日本語字幕について、あるいは「Little Miss Sunshine」
2011年6月19日(日) 4年半の英国暮しの間、DVDを買って家で映画を見るとしても日本語字幕が表示される訳がなく、またそのまま英語や仏語で台詞がまともに聴き取れる訳もなく、英語字幕つきのDVDを買ってはその字幕を頼りに何とか鑑賞してきた。 ところが英国版のDVDには意外と字幕のついていないものが多く、中には同じシーズンもののドラマであっても、途中のシーズンまでは英語字幕が入っていたのに、急にあるシーズンから字幕がなくなってしまったこともある(それに気付かずに何枚も枚数のあるボックス・セットを買ってしまって処置に困り、やむなく英国人の知人にあげてしまった)。 厄介なのは、お目当てのDVDに字幕がついているかどうかアマゾンなどのウェブサイトでは判然としない上、店頭でケースを見てもよく分らないことがままあることだ。この点については多くの人が不満を持っているようで、アマゾンなどのレヴューや顧客同士の情報交換サイトで字幕の有無について触れられているのをよく目にする。もともと字幕は聴覚障害を抱えた人向けに作られているものと思われるが、私同様、英語の聴き取りに苦労して字幕に頼っている人も少くないようである。 障害者支援の意識が高いせいか、アメリカ製DVDのほとんどには英語字幕がついているようで(中には例外もあるが、これまでの経験では字幕が全くついていない比率はかなり低かった)、英国製DVDを買って字幕がついておらず失望した末に、結局アメリカ製のDVDを改めて注文したことが何度となくある。例えば以前このブログで紹介した「Law & Order」という法廷&警察ドラマの英国版DVDボックスは、上記のように途中のシーズンから字幕がつかなくなり、やむをえず新しいシリーズが発売になるたびにアメリカのアマゾンから注文して取り寄せて見て来た。 日本のアマゾンなどと違って欧米(特に英国)のアマゾンでの海外配送料は驚くほど安く(ただしその後英国アマゾンも配送料が高くなってしまった)、私は図に乗って海の向うから山のようにDVDを注文して楽しんでいたが、問題は新品のDVDなどだと送料とは別に付加価値税(消費税に相当)が課せられることがあることである。 中古品や1枚数ドル程度の格安品であれば見逃してくれることも多いのだが、せっかく送料が安いと思って買ったDVDでも、馬鹿高い付加価値税が請求され(現在英国の付加価値税率は20%である)、しかもご丁寧なことにこの課税業務を担っている郵便局だかその下請け会社だかの高い手数料が一律で加算されるのだった。 だからたかだか500円程度のDVDを買うのに、アメリカから英国までの送料は200円で済んだものの、付加価値税が100円、そして付加価値税の課税代行手数料が1000円もかかったりするのである。しかもこうした場合に限って、アメリカ版DVDについているはずの字幕が、英語字幕ではなくスペイン語字幕だったりすると、もはや泣くに泣けなくなる(実際そうしたことが何度もあった)。 もっともフランス製DVDに比べればまだ英国製DVDはマシな方で、多少仏語が出来るからと慢心してフランス映画のDVDをフランスから取り寄せたりするとほとんどの場合字幕はついておらず、結局最初の数分で聴き取りに挫折して、数ヶ月後に同じ映画の英国製DVDが出るのを待って英語字幕(さすがに外国映画の場合に字幕のないことはない)を頼りに見た経験も数限りない。そんな時、私はつくづくおのれの語学力のなさに嘆息するよりないのだ。《※後日注記 その後インターネット上で映画やドラマの字幕ファイルが無数にアップされていることを知り、買いはしたものの字幕がついていなかったものの多くも、それらの字幕ファイルを利用して見ることが出来るようになった(DVD再生ソフト「GOMプレイヤー」などでは、映像と字幕の時間的なズレも修正できるので特に便利である)。》 英国から戻って来て、これでようやく晴れて日本語字幕つきの映画が見られると思っていたのだが、実際に日本でDVDをレンタルしてみて驚いた&失望したのは、字数の制約もあってか、字幕の翻訳には何ともお粗末なものが多いということだった。むろん英語の翻訳の良し悪しなど、語学の才能のない私には到底判断することは出来ない。 しかし私でも分るような極めてシンプルな台詞が、意訳のつもりが勢いあまってか、あるいはちょっとだけ気を利かせたつもりなのか、全く違った表現になっていることが少くない。まず英語字幕で見て気に入った映画を、今度はしっかりと翻訳された日本語字幕で見直してみたいと思うときほど、こうした字幕が気になって失望することになる。 以前このブログで採り上げたヒッチコックの「フレンジー」で、夫人が大陸(フランス)式のグルメ料理教室に通っていて、高級ではあるかも知れぬがちっとも腹にたまらない料理ばかり食べさせられ不満を覚えているロンドン警視庁の警部が、出勤してすぐさまイングリッシュ・ブレックファストを注文して見事な食欲でかぶりつきつつ、部下にこう口にする場面がある。 「Apparently they don't know the principle – to eat well in this country, one must have breakfast three times a day. And an English breakfast at that.」(以前のブログで私はこれを「連中は道理というものを知らんらしい。この国でまともな食事をするには、日に三度、朝食をとらなければならないという奴をだ」と訳してみたが、最後に「それもイングリッシュ・ブレックファストでなければいかん」とでも付け加えることになるだろう) しかしこれに対応する日本語字幕は、なんと以下の一文だけなのである。 「そこの先生はイギリス人の食欲を知らんらしい」 上記の台詞のうち「They」や「そこの先生」というのは、言うまでもなく警部の夫人に料理を教える料理学校の先生たちのことであるが、文豪モームが口にしたという「三度の朝食」から来ているに違いない台詞もこの日本語字幕では全く浮ばれない。 そして大陸式のパンにコーヒーといったスカスカの朝食ではなくイングリッシュ・ブレックファストでないと駄目だと主張する警部に対し、とぼけた部下のオッサンが口にする「I see what you mean, Sir. I'm a...Quaker Oats man, myself.」(「おっしゃる意味はよく分りましたが、私はオート・ミール派でして…」)という台詞も、「同情しますね。私もそれじゃとても…」となっていて、何の面白みもありはしない。 どうでも良いような細かい表現を例にとるならば、英国映画ではないがロンドン滞在時に見て気に入った「Little Miss Sunshine」という映画には、不自然な言い換えが山盛りである。変に気を利かさずにそのまま訳せば遙かに自然だと思うのだが、「Thanks, Sheryl.(ありがとう、シェリル)」といった台詞ですら「悪いな」と訳されたり、主人公の少女が予想外の知らせに驚く場面で「What?」と言うだけなのも、「ウソ!」となる。 映画は主人公の少女オリーヴの叔父が手首を切って自殺をはかったものの失敗し、医師の指示で妹一家のもとに滞在することになるという挿話から始まる。食事の席で腕に巻かれた包帯を見て姪オリーヴはその原因を知りたがる。彼女の父親は7歳の子供に聞かせるのに相応しい話題だとは思えないと言って抗議するのだが、母親はこう言って弟が自殺未遂の顛末について話すのを許す。 「Well, she's gonna find out anyway.(でも結局は自分で気付くことよ)」 これが字幕では「どうせバレるわ」となっているのだが、自分で気付くのとバレるのとでは、結果は同じでもニュアンスが異なる。 オリーヴの叔父は、勤めていた大学の教え子に振られて動転し、暴言を吐くなどして職を失ったこと、しかしそれは本当の自殺の原因ではなく、その教え子を奪った同じ研究分野の学者が、第一人者であるはずの自分を差し置いてとある有名な賞を与えられたことに絶望して死を決意したのだと説明する。 目の前にいる叔父が同性愛者だと分ったオリーヴはそのことを「馬鹿げている」と言うのだが、年老いてもマリファナを吸ったりしている少々変り者の祖父は、すかさず「There's another word for it.」(別の呼び方もあるがな)と茶々を入れる。これが字幕では「ホモ野郎め」となっているのだが、この字幕を英語に訳し返してアメリカで公開したりしたら、同性愛者団体から大々的な抗議が届くに違いない。 この叔父がライヴァルの受賞を知って「Decided to check out early.」(早めにチェック・アウト=オサラバすることに決めた)という台詞を単に「自殺を決意」としているのも全く芸がないし、これは完全な誤訳だと言っていいだろうが、鼻持ちならない俗物であるオリーヴの父親を見てウンザリした叔父が甥に向って「How can you stand it?」(どうしたら我慢できるんだ?=よく我慢していられるな)と聴く台詞は「なぜ我慢する?」となっている。映画を見ながらもこうした部分が気になって、作品そのものに集中できなくなってしまうのだ。 ちなみに以前私は英国英語について触れた際、動詞 win の過去形 won が「ワン」ではなく「ウォン」だと思っていたと書いたが、主人公オリーヴがあるコンテストの決勝に進めることが分って欣喜雀躍し「I won!」と叫ぶ時の発音は、「ワン」と「ウォン」の中間、いや、むしろ明らかに「ウォン」に近いと言っていい。子供だからそう発音しているのか、アメリカだからそういう発音になるのか定かではないが、英国ではBBCのアナウンサーなども明らかに「ワン」という発音をしていたのを覚えている(だからこそ私は自分のそれまでの間違いに気付いた訳である)。 更に脱線するが、上記のコンテスト会場に向う途中のダイナーで「à la mode」のワッフル(単にアイスクリームがついたワッフルのことらしい)が出てくるのだが、これを主人公オリーヴやダイナーの店員は「ア・ラ・モーディー」と発音している。すかさずプルースト研究の第一人者である叔父がこの言葉について解説を始めるのだが、彼は大げさなまでに「ア・ラ・モードゥ」だと言って彼女たちの発音を訂正する。 以前も触れたが、「列」を示す queue=「クー」(https://ja.forvo.com/word/queue/#fr)を「キュー」(https://ja.forvo.com/word/queue/#en)と発音するなど、英語式に発音される仏語は私の耳には奇妙そのもので、一番違和感があったのは「既視感」をさす「déjà vu」(デジャ・ヴュ→https://ja.forvo.com/word/d%C3%A9j%C3%A0_vu/#fr)を「デジャ・ヴー」(https://ja.forvo.com/word/d%C3%A9j%C3%A0_vu/#en)とするのを耳にした時のことである。 一般に日本人は外国語の発音が不得手だと言われるが、より複雑な発音体系を有する欧米語を母語とする人々であっても、同じアルファベットを用いているためにかえって発音を区別しづらいためか母語の発音に引きずられやすく、英国人の話す仏語やフランス人の話す英語は、私にはネイティヴ・スピーカーの発音よりも(日本人の下手な発音と比べてさえも)遙かに聴き取りづらい。 日本に戻って来ると仕事から来る日々のストレスや長い通勤時間(その結果、家に滞在する時間も短い)によって、英語字幕のDVDを見る気力など全くなくなってしまい、日本語字幕つきのDVDが欠かせない(それですら見る時間はほとんどない)。つまりは字幕だけが映画鑑賞の手がかりとなるのだが、それが上記のような出来では果してどこまでその映画を理解しえているのか大いに疑問である。とは言え私には、不自然な台詞まわしで演じられることの多い日本語吹替版で映画を見る気は更にない。 やはり一日も早く仕事から足を洗って、英語や仏語の字幕がついたDVDを静かに見られるだけの精神的余裕を取り戻すしかないようである。むろんその前に先立つものを何とかしないといけないのだが、それを待ってボヤボヤしている間に土の中に埋められてしまっているということにもなりかねない。ましてや今から一念発起して英仏語を磨き直して字幕なしで映画が理解できるようにするなどというのは、全くもって夢のまた夢、単に年寄りの妄想でしかない。嗚呼…。