日本の紅葉、あるいはヒップ、ヒップ、ヒップ、ウラー!
2011年11月12日(土) 例年よりも暖かい気候が続いているせいか、自宅周辺の木々は大して紅葉することのないまま、少しでも風雨が強まると葉っぱが次々と落ちていく。最初に掲げた写真は2週間ほど前のものだが、紅葉度合は進んでいないものの、落葉がびっしりと歩道を埋め尽くし、葉の少くなった木々は私の頭部のようにひどく寂寞としている。私にとっては実に長かった2011年も、あとわずか1ヶ月半ばかりとなってしまった。 とは言え、英国では寒暖の差が激しくないせいか、あるいは樹木の種類が違うせいなのか、ロンドンの町中で樹木が紅葉するのを見た記憶がほとんどない。だからわずかばかりの紅葉であろうと、久々に葉っぱの色が黄色やオレンジ色に色づいているのを目にすると、日本に戻ってきたのだということを実感する。 むかしドストエフスキーの小説を読んでいると、登場人物たちが「ウラー!」と叫ぶ場面に幾度となく遭遇し、以来このちょっと奇妙な叫び声がずっと記憶に残り続けてきた。 高校3年になって仏語を学び始めて徐々に映画や書物に接していくなかで、ある時、Hip, hip, hip, hourra!というおかしな表現に出くわした。仏語では「h」音を発音しないから、これは「イッピッピップ、ウーラ!」といったような発音になるのだが(https://ja.forvo.com/search/Hip%2C%20hip%2C%20hip%2C%20hourra/fr/)、辞書や解説文を読むと、これで日本語の「万歳!」のような歓呼の声に相当するということが分った。 そしてこの言葉を何度か口ずさんでみると、かつてドストエフスキーの書物のなかで出会った「ウラー!」が、このHourra! なのだろうということに思い至った。帝政ロシア時代には貴族や上流階級では仏語が公用語のようになっていたということだが(ドストエフスキーの小説にも仏語は頻出するが、トルストイの「戦争の平和」などを読めば、かの地の貴族たちが日常的に仏語で会話をしている光景を見出すことが出来る)、この「ウラー」がロシア語なのか、あるいは仏語表現を借りたものなのか、ロシア語に通暁していない私には詳しくは分らない。 これと同様の表現は英語にもあり、英語では「Hip, hip, hurray!」(ヒップ、ヒップ、フレイ!)となる。hurray は hooray や hurrah などとも綴られ、最後の hurrah の発音は「フラー」と「ハラー」の中間くらいになるようである(https://ja.forvo.com/word/hurrah/#en)。 さらに英国滞在中にこの「ヒップ、ヒップ、フレイ!」を映画やテレビで何度か耳にすると、私はこれが日本の運動会などで応援する際に口にする「フレー! フレー! ○○!」という「フレー」であることに思い至った。それまではてっきり(細かい意味など留意せぬまま)、「振れー! 振れー!」だと思っていたのだったが、確かにこう言われても、言われた当の人間としてはいったい何を「振った」らいいのか分りはしないだろう。 なぜ突然この表現を思い出したかと言うと、つい最近見た映画「海炭市叙景」のなかで、造船業に携わる主人公の若者が新しく出来た船の進水式に参加し、感激のあまり船が海に向って滑りだしていくのを駆け足で追いながら、「ヒップ、ヒップ、ヒップ、ウラー!」と三度叫ぶ場面があったからである(この発音では英語と仏語のいずれでもなくその中間くらいになるのだが、ロシア語式発音なのだろうか?)。 わずか41歳で自ら命を絶ってしまった作家・佐藤泰志の原作をもとに作られた映画「海炭市叙景」は、韓国や中国などにお株を奪われて苦境に立つ造船業界のなかで、件の主人公が造船会社の人員削減によって職を失い、絶望の余り自殺してしまうという暗澹たる挿話から幕を開ける(正確には「海炭ドック」での火災事故で親が被災してしまう姉妹の非常に短い挿話が最初に紹介される)。 この作品は、函館をモデルとしているらしい架空都市「海炭市」(かいたんし)に生きる何人かの人物に焦点をあてて、いわゆるオムニバス形式で進行していくのだが、いずれの挿話にも閉塞感ただようどんより曇った港街の寒々とした風景が広がり、見終えた後も重々しい余韻を引きずるしかなく、爽快なカタルシスは訪れない。 進水式の場面では、上にスチール写真を掲げたように晴れ晴れとした笑顔を浮べる主人公が一緒に暮している妹(★)と初日の出を見に行き、遠く水平線の蔭から昇ってくる太陽を前にしながらも呆然として暗い表情を浮べるだけで、帰り道に妹を先に帰したまま姿を消してしまう。彼が選び取ったのは上記の通り自らを死なしめることだったのだが、それはそのまま作者のその後の選択に結びつき(「海炭市叙景」連作の途中で作者は自殺してしまった)、主人公の陰鬱な表情は作者の面影に重なる。本を読み/映画を見る我々はそうした伝記的事実を知っているため、ただやるせない気持ちを抱くしかない。《★俳優たちの台詞回しが聴き取りづらいため、最初の方に出てくる「お兄ちゃん」という呼びかけの声を聴き取れず、私はずっとこの兄妹が夫婦あるいは恋人同士だと思って見ていた。》 ちなみに、インターネットなどで調べてはみたものの、進水式でこの「ヒップ、ヒップ、ヒップ、ウラー!」と叫ぶのが慣わしなのかどうか、結局私には分らないままである。