自身が体験をした‘怪談’を、少し綴ってみたいと思う。

ここに書かれた事は、全て実話である。



第一話『石ころ』


公園の樹…その根元に転がっている石ころを見ると、僕はいまだに恐怖を感じる。


それは僕が幼稚園か、あるいは小学校低学年の頃の話。

一人っ子だった幼少の頃の僕は、父親と近所の公園巡りをするのが好きだった。

日曜日が来る度に父親と二人で、自宅から自転車で行ける範囲のあちこちの公園に出かけた。

今もある、私鉄電車の線路沿いの公園で、いつものように遊んでいた時の事。

遊んでいるうちに、僕はおしっこに行きたくなった。

割と大きな公園ではあったが、当時その公園にはトイレがなく、またそこは家からも少し離れていた。

どうせ子供の事だ…と思ったのだろう。
「公園の隅っこの方でしといで」
父親は僕にそう言った。

公園の隅に、樹が植わっている。

ベンチに座って待つ父親を残して、僕はその樹の根元で放尿した。

すぐに、樹の根元に石鹸ぐらいの大きさの、平べったい石ころが落ちているのに気づいた。

妙なのは、その石に「字」が書かれていた事である。

何が書いてあるのか…幼い僕には読めなかったが、何か黒いインクのようなもので書かれた漢字が、石の表面に数文字並んでいた。

放尿中もずっと気になっていたその石ころを、用を足し終わってから僕は、靴の先でチョイとひっくり返してみた。


何と、そこに顔があった。


目と鼻と口…その四つの突起が、石の表面にくっきりと浮かんでいた。

その時は、恐怖よりも興味が勝って、すぐに僕はベンチで待つ父親を呼んだ。

「お父さん、人の顔の石があるで!」

その声にやってきた父も、石を見て不思議そうな顔をしていた。

家に帰ってから母親にその話をしているうちに、父も僕も、再び不思議な気持ちに囚われ始めてきた。

そしてもう一度その「石」を見に行こうという事になった。

公園に戻ってみると、そんなに時間が経った訳でもないのに、石はもうそこにはなかった。


だから僕はいまだに、公園の樹の根元に転がっている石ころが、何だか気味悪くて仕方ない。

ひっくり返して、もしそこに‘顔’があったら…と思うと、ゾッとするのだ。


しかし気になるのは、そんな石の側に放尿したりして、僕に「祟り」がなかったのかという事である。

…あるいは、今のこの不安定な生活が、「祟り」なのかも知れないが。


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