こんにちは。手から始まる自己覚醒の道
〜手愛手メソッドの河野修一です。
「癒やし」は、
いったいどこから始まるのでしょう?
僕は、
癒やしは「気づき」から始まる
と考えています。
では、
「気づき」とは何でしょう?
僕なりに表現すると、
それは、
「意識の視点や視座」が
ジャンプすること。
今までとは違う、
より高く、より広い意識の光のもとで、
自分自身や、
自分が置かれている状況を
見られるようになることです。
たとえば、
壁が透明なエレベーターに
乗っている自分を想像してみてください。
地上1階から見る景色と、
30階から見る景色。
同じ場所を見ていても、
そこから見える世界は
まったく違います。
1階にいるときには、
目の前に大きな障害物があれば、
「どうやってこれを取り除こう?」
「どうやって乗り越えよう?」
と、
直接的、直線的な方法で
解決しようとするでしょう。
ところが、
エレベーターが上昇して
30階まで来ると、
あれほど大きく見えていた「問題」が、
ずいぶん小さく見えてきます。
さらに、
周囲の全体像まで
見渡せるようになる。
すると、
「こちらから行けばいいんだ」
と、
今まで見えなかった道が
見つかるかもしれません。
あるいは、
全体の流れが見えることで、
その問題が自然に
解決へ向かっていることに
気づくかもしれません。
さらに視座が変われば、
そもそも、
「これは本当に問題だったのだろうか?」
と気づくことさえあります。
問題がなくなったのではありません。
「問題を見る自分」が
変わったのです。
僕は、
ここに「癒やし」の
大切な本質があると思っています。
気づきを重ね、
意識の視座が高くなるほど、
自分の世界観も、
生命に対する見方も、
広く、深くなっていきます。
そして、
「生命観が拡がる」ということは、
同時に、
自分自身の生命の可能性が
拡がるということでもあります。
だから僕は、
ある意味、
「生命力とは、気づきの合計である」
と表現することもできると思っています。
僕たちは、
自分が知っている世界の中でしか、
可能性を想像することができません。
けれど、
気づきによって
意識の世界が広がれば、
その広がった範囲の中で、
人生を、
健康を、
そして癒やしを、
新しく創造できるようになります。
では、
どうすれば「気づき」を
加速できるのでしょう?
気づきやインスピレーションは、
心と身体がオープンになり、
静かで、
瞑想的な状態にあるときに
訪れやすくなります。
反対に、
「思考(頭)」ばかりが優先され、
答えを必死に探しているときには、
かえって気づきが
入り込む余地がなくなってしまいます。
これは、
マインドを否定するということではありません。
ただ、
マインドだけで
答えを探すことから少し離れてみる。
そして、
身体を開き、
ハートを開き、
生命そのものに
耳を澄ませてみるのです。
実は、
「手愛手」をしているときの二人は、
とても自然に、
瞑想的な状態へ入っていきます。
ただ、
丁寧に手を当てる。
相手を変えようとせず、
結果を求めず、
できるだけ無垢な手で
目の前の生命に触れていく。
すると、
触れる人も、
触れられる人も、
普段のマインド中心の意識から
少しずつ離れ、
静かなハートの空間へと
入っていきます。
だから僕は、
手愛手を、
「気づきのチャンスを提供するタッチ」
と呼ぶこともできると思っています。
そこでは、
一方が癒し、
もう一方が癒される、
というだけではありません。
二人がともに静かになり、
ともに感じ、
ともに気づき、
ともに意識の視座を
広げていく。
つまり、
手愛手とは、
「二人で一緒に高く飛ぶこと」
なのかもしれません。
互いに癒やされながら、
互いに気づきを深め、
一緒に少しずつ
高いところへ上がっていく。
もしそんなことが、
「手を当てる」という
シンプルな行為を通して起こるとしたら、
それは、
とても貴重な体験だと
僕は思っています。
最後に、
リチャード・バックの
『かもめのジョナサン』に出てくる、
僕の好きな言葉を紹介します。
「最も高いところを飛ぶカモメが、
最も遠くを見通せる」
僕たちも、
一人だけで高く飛ぶのではなく、
互いに癒やし、
互いに気づきを分かち合いながら、
一緒に視座を高めていけたらいいですね。
みんなで一緒に、
ジョナサンを目指しましょう!^^
(※公式HP:手愛手メソッド公式サイト)
