酔っぱらって

 

 

一年生である

三男坊に

 

『抱っこ』

 

と言ったら

抱っこしてくれた。

 

 

 

胸と胸をピタリと合わせ

お互いの呼吸が重なるまで

静かに寄り添う。

 

 

三男坊は

最初は緊張していたけど

その内心地よさに溶けて

ひとつになった。

 

 

「いつも頑張っているの、知ってるよ、ありがとう」

って伝えながら

 

熱い涙がつたう感覚と

三男坊の 泣くもんか!の強がりと

誰のものでもないひとつが

ここに在った。

 

 

 

 

 

 

存在していること

 

 

それだけだ。

 

 

 

 

 

 

存在していることに

意味や価値を付け

求めて止まないのが常でも

 

 

もう、すでに

 

存在しているから笑える。

 

 

 

 

 

承認欲求丸だしのまま

他人の評価を伺って怯えていたって

 

 

もう、すでに

 

存在しているから笑える。

 

 

 

 

 

 

誰もが

 

もう、すでに

 

 

祝福されているんだ。

 

 

 

誰かや何かにではなく

 

 

生きることに。

 

 

 

 

 

 

自由な表現そのものが

 

 

もう、すでに

 

存在を通して起きている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ストーリーは

まさに絵本の物語であり架空だ。

 

 

 

だとしても

 

 

存在なしには経験などできないわけで。

 

 

 

 

 

 

外側から傷つけられないようにと

 

一生懸命まとった鎧(地位や名誉や資産や見掛けや資格や強み)さえ

 

 

存在そのものだ。

 

 

 

 

恐れから身を守る。

それが起きただけ。

 

 

 

 

 

 

 

産まれたばかりの赤ん坊を想像してほしい。

 

 

その存在に

 

誰が意味を付けるだろうか。

 

 

 

誰が価値を付けるだろうか。

 

 

 

 

存在は

 

存在として

 

 

 

もう、すでに

 

祝福されている。

 

 

 

 

ね!

 

知っていることでしょう?

 

 

 

あなたは存在しているだけで

 

素晴しい。

 

 

もう、すでに

祝福そのものなんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

どうやら 非二元のメッセージは

 

それをお伝えしているようだ。(←今さらかよ(笑))

 

 

 

 

 

無償の愛が今ここに。いつもここに。