ひとつしかないものが
いろんな体験をするために
いろんな形で現れた
ひとつしかないものは
孤独だったのだろうか…
ひとつしかないものに
思いを馳せてみたら
まるで 無邪気な子どもみたいなエネルギー
ワクワク、冒険心
そして 慈しみのある壮大な広がり
母のような無条件の受容性
しなやかな強さと軽さ
孤独や寂しさなど微塵もない
「在る」
に、出逢った。
AKANE💫はね、
物心着いたときからずっと
何かを探していた。
「生きる意味 」 みたいな感じかな~
自分探しの旅は
自分を表現すること
自分の描いた世界を歩くこと。
母が死に
子どもを産んでからも
自分探しの旅は続き
自分癒しに変わり
自分とはなんだろう?
に変わっていった。
心理学やスピリチャル、精神世界に
導かれたのは必然だったんだろう。
答えは見えないところにあると
なんとなく分かっていたから……
でも、どんなに学んでも、内側を癒しても
まだまだ何かを探していた。
掴めないものを掴もうと
それが何なのかも分からず
ただ、なんとなく満たされない感じや
足りない感じ、不安と闘っていたんだ。
そんな私は去年の5月に
ノンデュアリティ(非二元)に出逢った。
この、ずっと探していた何かを
見つけたんだよ。
そう、探していたものなんか
始めからなかったと気づいたんだ。
自分の不完全さが 幻 だったと
しっかり分かったんだ。
自分が愛からの現れだと知るために
私たちは生きている。
欠乏意識
これは誰にでもあり、
無意識の内にそれを埋め合わせるために
行動している。
自分は不完全だという前提でスタートしたストーリー
その不完全さを何か物質的なもので埋めることで、満たされることは永遠にないんだ。
誰もが羨むような生活が手に入ってもね。
また、すぐ他の何かが欲しくなる。
欠乏意識 = 分離
これが幻だと知ることは
在るがままの自分が、既に受け入れられていることを知ることなんだ。
私たちは人間の形をしているけど
草木や猫やテーブルと同じ
ひとつしかないものの現れ。
本当は分離なんかしてなかった。
埋めなければならない 何かなんて
始めからなかったんだ。
私たちは十分に守られている
私たちは十分に受け入れられている
私たちは十分に愛されている
ひとつしかないものが
形を変えて今ここで表現している。
その子どもみたいなエネルギー
慈愛溢れる静寂
それは、今ここに在る。
それを思い出すために
不完全さを持ち備えてきた私たち。
不完全さを体験したからこそ
完全を体験できる。
人生は
どーやら、そんなゲームみたいだ。