こんにちは。手から始まる自己覚醒の道
〜手愛手メソッドの河野修一です。
「触れる」という行為において、
たとえば「手愛手」において、
そしておそらく、
人生そのものにおいても、
とても大切なことがあります。
それは、
「一体感」の中に入ること。
何か一つのものと、
深い愛の関係、
共鳴する関係を築いてみる。
僕は、
その対象との間に生まれる
深い「一体感」こそ、
「愛」の一つの姿なのではないかと思っています。
自分と何かとの間にある、
「分離感」や「距離感」が、
ほんの一瞬でも外れる。
そんな体験です。
人との一体感。
モノとの一体感。
時間との一体感。
空間との一体感。
そして最後には、
ただ「いまここ」がある。
一体感を感じられるなら、
その対象は、
何であってもいいのです。
なぜなら、
一つの愛につながることは、
同時に、
すべての愛につながることでもあるから。
「愛は一つ」だからです。
そしてそれは、
人類全体につながることでもあります。
なぜなら、
「生命も一つ」だから。
さらに言えば、
未来の子どもたちや、
遠い昔の先祖たちとも、
僕たちはどこかで
つながっているのかもしれません。
「過去 → 現在 → 未来」
僕たちは時間を
一本の直線のように捉えています。
けれども、
それは一つの見方に
過ぎないのかもしれません。
もし時間が、
過去も、
現在も、
未来も、
同時に内包している
「一つの球体」だとしたら?
「いまここ」で
深い一体感に入るということは、
時間を超えて、
生命そのものにつながることなのかもしれません。
「手愛手」では、
人は「手を当てる」という
とてもシンプルな窓口を通して、
宇宙的な愛と、
ワンネスの意識を
垣間見ることがあります。
けれども、
手法やテクニックばかりを
追いかけていると、
その世界は見えてきません。
「自分が何とかしてあげよう」
「自分が癒してあげよう」
そんなふうに、
意識のベクトルが
「自分」に向いているときにも、
なかなか入ることのできない世界です。
だから、
ただただ、
淡々と、
丁寧に手を当てる。
何かを起こそうとしない。
何かを変えようとしない。
ただ、
目の前の生命とともにいる。
僕は、
「無条件の愛に触れられて、
変化しない人は誰もいない」
と思っています。
二人が深い一体感の中に入り、
瞑想的になっていくとき、
そこにはもう、
「癒す人」と
「癒される人」はいません。
ただ、
「癒し」があるだけ。
癒しが、
自然に起こっているだけです。
二人は一緒に、
愛の中で踊り、
生命という大海の中を
静かに揺蕩(たゆた)う。
そして、
僕たち個人の思考を超えた
大きな叡智の中で、
そのとき必要な「最善」が
自然になされていく。
それに委ねるということは、
生命を信頼すること。
そして同時に、
自分の人生そのものを
信頼することでもあります。
これが、
僕にとっての「手愛手」です。
単なるタッチの技法ではありません。
「触れる」ことを入り口にして、
分離を超え、
生命と一つになっていく。
そして、
自分よりも大きな生命の流れに
自分を委ねていく。
これは、
あなたにも伝えたい
「タッチの奥義」であり、
同時に、
深い「自己信頼」へと至る道なのです。^^
(※公式HP:手愛手ヒーリング公式サイト)
