アメニモマケズ、カゼニモマケズ… | 華麗なるヲタ族 ~哀と自虐に満ちた独り言の日々~

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ヲタクで変人、社会のはみ出し者を自称する広島のアウトロー【クズノキワミオヤヂ】が戯言・寝言・妄言・世迷言・虚言・失言・暴言などをグダグダ垂れ流す独り言ブログです。

今年も庭に(零れタネで)自生するタカサゴユリが綺麗に咲いている。

↑今日の朝に撮影。あれだけの激しい雨風にも関わらず、散ったり、折れたりするコトもなかったタカサゴユリ。奇しくも去年と同様、雨の雫をまとい、瑞々しくも咲いている姿はどこか色っぽい…(//∇//)



可愛らしい見た目とは裏腹に、一般的に明るく開けた原野(更地など)、荒れた土地など、乾きに強く、海岸近くや高地でも生育し、耐候性もあって丈夫なコトから、割とどこでも自生するため、ほったらかしでも大丈夫なのが園芸用としては最適。

元々鉢植えしていたこの花も何時しか我が家の庭にも勝手に自生するようになり、野生化しています…σ(^^;)

タカサゴ(=高砂)という名の由来の通り、原産は台湾本島──外来種(帰化植物)になりますが、どんなに荒れた土地でもしっかり根を張り、シャンと茎を伸ばし、紫色の筋状の模様を纏った大きくて立派な花弁を付けるこのタカサゴユリは日本原産のササユリやテッポウユリとはまた違う、少女のような可憐の中に大人の女性の妖艶も内包したような姿に魅力を感じ、私はこちらの方が好きです。





このタカサゴユリ、我が家の死んだばあ様が生前に可愛がっていた花の一つで、「私が死んだら夏にはタカサゴユリを1本でいいから仏壇の脇に花瓶で供えて欲しい」とよく言っていたほど。

皮肉にも、ばあ様が亡くなったのは8月の中頃──ちょうどタカサゴユリが見頃の時期。

ばあ様を納めた棺を焼き場に運ぶ出棺前、予め庭に自生していたタカサゴユリの内、種を取る分だけを残して切り花として20本ほど用意し、大好きだっなタカサゴユリに囲まれてお浄土に旅立てるよう、遺族・親族に一本ずつ花を配り、別れ花として全て棺の中に入れてあげました。

タカサゴユリを見ると、亡くなったばあ様を思い出すのもそんな由縁あってです。





生前にばあ様が「いい?お花はね、誰かに褒められるでも自慢するでもなく、自分だけの花を咲かせるために一生懸命お天道様に向かって葉を広げ、茎を伸ばし、花を咲かせるの。そんなお花の健気さ、逞しさの前に綺麗や醜いなんて優劣はないんだよ。大きなお花、小さなお花、色や形が違っていても命の輝きや尊さは同じ。人の命も一緒なの。それは覚えておいてね」とよく言っていましたが、確かに花の美しさや魅力に優劣や順位なんてものは付けられないし、そういうのは野暮ってもんですよね。

そういったものを付けずにはいられない、争うコトしか考えられない我々人間は本当に不純だなぁと思いますよ。

きっとあの言葉は、未だ戦争が絶えない世界、戦争を煽る人たちに対するばあ様なりの痛烈な“皮肉”だったんじゃないかと今は思います。

タカサゴユリは何かと思い出の尽きない花です。



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