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 2011年9月11日(日)
 ゆっくりと旅がしたい。それも時間のことなど考えず、鈍行列車に乗って長いながい旅をしたい。
 しかし生来ケチで出無精な性格で、実際にはほとんど旅などしたことはない。せいぜい欧州に住んでいた時に、周囲の人々の旅への情熱に影響されて幾度か旅に出てみたことがあるくらいで、思い返してみれば日本国内では学生時代の修学旅行と会社に入ってからの出張以外に旅らしい旅をしたことなどない。
 そうした性格を矯正しようとしてか、私が小学生の頃、親たちは日々の仕事に追われて忙しいなか温泉旅行に連れて行ってくれたり、地元の信用金庫が顧客にお金を積み立てさせ、年に一度その資金を元手に子供たちを林間学校に行かせるという企画に参加して、引っ込み思案だった私を出来るだけ多くの人に触れさせようとした。おかげで最低年に一度は千葉や信州という比較的近場から北海道まで、近隣の子供達たちと一緒にではあったが、1週間から10日程度、見知らぬ土地で集団生活を送ることになった。
 あいにくそうした経験は私の社会性を育むには大して役に立たず、40代半ばになった今も私は人付き合いが大の苦手で、初対面の人はもちろん、大して親しくない人とばったり出くわしたりすると気付かぬ振りをして逃げてしまったりもする人間嫌い(misanthrope)なのである。
 旅の方にしても上述の通りの出無精で、特に会社に入ってからは絶えず仕事のことが頭から離れず、体が疲れていることもあって旅に出たいなどと思ったことはなかった。この20年の間、家族と一緒に何度か会社の保養所のある熱海や箱根といった近場に1泊か2泊したのが関の山である。

 しかし最近は、旅に出たいとしきりに思う。むろんそれは今ここにある現実から逃避したいという願望そのものであり、どこか特定の場所に行きたいというのではない。若い頃に何百回となく口ずさんだ(そしてそれ故にここに書くのも恥しい)、詩人のボードレールが散文詩集「パリの憂愁」のなかでうたった「N'importe où! n'importe où! pourvu que ce soit hors de ce monde!」(どこでもいいのだ、どこでも! この世の外でありさえすれば!)という言葉にならうならば、実際私が行きたいのは特定の「どこか」ではなく「ここではないどこか」であるに過ぎない。
 同じ詩の冒頭に記された「Cette vie est un hôpital où chaque malade est possédé du désir de changer de lit.」(この人生というものはひとつの病院であり、そこでは病人おのおのが別のベッドに移りたいという欲望に取り付かれている)という言葉の通り、私もまた自分の生のなかで遠く別の場所を夢想している一個の病者(患者)に他ならないのである。

 旅に出たいと思うのは、たまに見返す映画に旅に出たいという思いを駆り立てる場面があるからでもある。以前も採り上げた映画「砂の器」(ちょうどいま、2011年版のテレビ・ドラマが放送されているところで、まともに見てはいないものの、昭和35年当時の列車や車窓からの風景を再現するのが困難あるいはコストがかかり過ぎるためか、旅の場面はほとんど出てこないようである→その後見直したみたところ出張で旅する場面はむしろ多く、ドラマ自体の出来はともかく旅や食事のシーンは楽しめた)、そして同じ松本清張の原作で、監督も同じ野村芳太郎による「張込み」である。

 「張込み」は文庫本で30ページにもならない短編小説を映画化したもので、冒頭、横浜駅から始まって九州の佐賀に至るまでの列車の旅の様子を7分以上かけて描いている(鹿児島行きの急行列車である)。季節は夏の盛りで、天井からぶら下がった扇風機しかない、ひどく蒸し返す夜行列車に跳び乗って横浜駅を出た主人公の刑事二人は、静岡、浜松、名古屋を経て、岐阜、京都、大阪、広島、三田尻(現・防府)、大道、四辻と過ぎ、東京駅から同じ汽車に乗り込んでいた同僚の二人を小郡(現・新山口)で見送る(★)。旅路を再開した二人が関門海峡を渡って博多、鳥栖を経て、ようやく佐賀駅に到着するのは翌日の晩である。

《★原作では夜行列車の三等車に乗り込むのは柚木(ゆき)と下岡という二人の刑事だけで、下岡は途中の小郡で降り、残りは柚木ひとりだけの張込みの旅となる。二人が始発駅の東京からではなく横浜駅から列車に乗るのは、顔見知りの新聞記者に見られるとまずいという配慮からである。京都で下岡が、大阪で柚木がようやく腰掛けることが出来たのは映画も原作通りであるが、二人が駅弁を買うのは広島ではなく岩国である。映画では佐賀となっている街は原作では「S市」となっている。
 映画で柚木を演ずる大木実や下岡を演ずる宮口精二が実に良い味を出している上、白黒の画面も肌理が細かく非常に美しい。カラー画面はその精密さや美しさにおいて、白黒画面を超えられないと言っていたある映画人の言葉を私は思い出す。》


 混雑した車内の通路に座り込み、暑さも手伝って眠ることもかなわない二人が、ようやく席に座れるのは京都を過ぎてからのことで、その頃には既に夜が明けている。ワイシャツを脱いでランニング・シャツ姿になった二人は、疲れと睡眠不足からぐったりとし、いぎたなく眠り続ける。ハンカチでいくらぬぐってみても彼らの顔や体から吹き出るねっとりとした汗がやむことはなく、蒸気機関車から吐き出される煤やその臭いも彼らの全身にすっかり沁みついてしまっていたに違いない。
 しかもこれは強盗殺人の容疑者を追っての旅である。佐賀に到着してからの彼らは、旅行気分と無縁なのはもちろん、ぐっすり眠ることすらも出来ぬ張込みの仕事を続けねばならない。犯人を捕まえるまでは、肉体の疲れだけではなく精神的な疲れも癒えることはない。
 だから彼らの旅はうらやむようなものでは決してないのだが、しかし私はこの「張込み」の冒頭だけを何十遍も繰返し見ては、旅への欲望に駆り立てられるのだ。とりわけ途中の広島駅で二人が駅弁を買い、「お~い、酒くれ! お~い、酒、酒!」と叫んで酒を頼む場面を見ると、実際に映像では描かれていないにもかかわらず、私は二人が体や心の奥底に澱のように溜った疲れと徒労感のなかで、決してうまくもない駅弁を肴に日本酒を飲んで疲れを癒そうとしている光景を想像しては、旅への憧れを募らせるだけなのだ。

 以前このブログで紹介した吉田健一には(https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502038791.html あるいは https://ameblo.jp/behaveyourself/entry-12502039348.html)、旅と食べ物について記した随筆が幾つもあり、「旅」と称した作品のなかで彼は「上野から新潟や金沢まで行くどの昼間の急行にも食堂車がないのは何故だろう。ゆっくり飲んだり、食べたり出来ない旅行は意味がない」と書き、「旅と味覚」では「旅行するのと食べること、および飲むことは切っても切れない関係にあるように思われる。(中略)旅行をしていると、日常生活での三度の食事とは違った意味を帯びて来る」と書いている(いずれも光文社文庫「酒 肴 酒」より)。こうした吉田健一の随筆を読んでいると、列車での旅への思いはますます強まっていくだけである。

 かなり前、出張で新幹線に乗ったとき、もはや食堂車がなく、飲み物や小綺麗ではあるが高いだけで決して美味しくない弁当などを売る店しかないのを知って大いに失望した記憶があるが、最近の列車にはまだ食堂車が残っているのだろうか。
 次の映画「砂の器」には、古き良き時代の食堂車が出てくる。主人公の二人の刑事は、不首尾に終った出張の旅の苦い思いを少しでも解消するために食堂車でビールを飲み、駅弁をかき込むのだが、そうして食堂車でくつろぎながらビールを飲み、食事をすることが今ではもう叶わぬことであるかも知れぬからこそ、かえってその願望が高まることになる(★★)。
 この映画でも、冒頭の羽後亀田(秋田県)に始まり、伊勢、大阪、石川県、そして事件の鍵となる亀嵩(島根県)など、様々な旅の様子が描かれている。そのたびに主人公の今西刑事(あるいは吉村刑事)は列車を乗り継いでこれらの場所に赴くのだが、これもまた「張込み」での九州への旅が疲れるだけで旅情など味わうことの出来ぬものであったのと同じく、少しも心休まらぬ旅であったに違いない。
 それでも私はこれらの映画をしょっちゅう見返しては、自分がいつか仕事から解放され、心底さっぱりした気分で列車の旅に出、車内で駅弁を食べたり、もはや存在しないかも知れぬ食堂車でゆっくりビールを飲むことを、毎日のように夢見ているのである。それは上述の通り、実際には列車の旅でなくても食堂車でなくとも良いものであるに違いない。要するに私の心にあるのは、「ここではないどこか」に行きたいという願望に他ならないのであるから。
《★★もう20年近く前、結婚式を挙げるために韓国に行き、そこで釜山からソウルに向う列車(確かセマウル号だった)に乗ったことがある。その列車には食堂車がついており、まず年長者である親たちが食事をし、その後で私と配偶者が食堂車に行くことになった。しばらくして両家の親はビールを飲んで程よく酔い、気分良く戻ってきたが、食堂車の食べ物が今しがた終ってしまったことを告げた。以来、韓国はもちろん日本でも食堂車に乗る機会のなかった私は、その時のガッカリとした気持ちを未だに抱え続けているような気がしてならない。》


※多忙な時期になると、わずか2駅でしかないものの、私は長い通勤時間を嫌って新幹線で通勤をすることがあるのだが、これもまた旅情など少しも感ずることのない味気ない旅である。夏の間は周囲に行楽客が溢れ返り、そんななかで休みも取れず朝から晩までひたすら仕事を続けて疲労しきっている自分のことを思うと、余計に虚しくなるだけである。およそ20分ほどの新幹線の旅の間も、私は席に座れれば目を閉じて絶対的に不足している睡眠時間を少しでも回復しようと躍起で、車窓からの風景など一度も眺めたことはない。
 おまけに少しも「まもなく」などではないにもかかわらず、乗車して5分もすると「まもなく●●駅です」という車内放送が流れ、私の睡眠を邪魔するのだった。確かに乗客によっては長旅で疲れて熟睡している人もいるだろうから、寝過ごしたりしないよう事前に知らせることも決して理解できなくはないのだが、「まもなく」と言ってから実際は5分以上も駅に着かないことが分っているため、この車内放送が流れるたびに私はイライラしてますます眠れなくなってしまう。
 ちなみに私が乗る早朝の新幹線で流れる英語の車内放送は、私の耳にはアメリカ英語ではなく、英国の英語であるように思われる(後日追記:このアナウンスを担当しているのは、オーストラリア出身のドナ・バークというシンガー・ソングライターだそうである→https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%AF)。聞いているだけでイライラさせるようなアメリカ式発音でない分だけ、まだマシかも知れない。

 以下はその車内放送の模様である。

 https://www.youtube.com/watch?v=Zcz-teFpsMY