こんばんは。だいぶあちらこちらで桜が咲き始めました。4月に入り、旅館での雑務員の仕事を始めて来月で1年になろうとしています。怪我が癒えて少しずつリハビリを始めたのが昨年の2月の中頃。入院中の自分は頭を縫う大怪我のショックで脳味噌が働かず、ほぼ抜け殻の放心状態で、退院後に居候する事になった旅館でも恐怖心や警戒心からパニックを起こして金切り声ですすり泣き、人と目を合わせる事もまともに喋る事も出来ず、泣き出したかと思えば今度は着ていた浴衣や布団を引き裂いたり、襖や障子を破いたり、怒りや不安の感情に駆られて暴れたりと、感情の浮き沈みなんて軽い言葉で済まされる次元じゃない、精神的にかなりボロボロに擦り切れ、周囲に対して心を閉ざしていた酷い時期でした・・・。でも、こんな死んでも死に切れなかった死に損ないの壊れたオッサン、縁もゆかりもない見ず知らずの行き倒れのために旅館のオーナーさんは治療費から生活費まで何から何まで全額自腹を切って下さったり、自分の娘くらいでも不思議じゃないウンと年下の女将さんや他の従業員の方々が仕事もしながら合間合間に食事から着替え、トイレから風呂まで、お恥ずかしいながら身の回りの世話を根気強く看て下さりました。ここ山梨の小さな村での静かな生活と旅館や地域の住民の温情や優しさの中でボロボロだった自分の心が少しずつ癒えていき、慣れない土地での暮らしや環境の変化に対する戸惑い、他人への恐怖心も次第に薄れていったので、今ではこうして旅館で契約社員の雑務員として働き、週末には息子くらい歳の離れた年下の先輩従業員と甲府市のプラモ屋巡りや屋台に飲みに行けるくらい元気になりました。あとちょっと発見・治療が後れてたら本当に死ぬ一歩手前だった自分の命を拾って下さった旅館、決して素性が良いとは言えない汚れた過去・経歴を持つ余所者の自分を“新しい住民”として快く受け入れて下さった村の住民には心から感謝してもし切れないほど感謝の気持ちで一杯です。ちょうど来月の新年号【令和】に変わる月に契約社員の雇用契約が終わり、悲願だった正社員に昇格する予定なので、残り3週間ちょい、気を抜かず頑張りたいです。もっとも、正社員は“人生のスタートライン”に過ぎませんので、正社員になってからが自分の人生は本当の勝負(スタート)です。
こんばんは。本日は地元の統一地方選挙(県議、市議、市長)でした。選挙に行かないよりはマシだけど、実質選挙に行かなかった【白紙委任】と同じ、形ばかりの権利の行使(積極的棄権)を朝イチに済ませ(※従姉の車で連れてってもらった)、昼頃に汽車で岩国の錦帯橋まで花見と洒落込もうと支度をしていると、午前中からま~た雨、あめ、アメ・・・。何つーか、つくづく自分は雨男なようです・・・。明確な目的を持って出掛ける支度をするといつもコレです(プンプン!)「だったら初めから選挙に行く前に降ってくれよ!」って話です(※それはそれでめんどくさいが・・・)。仕方がないのでこの日は自宅で昼飯を食べ、ひきこもり中の従甥の今後について従姉と具体的に突っ込んだ話をし、15時過ぎにバスと電車で広島駅に向かってそのまま真っ直ぐ山梨へ帰りました。平成最後に岩国の錦帯橋に隣接する満開の桜並木が観たかった&錦帯橋に程近い岩国の老舗模型店に行きたかったなぁ・・・。

こんにちは。明日、広島で選挙だから帰らなきゃなぁ・・・。でも、今月はいろいろ物入り(の予定)で新幹線代が厳しい・・・。どうせ棄権(白票)なのは分かってるのに、わざわざ投票しに帰るんだからウマシカだよね~・・・。かといって県議はもう無投票で当確だし、市長も市議も正直変わり映えがしない&新人もクソみたいな泡沫・売名候補者ばっかだし。とはいえ、選挙権もらって30年近く、(記憶にある限り)一度も投票に行かなかった事はないので、白票だろうが無効表だろうが“投票したいと思える魅力的な候補者がいない”&“議員みたいな賤業になりたがるヤツにロクな奴はいないから信用出来ない”という意思表示としてこれからも白票を投じ続けるでしょう・・・。組織票のある立候補者の思う壺と罵られても仕方がないこんな愚か者をどうぞ笑ってやってつかぁさい。
こんばんは。何か今日、新年号の発表だったそうですね。夕方のラヂオで知りました。新年号は令和(れいわ)だそうですが、自分の第一印象は「う~ん?」で、失礼ながら何か微妙な感じ・・・。“○和”という字面や“和”の一字からかつての昭和を意識しているのかなぁという臭いがしなくもないですね・・・。まぁ、慣れるしかありませんが。昭和生まれの団塊ジュニア世代(誕生日と血液型が一緒のTOKIOの城島茂さんとほぼ同世代)のクズキワオヤヂも既に昭和を生きた時代よりも平成を生きた時代の方が上回ってしまいましたが、未だに昭和の価値観や体質を引きずる自分はますます“昭和(時代)の古い人”になり【壊れて使えないレトロ家電の粗大ゴミ】扱いなんでしょうね・・・。あ、でも、そんな事言ったらウチの祖父なんて1908(明治41)年生まれだからそれこそ【生きた化石】や【物の怪】だ・・・(苦笑)明治、大正、昭和、平成の4つの時代を生き、まもなく新年号の令和を生きようとしている最近の祖父は半分寝たきりを脱して体調を持ち直し、今はシルバーカーを押しながらまだ近所を散歩する程度の元気や脚力はあるので、もう一年頑張れば前回の東京五輪の開会式に行って以来の56年振りの東京五輪はもしかしたら行けるかもしれないので、祖父には来年の東京五輪とは言わず、120歳、更に130歳と人間の最長寿でギネス記録を更新する勢いで何時までも長生きしてほしいものです。平成も残すところ一ヶ月──まぁ、年号が変わっても自分の生活はこれまで通り何も変わりませんが、人生の3分の2近くをお世話になった平成に笑われないよう、これからも日々マジメに勤労に勤しみます。
こんばんわ。今日は生憎の雨でした・・・。最近、というか、今に始まったことじゃありませんが、自分はいざ目的を持って出掛けようとすると大抵の場合雨に降られます・・・。今日は前から買おうと思っていたちょっとお高いプラモ(2,000円台)を買いに行く予定で旅館からバス停まで杖を突きながら徒歩で30分(普通の人な15分くらい)の距離を歩いてる途中でそれまで雲一つ無く晴れていた空が急に曇り出し、盥をひっくり返したよう土砂降りとなり、慌てて旅館に引き返した頃には濡れ鼠状態・・・。自分は所謂“雨男”らしく、今年に入って既に13回(今日を含めると14回。月に平均4~5回)くらいはズブ濡れ・大事な予定が雨流れ(中止)になりました。女将さんに冗談半分でお祓いを勧められた事もありますが、自分は非科学的でオカルトじみた迷信や占いは信じない現実主義者。天気予報が狂っていた、山の天気は変わりやすいためたまたま間が悪かったと自分に言い聞かせています。幸い、雨に降られるのは外出しようとする時だけで、外出して旅館に帰る時はそういった経験は無く、プラモや本を買ったはいいが雨で荷物が濡れて大惨事──なんて事は今のところありません。ツイてるのかツイてないのか、よー分からんです。
プルーン、食べたことある?
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プルーンの実そのものはないけれど、大根の俳優Nが出演するCMでお馴染みのネズミ講、マルチ商法紛いの非常に胡散臭い某健康食品【ミ○プルーン】を試供品で食べた事があります。正直、あんなクっソ不味い反吐みたいなもんにぼったくりな金額払ってまでプルーンを食べたいとは思わん・・・。米飯派だから桃○の【ご○んですよ】みたいにご飯に乗せて食べられない点がそもそも自分の食習慣に合いません。これなら苦手な生のトマトを食った方が何万倍もマシです←プルーン二ウラミデモアルノカ?
こんにちは。今更ですが、お彼岸という事で広島に帰ってきております。お墓の掃除して手を合わせて参った後、昼メシを食べたのが午後1時も過ぎた頃でした。「さて、メシも食うたから(市内の模型屋へ)パトロールに出掛けるか!」と、意気揚々と支度をしていると、従姉に呼び止められ「ちょっと○○(従甥)の事で話があるんだけど・・・」と話を切り出され、自分も直ぐに「(ああ、あの話か・・・)」と思い出し、急遽家族会議に。実は昨年の5月に従姉の上の息子(従甥)がバイク事故で亡くなりまして、お兄ちゃんっ子で兄にベッタリだった下の息子が兄を亡くしたショックで不登校となり、間もなくして高校中退・・・。それから現在まで我が家の自室から一歩も出ない引きこもりとなって早9ヶ月ほどになります。しかし、この件に関しては従姉と従甥の親子2人の問題という事もあり、親戚と言えども自分には何も出来る事がなく、何をどうしてやればいいのか分からないまま現在に至ります・・・。自分は山梨で働いている事もあって普段は家を留守にしていて、自分の身の回りの事、我が家の事を従姉に押し付ける事への後ろめたさからその代償・見返りとして従男たちの養育費などを援助する一方で、他人とのコミュニケーションや距離の取り方が苦手、他人の内面的な事に対してイチイチ干渉しない(自分の内面にズカズカと干渉されるのも嫌いな)主義の自分は従姉や従甥に対してもどう接すればいいのか分からず、無関心を装って結果的に見て見ぬフリを決め込んでしまっています。大人として、保護者として、男として非常に無責任な上、その時々で気分や性格にムラが出る自分は“理屈の自分”が強く出る時は軽薄で冷淡な思考をする事が多々あると分かっていても、自分は自分で日々自分の事を守る事で精一杯で今は周りに気を配るだけの心の余裕がないのもまた事実。「保護者なんだからしっかりしろ」とか、「親代わりとして責任を持てよ」とか、子を持つ親御さんからキツい意見もありましょうが、そもそも人の親になった経験がない自分には例え真似事でも親や保護者なんて出来ませんし、それを名乗れるほど自分は出来た人間じゃありませんので。自分が出来た人間・大人ならこんな事をこんな場所で愚痴ったりしませんからね・・・。もちろん、お兄ちゃんを亡くした事は気の毒とは思いますし、自分が若い頃と今の若者では感覚が違うから、引きこもる従甥に根性、気合いが云々を言うつもりは毛頭ありません。しかし、親や兄弟を亡くして辛い思いをする・したのはあの子だけじゃないし、人が生きていく上で肉親や大切な人を亡くす悲しみは必ず乗り越えていかなきゃならない試練だと自分は思いますので、あの子には自分自身で心の整理を着けて立ち直ってもらう以外にどうする事も出来ません。なまじ優等生として育ってきた従甥にとっては高校中退、引きこもりと、今は本当に辛い時期でしょうが・・・。さあ、どうしたものか。
こんにちは。週末になると甲府市の某模型屋へちょくちょく足を運んでいるクズキワオヤヂでございます。特に目新しい物を探したり、お目当ての物を買うためとかではなく、単純に模型屋の雰囲気が好き、買えもしない高価なプラモがたくさん陳列された棚や作例を展示したショーケースを眺めてるだけでも楽しい自分にとっては何時間居ても飽きないんですよ←ヒヤカシナラカエレwwwんで、模型屋に入り浸るようになって最近気付いた事です。自分、失踪する前の過去の記憶がだいぶ抜け落ちてからは過去の自分が書いた駄日記(ブログ)や手書きのマンスリーノート(スケジュール帳)を読み返す事で表面的ながら“記憶の補完”──過去の自分の性格や好み、言動、その時々の出来事を“覚える”という形で記憶を取り戻そうとしているのですが、模型屋をブラブラしていて昔の古いキットの再販物とか、昔からパッケージデザインがほとんど変わらないレトロなボックスアートとかを見ていた時にふと子供の頃に作って遊んだプラモの名前(製品名、キャラクター名)やメーカー、それに関連して「このプラモを作った時はどこそこが上手くいかなかった」とか「S君(小学生時代の同級生)が○○、自分は△△を買って、互いに持ってる道具や資材を貸し借りしながら一緒に作った」とか、そういう昔の記憶を自力で思い出せた事がいくつかありまして、自分でも少し驚いております。どうやら自分は興味・関心のあったもの(趣味)に紐付けされた形で関連した事柄や昔の事は何かのキッカケでふと思い出せるようで、最近は特にそういう連想ゲーム的な流れで少しずつ思い出した事も少なくないです。タンス(記憶領域)の引き出し(記録)の取っ手(検索ワード)は壊れてるけれど、引き出しの中身(情報)自体は壊れず残ってるという状態なんでしょうか。通院している脳神経科のお医者様は「クズノキワミオヤヂさんの場合は外傷性(頭部の受傷)よりも心因性(ストレス)の影響が強いから、然るべき治療を受けて心を落ち着かせ、ストレスを取り除けばいずれ思い出せる可能性はあります」とは言ってましたが、それがいつ記憶が戻るか、そもそも本当に思い出せるかどうかまでは脳の専門家でも分からない事だとか。人間の脳はコンピュータのようにプログラムから解析してシステムの全容を解明出来るほど単純な物ではないらしく、そもそも“どこまで記憶が戻った”かなんて無くした記憶が何なのかも思い出せない本人にも分からない事をお医者様には尚更分かるはずもないという事なんでしょうね・・・。そりゃそうです・・・。
こんばんは。今日はホワイトデーでしたな。自分は広島にいる従姉や幼なじみの姉貴からもらったお菓子のお返しをホワイトデー当日に渡せそうにないので、1週間前倒しで宅配にて山梨のお菓子や特産品を送っておきましたので、当日は先月のバレンタインデーで賄いのデザートとして振る舞ってくれた女将さんには舌舐めずりする女の子がマスコットのお菓子屋で購入したクッキーの詰め合わせとメッセージカード(手書き)付きの花束を渡しました。女将さんもまさか私がホワイトデーのお返し、しかもプレイボーイみたくメッセージ入りの花束を贈ってくるとは思わなかったらしく「昭和時代のトレンディードラマみたい」「今の彼氏はもちろん、男の人から花束なんて貰ったことないです」「ナンブさんってこういうのは意外に“マメ”なんですね」とケラケラ笑っておりました(笑)なお、この日の女将さんは物凄く上機嫌でして、よく見ると耳元のピアスがいつもと違ったので直感的に“ああ~・・・(察し)”と思い、それとなく「何かええ事でもあったんですか?」と訊ねると、女将さんの婚約者(彼氏クン)がホワイトデーにプレゼント(ピアス)を貰ってウキウキだったようで、婚約者とのラブラブっぷりをノロケる彼女の様子を見ていると“若いっていいなぁ~・・・”と、つくづく思います。自分もあと20歳くらい若ければ・・・いや、人生やり直しが出来たらなら──なんて、50歳目前のオッサンのつまらぬ戯言です・・・。
こんばんは。便乗ってワケじゃないんですが、今日は東日本大震災から8年らしいので、それについてちょっと・・・。自分は当時の事が記憶に無いので、昔の自分が書いた過去記事を読み返して記憶を辿ったのですが、どうやら東北にいた遊び仲間の旧友が被災して不幸中の幸い命だけは助かり、それからしばらくして自分と当時付き合いのあった同好の趣味の仲間たちでゼニ出し合って物資をかき集める班、元自衛官やトラックの運ちゃん、土木作業員などが四駆やトラックで被災地に物資を運ぶ班で役割分担して被災地支援に奔走したようです。地元が中四国なので自分自身は全く被害はありませんでしたが、今思うとこの時の津波は衝撃的でしたね・・・。自分くらいの世代だと昭和58年に秋田県の【日本海中部地震】や平成5年の北海道の【南西沖地震】の津波が記憶に残っている人もいらっしゃるかと思いますが、まさにそれ以上に酷かったです。今はだいぶ復興が進みつつあるそうですが、原発事故も含めると未だ5万人以上が避難生活、2千5百人以上の行方不明者が見つかっていないことを考えるとまだまだ復興には程遠い道のり。自分の地元で起きた8.20土砂災害ですら5年近くが経とうとする今でも復興はまだ進んでない事を考えれば、東北の復興は10~20年ではとてもじゃ終わらない気がします。原発の解体作業も下手すると70~80年、無人ロボットなどの最新技術を投入してどんなに頑張っても50~60年は掛かると言われてるんですから、帰宅困難地域に住んでいた10~20代以下の若者ですらもう二度と故郷には帰れないかもしれませんし・・・。当事者じゃない自分が「お気の毒に」なんて、軽々しい言葉は掛けられません・・・。
